新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/2番詩「愛人ジュリエット」
新川和江の第1詩集「睡り椅子」の中から
幾つかの詩をピックアップして読んできましたが
最後に「愛人ジュリエット」を読みましょう。
この詩が
冒頭詩「しごと」に続いて
詩集の2番詩の位置にあることを知っておけば
ほかに何も知る必要はないことでしょう。
◇
愛人ジユリエツト
――同じ名の映画によせて――
――ジユリエツトは薔薇の名
――ジユリエツトは船の名
――ジユリエツトはミモザの花にほふあの街角のカツフエの名
――ジユリエツトは昔はやつた小唄の題よ
――いやいや ジユリエツトは三年前 “いなせな”船乗りと
駈落ちしやがつた浮気な俺の女房さ
――滅相な ジユリエツットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した
私のかわいいひとり娘でございます
――ジユリエツトはわたしですがな まだこの通り健在で……
六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)
忘却の国をおとづれ
いとしいひとの名を呼ぶとき
そこではすべてがジユリエツトであった
にはかに
数知れぬ小鳥ら 群れ集ひ
樹々たち 囁き交はし
野の草 耳そばだて
海 こんじきに輝きわたり
山はむらさき
さうしてすべてはジユリエツトではなかつた
ジユリエツトは影
ジユリエツトはさすらふ風
ジユリエツトは流れ行く雲
ジユリエツト ジユリエツト ジユリエツト!
むなしく
あをぞらに谺(こだま)して
くだけ散る恋の名の悲しさ
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原詩の傍点は” ”で示しました。編者。)
◇
エピグラフにあるようにこの詩は
映画を鑑賞して生まれたものです。
「愛人ジュリエット」は
1952年12月に封切り公開された
フランス映画で
監督はマルセル・カルネ、
主演はジェラール・フィリップです。
そういったところで
ジェラール・フィリップを知らない世代が
この詩にどれだけ近づけるのか
不安は残りますが
詩はそんなことを楽々と超えてしまうものですから
詩であるということもできます。
この詩を読めば
映画「愛人ジュリエット」にアクセスすることが
容易になるというものですから。
◇
では、この詩は
映画「愛人ジュリエット」の鑑賞記なのでしょうか?
そういう問いが生まれた時に
「愛人ジュリエット」という詩へ
一歩近づいているという関係が
この詩と映画の関係になります。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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