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2017年5月14日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その14/「盲目の秋」

 

 

 

 

恋の歌とは

多くが破局の歌であり

別れの歌であり

失恋の歌であると言えるでしょうか。

 

これも断言できることではありませんが

「愛してる」「わたしもよ」

――だけの甘苦しい歌は

それを歌いたいあなただけに任せます

勝手にしなさい

――と言いたくなる人は多いことでしょう。

 

 

ここで

失恋の歌の白眉。

 

恋の詩の傑作。

 

ゲンダイシにも

なかなかお目にかかれない中也、渾身の名作です。

 

 

盲目の秋    

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

   無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

   それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

   無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

   その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

   去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

   

 厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

   無限のまえに腕を振る。

 

   Ⅱ

 

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、

そんなことはどうでもいいのだ。

 

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、

そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

 

人には自恃(じじ)があればよい!

その余(あまり)はすべてなるままだ……

 

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、

ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。

 

平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、

朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

 

   Ⅲ

 

私の聖母(サンタ・マリヤ)!

   とにかく私は血を吐いた! ……

おまえが情けをうけてくれないので、

   とにかく私はまいってしまった……

 

それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、

   それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、

 私がおまえを愛することがごく自然だったので、

   おまえもわたしを愛していたのだが……

 

おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!

   いまさらどうしようもないことではあるが、

せめてこれだけ知るがいい――

 

ごく自然に、だが自然に愛せるということは、

   そんなにたびたびあることでなく、

そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

 

   Ⅳ

 

せめて死の時には、

あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。

   その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、

   その時は白粧をつけていてはいや。

 

ただ静かにその胸を披いて、

 私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。

   何にも考えてくれてはいや、

   たとえ私のために考えてくれるのでもいや。

 

ただはららかにはららかに涙を含み、

あたたかく息づいていて下さい。

――もしも涙がながれてきたら、

 

いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、

それで私を殺してしまってもいい。

すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

この詩も

「白痴群」第6号に発表され

この号のために制作したとされていますから

1930年(昭和5年)の1、2月ですが

前年の作という推定もあります。

 

 

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