新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「悲唱」の別れ
滾々(こんこん)と湧き出でるリリック――。
これでもかこれでもかと
別れ歌が歌われます。
◇
悲唱
その日より
町はいと晦き水底に沈みき
音なく 風なく 光なく
ふたたびは頭上に日輪を仰ぐことなく
深き 深き 憂愁の底に沈みき
たそがれ
そが町のほとりをよぎれば
羽ばたき重く一羽の灰色の鳩
高き石窓より石窓へ伝い飛ぶあり
されど 家々の窓には
今宵もあかりのともることなし
夕来れど星さへ出でず
町はさむることなき悪夢の裡に病みたり
光なりしや
ひびきなりしや
風なりしや
かの君
君去りてたのしきうたの消え失せしその日より
町は永久(とことは)にいと暗き水底に沈みき
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)
◇
この詩「悲唱」が
「晩春秘唱」や「別後歎唱」と異なるのは
この詩が文語を使ってはいるものの
七五、五七の音数律から離れたところです。
定型の音数律をやめて
自由に歌う試みがはじめられましたが
完全に無くしたわけではなく
5音を基調にしながら
3音(8音)、4音を混ぜ
7音もあります。
◇
文語七五調の流れに
詩の形は破調が持ち込まれたことになりますが
嫋々(じょうじょう)とした響きが衰えることはなく
そのうえこの響きの中には
理知的なものの存在が潜んでいるので
妙な感染症にかかることもありません。
歌われる内容が
失われた恋(別れ)であるからといって
この詩には
感染するようなルサンチマン(悪感情)がありません。
未来があるような
別れといえば変ですが
そのようなものが
この詩には流れています。
◇
たとえば――。
かの君を失って
わたしという固体は打撃を受けるのですが
その打撃は、
その日より
町はいと晦き水底に沈みき
――という詩行が示す
町の水没というスケールで言い表されます。
一人称単数形のわたしに
別れの打撃は閉じ込められません。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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