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2017年4月30日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・続/「米子」

 

 

中原中也が、女性を歌った詩は沢山ありますが

「米子」に現われる女性にも

恋もしくは恋に似た感情がただようようで

ついつい取り上げてみたくなりました。

 

第1次形態(いわゆる初稿のことです)は

1936年(昭和11年)10月と推定されています。

 

「在りし日の歌」の最終詩の少し前に配置されています。

 


 

米 子

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

 肺病やみで、腓(ひ)は細かった。

ポプラのように、人も通らぬ

歩道に沿(そ)って、立っていた。

 

処女(むすめ)の名前は、米子(よねこ)と云(い)った。

 夏には、顔が、汚れてみえたが、

 冬だの秋には、きれいであった。

――かぼそい声をしておった。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

お嫁に行けば、その病気は

癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら

私はたびたび処女(むすめ)をみた……

 

しかし一度も、そうと口には出さなかった。

 別に、云(い)い出しにくいからというのでもない

云って却(かえ)って、落胆させてはと思ったからでもない、

なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

 歩道に沿って立っていた、

 雨あがりの午後、ポプラのように。

――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

同情とか憐れみとかと

恋(心)とか愛(情)とかとを

そう容易に区別できるものではなく

ことさら愛との間には

即物的な一線を引かないほうがベターであることが多いようですが

この詩には

少なくとも好意があることを断言してもよいでしょう。

 

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