中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その11/「或る夜の幻想(1・3)」
「或る夜の幻想」は
「四季」昭和12年(1937年)3月号に
全6節の連作構成詩として発表されましたが
「在りし日の歌」には
第2節が「村の時計」として
第4、5、6節が「或る男の肖像」として収録され
第1節「彼女の部屋」と第3節「彼女」は削除されました。
ですから「或る夜の幻想」というタイトルの詩は
「四季」誌上でしか読むことはできません。
「新編中原中也全集」はこれを踏まえ
「或る夜の幻想」の削除された部分を
「或る夜の幻想(1・3)」のタイトルで
「生前発表詩篇」の中に分類して
読むことができるようにしています。
◇
或る夜の幻想(1・3)
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があった
その箪笥は
かわたれどきの色をしていた
彼女には
書物や
其(そ)の他(ほか)色々のものもあった
が、どれもその箪笥(たんす)に比べては美しくもなかったので
彼女の部屋には箪笥だけがあった
それで洋服箪笥の中は
本でいっぱいだった
3 彼 女
野原の一隅(ひとすみ)には杉林があった。
なかの一本がわけても聳(そび)えていた。
或(あ)る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。
一つ一つの挙動(きょどう)は、まことみごとなうねりであった。
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあった。
(「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えました。)
◇
ここに登場する彼女は
長谷川泰子以外を想像することはできませんが
もはや長谷川泰子というモデルは
固有名詞である以上に
普遍性(永遠性)を有する存在になっているようで
なんとも不思議な感覚になります。
人によって受け止め方は違うのでしょうが
実在のモデルであることは変わりようがないのですが
詩の中に現われた途端に
何か血の流れる身体というよりも
どこかしら作り物めいた人工的なイメージさえするのは
詩に現れる女性が
もともとシュール(超現実的)に描かれているからでしょうか。
◇
「四季」発表の1937年は
詩人の最晩年になります。
遠い日の恋を歌うパワーは
いまだ衰えを知らなかったのです。
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