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2017年4月 2日 (日)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」

 

 

実際に見た雲の荒れ模様を

女の群像に見立てた「雲」が

「16歳のノート」に書き留められたのですから

これを驚かないではいられません、よね。

 

この詩を

師、西條八十はどのように読んだのでしょうか、

とても興味あるところです。

 

やがて小説の勉強を薦められるのは

意外にこういう詩を書く詩人の素質を見抜いていたからかもしれません。

 

 

小自伝「始発駅まで」は

1975年に初版発行された現代詩文庫64「新川和江詩集」のために

書き下ろされた魂のこもったエッセイですが

始発駅とはまさしく

第1詩集「睡り椅子」そのもののことを指します。

 

始発駅である「睡り椅子」にたどり着くまでの足跡が

飾らない文章で丹念にしかし的を絞って記録されていますから

新川和江ワールドに親しむための必需品です。

 

(女性の)詩人が

どのようにして生まれたのか

どのように自己形成していったかを知る

第1級の資料ですから

それこそ何度も何度も

「睡り椅子」の詩群を読む時には特に

読むたびに引っ張り出す価値のある

重要な背景が記されています。

 

2、3のことを

ここで引いておきましょう。

 

 

昭和19年(1944年)1月。

西条八十が隣町の下館に疎開してきたのを知り

落ち着かない日を1週間ほど送った後

思い切って手紙を書く。

 

いくさなか にいはるのひに

あこがれの うたびとのきみ

とほからぬ まちにむかへて

われもまた むねわくひとり

 

――という五七調の歓迎の詩を手紙に添えた。

 

すると、詩のノートを持ってくるようにと返信があり

水戸線に乗り

詩人の仮住まいを訪れる。

 

師は、ノートに目を通し、

 

ゲンダイシの、悪い影響を受けていないところがいいね。それにボキャブラリーがとても豊富だ

――と東京から来合わせていた詩人、大島博光に言ったのが聞えた。

 

 

ノートを抱えて、学校とは反対の方角へ通う日が繁くなった。

――という日が続きます。

 

 

昭和20年(1945年)の項。

 

3月のある夜、大空襲をうけて炎上する東京の空が、百キロあまり北に離れた私の村からも、赤く爛れて見えた。

――と書き出されます。

 

この間、ランボオ研究の膨大な論文の写稿を頼まれる。

 

灯火管制の下、

毎夜の写稿のかたわら

ヴェルレーヌ

ヴァレリー

シュペルヴィユ

ゴル

アリエット・オドラ

ノワイユ夫人らの詩を

堀口大学訳で読む。

 

西条からは

ジョルジュ・サンドの短編

マルグリッド・オオドウの小説を借りて

親しみを覚えた。

 

 

そして、敗戦の8月。

師、西条から送られてきた七五調の詩。

 

 

祖国の江山 犬羊に

伏して音なく雲はゆく

枯唇を噛み裂けど

血さえ流れぬ秋暑し

 

 

これに送った詩人の返歌――。

 

玉の御声のかしこさに

空さへ蒼く嘆くとや

警笛絶えて日は照れど

敗れし国は ただ静か

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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