新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界・番外編/小自伝「始発駅まで」結語の確信
9月から授業が再開される。
苦手の数学のある日には、足はひとりでに下館に向く。
休日にも、書き置きして家を抜け出す。
疎開中の西条八十への訪問が繁くなるにつれ
はじめは大目に見ていた母親の忠告が激しくなる。
そのあたりは、
“詩”からというより“詩人”から、娘を引き離さねばと躍起になりはじめていた。明方まで坐り続けて叱責されていた晩もあった。
――と「始発駅まで」に記されます。
◇
西条八十への訪問は
詩集「睡り椅子」の後記では
次のように記されています。
◇
そのころ、私はまだ女学生で、作品といつても童謡に近いものばかりであつたが、西條先生はそれを丹念にお読みになつては、よく削られた鉛筆で、雀の卵ほどの〇をつけたり、添作して下さつたりした。そのノートをかかへて、いそいそと帰つて来る私の心は、赤い三重丸を貰つた小学生の様にはづんで、途すがら、無気味に鳴り出す空襲警報のサイレンも、遠い世界の出来事程にしか、ひびかなかつた。
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」後記より。)
◇
空襲警報のサイレンも遠い世界の出来事
――と記される一途さの背後には
母親との格闘があったわけですが
考えてみれば
空襲警報も気にならないほどの詩作への打ち込み振りは
母親の制止を振り切るパワーになったということであります。
空襲警報と母親の制止とを比較することはできませんが
詩作への熱中は
どちらをも障害にしなかったほどの
強度があったということになります。
この熱中がなかったら
詩人は生まれていなかったかもしれません。
この熱中の足跡の一部が
第1詩集「睡り椅子」に結晶しました。
◇
「始発駅まで」の結びは
「睡り椅子」出版の直後のことが書かれています。
反響(反応)があったのです。
反響があったことを記すなかに
始発駅以後を記しています。
その一つ。
秋谷豊、緒方健一から誘われて
「地球」グループに参加します。
◇
もう一つ。
「詩学」が広告を出すことになり
詩学社を訪れて知った木原孝一の言葉に
激しく揺さぶられます。
木原は、
新川さん、恋愛詩ひとつ書くにもしても、なにか、こう、宇宙に通じるようなものを書かなくちゃ、ダメなんだよなァ
――と発言した。
詩人は衝撃を受ける。
「始発駅まで」は
次のように結ばれています。
◇
ぐらりと地軸が傾く気がした。昔、西条先生の口から、「ゲンダイシ」という言葉をはじめて聞かされた時と、内容こそちがえ、同じ衝撃であった。けれども最早、途方に暮れることは無かった、「現代詩」と今こそ明瞭に表記し発音できるという、確信のようなものをその瞬間には摑んでいた。それを、これからはじめるのだ、と思った。
◇
木原孝一は「詩学」の編集者であり
「荒地」のメンバーでした。
衝撃というより
途方に暮れることは無かった、というところが重要です。
「睡り椅子」には
現代詩の「種」が撒かれてあったという確信が
この言葉にはあります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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