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« 詩人、大岡信さん死去。 | トップページ | 新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「晩春秘唱」の別れ »

2017年4月 8日 (土)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/豊かな「れんげ畠」

 

 

れんげ畠

 

れんげ田に

ひとり寝て

ひとり仰いだ

空あをし

 

れんげ綴りし

首かざり

はかなく風に

とけにけり

 

わが吹きならす

口笛は

をとめ子ゆゑに

うら寂し

 

れんげ畠に

ひとり寝て

心 れんげに

染まるらむ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。)

 

 

この詩は

おそらく最も初期の作品の一つでしょう。

 

戦前の作品ですし

初めは文語定型詩になるのは

自然の流れですし。

 

 

一面に咲く濃いピンクのれんげ畠にやってきた少女が

仰向けになって見上げた空は青い。

 

摘み取って作った首飾りは

風にあたってもはや萎れている。

 

口笛が口をついて出てくるが

少女の口笛だから寂しげだ。

 

れんげ畠に一人寝ていると

こころはれんげに染まります。

 

 

シンプルな詩ゆえ

読むむずかしさを迫られます。

 

詩行を一通り追ってみると

詩のなかに入ることができますが

パラフレーズすれば

詩を失うことは歴然としています。

 

 

ある行為を書き留め

その時生じた心を歌うのに

行分けすれば詩ができる、

ルフランすれば詩ができる、といってしまえば

詩作りは余程簡単なことになってしまいますが

詩を作る最初には

詩に親近する手法の糸口というものがあり

その糸口の一つが

行分けでありルフランであり

定型へのはじまりであるということくらいは

言い切って可能でしょう。

 

その上この詩は

文語体七五調の形(定型)で作られています。

 

 

この詩には、その上、

擬人法や比喩や象徴化といった

修辞こそ見当たらないものの

心を述べ

心を歌うときに

そのものになってしまうという方法への萌芽があります。

 

心 れんげに染まるらむ

(心はれんげ色に染まる、としないところ)

――は

やがて(もしくは、すでに)

「ひばりの様に」の、

胸はりさけて死んだとて

それでよいではないですか

や、

「冬の金魚」の、

ひらひら ひらひら

や、

「雲」の、

すでに

雲は雲ではなかった

――などに通じています。

 

 

さらにこの詩の最大の醍醐味は

一人ぼっちの寂しさの調べを歌いながら

寂しさを一つ一つ拾い集めて

寂しさの豊かさみたいな

寂しさがいっぱいあるような

賑やかな表現に達しているところです。

 

寂しさを思う存分に

歌っているところです。

 

 

次の詩にも

同じようなことが言えるでしょう。

 

 

夕立あと

 

夕立あとの

空のよな

明るい心に

なりませう

 

夕立あとの

雲のよな

大きなのぞみを

持ちませう

 

夕立あとの

虹のよな

美しい娘(こ)に

そだちませう

 

 

女学生の抒情の豊かさは

絢爛(けんらん)の域にあります。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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