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2017年4月29日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」の眼差し

 

映画「愛人ジュリエット」を見ていないのに

この詩「愛人ジュリエット」を理解することはできるかどうかと問えば

詩は詩で独立した世界だから

詩を読むことはできるということになるでしょう。

 

それにしてもしかし

何らかの手がかりが欲しいと思うならば

マルセル・カルネやジェラール・フィリップや

ジュリエット役のシュザンヌ・クルーティエを

検索してみるとよいでしょう。

 

映画そのものもYoutubeで見ることができますが

字幕なしの原語版(フランス映画)です。

 
もちろんDVD化されていますから

購入することもできますし

レンタルで見ることもできます。

 

 

詩を読むために

詩の背景やモチ-フを知ることが

詩のさまたげにならないようにすることは

意外にむずかしいことかもしれません。

 

詩へのアプローチを間違えると

詩を見失うということだって起こり得ますから。

 

 

愛人ジュリエット

     ――同じ名の映画によせて――

 

――ジュリエットは薔薇の名

――ジュリエットは船の名

――ジュリエットはミモザの花におうの街角のカッフェの名

 

――ジュリエットは昔はやった小唄の題よ

――いやいや ジュリエットは三年前 “いなせな”船乗りと

   駈落ちしやがった浮気な俺の女房さ

――滅相な ジュリエットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した

   私のかわいいひとり娘でございます

――ジュリエットはわたしですがな まだこの通り健在で……

                六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)

 

忘却の国をおとづれ

いとしいひとの名を呼ぶとき

そこではすべてがジュリエットであった

にわかに

数知れぬ小鳥ら 群れ集い

樹々たち 囁き交わし

野の草 耳そばだて

海 こんじきに輝きわたり

山はむらさき

そうしてすべてはジュリエットではなかった

 

ジュリエットは影

ジュリエットはさすらう風

ジュリエットは流れ行く雲

 

   ジュリエット ジュリエット ジュリエット!

 

むなしく

あおぞらに谺(こだま)して

くだけ散る恋の名の悲しさ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

ここに読んだのは

現代かな遣いの「愛人ジュリエット」です。

 

1953年発行の「睡り椅子」の表記を

詩人は歴史的かな遣いで統一しています。

 

戦後8年を経過しての発行ですが

初期の作品を含んでいるため

そちらに合わせて統一したということでしょう。

 

「愛人ジュリエット」の現代性からいえば

明らかに歴史的かな遣いは不釣り合いなのに。

 

 

さて、現代表記で読んだ

「愛人ジュリエット」はどうでしょうか?

 

忘却の国をさまようミシェル(ジェラール・フィリップ)は

何を見て何を感じたのでしょうか?

 

この詩は

ミシェルが愛しいひとの名を呼びつづける彷徨を

どのように歌っているでしょうか。

 

マルセル・カルネ監督の眼差しと

詩人の眼差しがリンクし

シンクロすることがあっても

この詩には詩人、新川和江の愛の眼差しがあることでしょう。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

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