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2017年5月25日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その20/「寒い夜の自我像」

 

 

さて、この詩を恋の詩と呼んでいいか。

 

恋の詩とは

言わないのが普通でしょう。

 

そう呼ぶには

恋人は遠いところにいます。

 

都会の冬の夜、

恋人であった女性は

あっちの方で鼻唄を歌う群れの一人です。

 

 

寒い夜の自我像

 

きらびやかでもないけれど

この一本の手綱(たずな)をはなさず

この陰暗の地域を過ぎる!

その志(こころざし)明らかなれば

冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず

人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや

憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を

わが瑣細(ささい)なる罰と感じ

そが、わが皮膚を刺すにまかす。

 

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、

聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって

われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める

寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

 

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、

わが魂の願うことであった!

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

実際に鼻唄を歌っていたのを聞いたのか

喩(メタファー)であるかもしれない

そういう噂が流れてきたのを知っただけなのかもしれない。

 

女は

近くにいるものでないことははっきりしています。

 

 

 

「山羊の歌」の中で

「わが喫煙」や

「時こそ今は……」のように

恋人が至近距離にある時間を歌ったのと異なり

「寒い夜の自我像」に現われる女性は

あっちの方の別の世界の時間を生きている存在です。

 

 

この詩が「白痴群」創刊号に発表されたとき

詩末に記された制作日時は

昭和4年(1929年)1月20日でした。

 

 

女性はこの詩で遠景にありますが

過去形(時制)で歌われてはいません。

 

恋人でもなんでもない

街行く女性と読んでもいいのですが

自我像にまったくの赤の他人が現われる理由もありませんから

長谷川泰子以外をイメージすることも困難です。

 

そんなことを知らなくても

この詩を読むことはできますが

「盲目の秋」

「わが喫煙」

「妹よ」と並んで

「少年時」の章に配置されているのは

この詩が歴史的現在という時制で

過去(の出来事)を歌った詩群の一つであることを物語るものでしょう。

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