新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」の眼差し
映画「愛人ジュリエット」を見ていないのに
この詩「愛人ジュリエット」を理解することはできるかどうかと問えば
詩は詩で独立した世界だから
詩を読むことはできるということになるでしょう。
それにしてもしかし
何らかの手がかりが欲しいと思うならば
マルセル・カルネやジェラール・フィリップや
ジュリエット役のシュザンヌ・クルーティエを
検索してみるとよいでしょう。
映画そのものもYoutubeで見ることができますが
字幕なしの原語版(フランス映画)です。
もちろんDVD化されていますから
購入することもできますし
レンタルで見ることもできます。
◇
詩を読むために
詩の背景やモチ-フを知ることが
詩のさまたげにならないようにすることは
意外にむずかしいことかもしれません。
詩へのアプローチを間違えると
詩を見失うということだって起こり得ますから。
◇
愛人ジュリエット
――同じ名の映画によせて――
――ジュリエットは薔薇の名
――ジュリエットは船の名
――ジュリエットはミモザの花におうの街角のカッフェの名
――ジュリエットは昔はやった小唄の題よ
――いやいや ジュリエットは三年前 “いなせな”船乗りと
駈落ちしやがった浮気な俺の女房さ
――滅相な ジュリエットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した
私のかわいいひとり娘でございます
――ジュリエットはわたしですがな まだこの通り健在で……
六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)
忘却の国をおとづれ
いとしいひとの名を呼ぶとき
そこではすべてがジュリエットであった
にわかに
数知れぬ小鳥ら 群れ集い
樹々たち 囁き交わし
野の草 耳そばだて
海 こんじきに輝きわたり
山はむらさき
そうしてすべてはジュリエットではなかった
ジュリエットは影
ジュリエットはさすらう風
ジュリエットは流れ行く雲
ジュリエット ジュリエット ジュリエット!
むなしく
あおぞらに谺(こだま)して
くだけ散る恋の名の悲しさ
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)
◇
ここに読んだのは
現代かな遣いの「愛人ジュリエット」です。
1953年発行の「睡り椅子」の表記を
詩人は歴史的かな遣いで統一しています。
戦後8年を経過しての発行ですが
初期の作品を含んでいるため
そちらに合わせて統一したということでしょう。
「愛人ジュリエット」の現代性からいえば
明らかに歴史的かな遣いは不釣り合いなのに。
◇
さて、現代表記で読んだ
「愛人ジュリエット」はどうでしょうか?
忘却の国をさまようミシェル(ジェラール・フィリップ)は
何を見て何を感じたのでしょうか?
この詩は
ミシェルが愛しいひとの名を呼びつづける彷徨を
どのように歌っているでしょうか。
マルセル・カルネ監督の眼差しと
詩人の眼差しがリンクし
シンクロすることがあっても
この詩には詩人、新川和江の愛の眼差しがあることでしょう。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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