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2017年4月22日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その1

 

 

第1詩集の冒頭詩「しごと」を

期せずして(?)

ここで読むことにしました。

 

何度も目にしていて

目にする度に黙読しているので

すでに親しみのある詩ですが

詩集の全容を知った後に読もう(書こう)と決めていました。

 

冒頭詩であるために

込められた思いには特別なものがありそうで

それならば後回しにした方がよいと考える底に

詩を素手で読もうという魂胆がありましたから。

 

冒頭詩がもしメッセージ性が高いものなら

それを読む前に

詩集のほかの詩と向き合うのが先決であろう、と。

 

 

しごと

 

きんいろのペンでゑがく

この いつぽん道

 

ときどき 振りかへり

ともさう 白いすずらん燈

植ゑよう にほひのいい花を咲かせるミモザ並木

 

いちばんさきに通るのは風

そのつぎは犬

こども 自転車 牛乳配達車

散歩のふたりづれ

 

だんだん広くなる 長くなる

やがてほとりに住みよい町が生れる

 

本屋

金魚や

“つるし”の洋服

バナナのせり売り

“だし”のにほひ漂ふそば屋の横を入れば

お嫁をもらつた誰かさんのニュー・ホーム

 

もつとゑがかう

きんいろのペンが凍えるまで

この道の終点につくるはずのわたしのお墓

 

墓碑銘をかんがへる

――この国には

   お役人も議事堂もいらないのよ

   祈禱椅子はみんな自家製よ

   神さまもそれぞれ

   フライパンの中で

   オムレツみたいに焼いてつくるのよ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原文のルビは“ ”で示しました。編者。)

 

 

きんいろのペンは

金色のペンではないところ、

いっぽん道もそうです

一本道としないところに

詩人の詩があります。

 

あえて言えば

これらは暗喩でしょうか。

 

きんいろに書かれる文字のイメージの

至高のかがやきばかりが

青い空に浮かび上がるような。

 

いっぽんの道は

飛行機雲かなにかのように

まずすっと引かれました。

 

そしてこの道は

ときどき振り返られるのです。

 

 

すずらん燈

ミモザ並木

こども

自転車

牛乳配達車

散歩のふたりづれ

――が何の衒(てら)いもなく描かれます。

 

風がいちばんさきに通るのも

この詩人の洞察の証しでしょうが

風を特別に扱っている気配さえありません。

 

 

みんなただそこにあるそのもののようで

それ自体を示しているようで

あえていえば明喩であり直喩ですから

それ以上ではなく

それ以下でもない

毎日目にするものごとであって

それらで町が生まれます。

 

 

本屋

金魚や (金魚屋としないところ!)

“つるし”の洋服

バナナのせり売り

“だし”のにほい漂ふそば屋

誰かさんのニュー・ホーム

 

ぜんぶがふだん見ている暮らしの景色です。

 

いっぽん道が

暮らしの景色を列挙して描かれるのですが

描かねばならないものは尽きることがありません。

 

描いても描いても描ききれないことを

きんいろのペンは知っているからでしょうか。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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