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2017年5月20日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その17/「汚れっちまった悲しみに…… 」

 

 

「山羊の歌」の「みちこ」の章には

有名な「汚れっちまった悲しみに……」があり

これが「みちこ」と「無題」の間に配置されています。

 

「汚れっちまった悲しみに……」が

失恋を歌った詩であることも

疑うことはできませんが

失恋の歌以上の深みがあるゆえに

失恋の詩とわざわざ言わなくてよいかのように

愛唱されてきました。

 

 

汚れっちまった悲しみに……

 

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革裘(かわごろも)

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

 

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気(おじけ)づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

悲しみのうえに汚れが重なっているということなら

泣きっ面に蜂の状態だ

――と言いかえただけで

失われる詩がありますから

その分を差し引いて感じ取ることが大事です。

 

「盲目の秋」がそうであったように

この詩が失恋を歌って

失恋以上を歌っていて

ではそれは何かと問いはじめると

詩を見失なってしまうので

自然、また歌を口ずさむと

詩が戻って来る

――というような循環が心地よい歌です。

 

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