中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その15/「みちこ」
大きく捉えれば失恋の歌、片恋の歌と言えても
中原中也の恋の詩は
同じ調子の単旋律ではありません。
「山羊の歌」中の恋歌と「在りし日の歌」中の恋歌が
異なる響きを持つのは当然にしても
「山羊の歌」の中だけでも
恋の歌の旋律は色々に変化します。
◇
みちこ
そなたの胸は海のよう
おおらかにこそうちあぐる。
はるかなる空、あおき浪、
涼しかぜさえ吹きそいて
松の梢(こずえ)をわたりつつ
磯白々(しらじら)とつづきけり。
またなが目にはかの空の
いやはてまでもうつしいて
竝(なら)びくるなみ、渚なみ、
いとすみやかにうつろいぬ。
みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)
沖ゆく舟にみとれたる。
またその顙(ぬか)のうつくしさ
ふと物音におどろきて
午睡(ごすい)の夢をさまされし
牡牛(おうし)のごとも、あどけなく
かろやかにまたしとやかに
もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。
しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして
ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して
絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、
海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ
沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる
空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
詩に歌われている女性が
実在のモデルがあって
その女性を歌ったものであるかどうか。
「みちこ」が
長谷川泰子を歌った詩であるか
大岡昇平は別の女性の可能性を指摘していますが
これも特定できるものではなさそうです。
◇
モデルの実証に心を奪われるよりも
中也の恋の詩をいくつか読んできて
この詩に巡り合うと
これまで読んで来た詩と異なる世界に降り立つようです。
この経験は
新しいコンチェルト(協奏曲)の名演奏を聴くときの
新鮮な気持ちに似ています。
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