新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「しごと」のメッセージ・その2
お嫁をもらつた誰かさんのニュー・ホーム
――が描かれた後に
描かれるものは無くなってしまったのでしょうか。
無限に存在するのでしょうか。
ぷつんと途切れた間(ま)があって
きんいろのペンが描こうとするのは
お墓です。
きんいろのペン(のしごと)は
凍えるまで続けられるのですから
終点につくるはずのお墓が描かれようとし
お墓に記すメモリアルが考えられます。
◇
この国には
お役人も議事堂もいらないのよ
祈禱椅子はみんな自家製よ
神さまもそれぞれ
フライパンの中で
オムレツみたいに焼いてつくるのよ
◇
ここで詩はもはや
死者を思う死者の眼差しになりますが
そうであってもひとつも四角張ることはありませんし
オムレツと同じように
神が焼いて作られるのです。
墓碑銘だからといって
尊大ぶって
何かを主張する風でありません。
むしろ
くだけたおしゃべり言葉で
だれか親しい人に話しかけます。
話しかける内容も実はシリアスなことでありながら
深刻さの微塵もなく
楽天的な声調そのものです。
◇
この墓碑銘のために
この詩は作られたかのような
この墓碑銘のメタファーは
考えどころであるかのような頂点に至って
詩は閉じられます。
◇
ここにあるメタファーは
無神論?
それとも
自由?
それとも
共和国?
それとも
幸福?
……。
◇
このような問いが無意味であるような。
そういうふうに置き換えることを拒むような。
何かへの反意を表明しているのは確かなような。
反発(反対)の意図だけがはっきりしているような。
◇
メッセージの主要な部分が
これらの詩行に含まれているはずですが
それが眉間(みけん)に青筋を立てて
表明されていないところに
この墓碑銘が訴える姿勢はあります。
それを書いたら
詩論になっちゃいます
――とその一線を越えようとしていません。
◇
実はここに
詩人のゲンダイシがはじまっています。
その流れでいっても
この詩を現代かな遣いで読み返すことは
無意味ではないことでしょう。
◇
しごと
きんいろのペンでえがく
この いっぽん道
ときどき 振りかえり
ともそう 白いすずらん燈
植えよう においのいい花を咲かせるミモザ並木
いちばんさきに通るのは風
そのつぎは犬
こども 自転車 牛乳配達車
散歩のふたりづれ
だんだん広くなる 長くなる
やがてほとりに住みよい町が生れる
本屋
金魚や
“つるし”の洋服
バナナのせり売り
“だし”のにおい漂うそば屋の横を入れば
お嫁をもらった誰かさんのニュー・ホーム
もっとえがこう
きんいろのペンが凍えるまで
この道の終点につくるはずのわたしのお墓
墓碑銘をかんがえる
――この国には
お役人も議事堂もいらないのよ
祈禱椅子はみんな自家製よ
神さまもそれぞれ
フライパンの中で
オムレツみたいに焼いてつくるのよ
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原文のルビは“ ”で示しました。編者。)
◇
途中ですが
今回はここまで。
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