中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その12/「初恋集」
恋の思い出を思い出すことは
恋することよりも幸せなことだと言ったら
そりゃ思想の逆立(さかだ)ちだと笑われそうな
本末転倒でしょうか?
中也がどうであったかはわかりかねますが
「初恋集」を読んでいると
初恋したあの時よりも
思い出している今が
ずっと幸せな気持ちになっている自分があり
はっとして
その後、微笑がこぼれます。
◇
初恋集
すずえ
それは実際あったことでしょうか
それは実際あったことでしょうか
僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?
ああそんなことが、あったでしょうか。
あなたはその時十四でした
僕はその時十五でした
冬休み、親戚で二人は会って
ほんの一週間、一緒に暮した
ああそんなことがあったでしょうか
あったには、ちがいないけど
どうもほんとと、今は思えぬ
あなたの顔はおぼえているが
あなたはその後遠い国に
お嫁に行ったと僕は聞いた
それを話した男というのは
至極(しごく)普通の顔付していた
それを話した男というのは
至極普通の顔していたよう
子供も二人あるといった
亭主は会社に出てるといった
(一九三五・一・一一)
むつよ
あなたは僕より年が一つ上で
あなたは何かと姉さんぶるのでしたが
実は僕のほうがしっかりしてると
僕は思っていたのでした
ほんに、思えば幼い恋でした
僕が十三で、あなたが十四だった。
その後、あなたは、僕を去ったが
僕は何時まで、あなたを思っていた……
それから暫(しばら)くしてからのこと、
野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを
あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、
それと、暫く遊んでいました
僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。
僕がどんなに泣き笑いしたか、
野原の若草に、夕陽が斜めにあたって
それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。
(一九三五・一・一一)
終歌
噛(か)んでやれ。叩いてやれ。
吐(ほ)き出してやれ。
吐き出してやれ!
噛んでやれ。(マシマロやい。)
噛んでやれ。
吐き出してやれ!
(懐かしや。恨めしや。)
今度会ったら、
どうしよか?
噛んでやれ。噛んでやれ。
叩いて、叩いて、
叩いてやれ!
(一九三五・一・一一)
(「新編中原中也全集」第2巻より。新かなに変えました。)
◇
この詩を詩人が書く気になった胸のうちを思うと
なんだか心があたたまります。
あの時の幸せが
こちらにも乗り移ってきます。
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