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2017年5月

2017年5月31日 (水)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その24/「含羞」

 

「在りし日の歌」になると

現われる女性は一段と謎めいて

モデルを探すなどという実証的アプローチは

いよいよ無意味になると言えば

言い過ぎでしょうか?

 

早い時期に作られた詩であっても

「在りし日の歌」の詩が

もはや「山羊の歌」に置かれた詩とは異なるのは

音楽の長調から短調への変化(転調、移調)に

譬えることができそうです。

 

長男・文也の死の影が

この詩集には

色濃く射していることを断ることはないでしょう。

 

 

含 羞(はじらい)

        ――在りし日の歌――

 

なにゆえに こころかくは羞(は)じらう

秋 風白き日の山かげなりき

椎(しい)の枯葉の落窪(おちくぼ)に

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

空は死児等(しじら)の亡霊にみち まばたきぬ

おりしもかなた野のうえは

”あすとらかん”のあわい縫(ぬ)う 古代の象の夢なりき

 

椎の枯葉の落窪に

幹々は いやにおとなび彳ちいたり

その日 その幹の隙(ひま) 睦(むつ)みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

 

その日 その幹の隙 睦みし瞳

姉らしき色 きみはありにし

ああ! 過ぎし日の 仄(ほの)燃えあざやぐおりおりは

わが心 なにゆえに なにゆえにかくは羞じらう……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。原文の傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

それにしてもこの詩は(詩人は)

なぜ、なにを、羞じらっているのでしょうか?

 

詩(人)が羞じらう理由を問うほどに

湧き立ってくる疑問のなかに

読み手も同じように立たされますが

詩(人)がその答えを知っていたとしても

読み手に答えはすぐに見つかりません。

 

謎は

永久に読み手のなかに残されるのでしょうか。

 

 

次々に

謎が立ち上ってきます。

 

とりわけ

この詩に現れる女性らしき人物の謎は

深まるばかりです。

 

 

幹々(みきみき)は いやにおとなび彳(た)ちいたり

――は、幹の擬人化ですし

 

枝々の 拱(く)みあわすあたりかなしげの

――は、枝の擬人化ですから

ともに植物の擬人化ですから

性別を問う必要はないのかもしれませんが

 

第3連、第4連に来て

姉らしき色 きみはありにし

――とルフランされる

「姉」「きみ」は

女性です。

 

男性を女性に見立てた暗喩と考えることもできるのですから

性別を問うことはないのかもしれませんが

やはり

ここは女性と見做すのが自然です。

 

 

そのひとは

どのような存在だったのでしょうか?

 

謎がますます深くなり

この詩の深み(魅力)がますます増していくから

不思議です。

2017年5月29日 (月)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その23/「憔悴」

 

 

「憔悴」の主人公は

やつれた顔の船頭(せんどう)です

少なくとも、最初の章では。

 

此の世(人生)を海のようなものと考えた私が

夜の海を漕いで行きます。

 

 

憔 悴

 

        Pour tout homme, il vient une èpoque
     

        où l'homme languit. ―Proverbe.


        Il faut d'abord avoir soif……
                       

                  ――Cathèrine de Mèdicis.

 

私はも早、善(よ)い意志をもっては目覚めなかった

起きれば愁(うれ)わしい 平常(いつも)のおもい

私は、悪い意志をもってゆめみた……

(私は其処(そこ)に安住したのでもないが、

其処を抜け出すことも叶(かな)わなかった)

そして、夜が来ると私は思うのだった、

此(こ)の世は、海のようなものであると。

 

私はすこししけている宵(よい)の海をおもった

其処を、やつれた顔の船頭(せんどう)は

おぼつかない手で漕(こ)ぎながら

獲物があるかあるまいことか

水の面(おもて)を、にらめながらに過ぎてゆく

 

   Ⅱ

 

昔 私は思っていたものだった

恋愛詩なぞ愚劣(ぐれつ)なものだと

 

今私は恋愛詩を詠(よ)み

甲斐(かい)あることに思うのだ

 

だがまだ今でもともすると

恋愛詩よりもましな詩境にはいりたい

 

その心が間違っているかいないか知らないが

とにかくそういう心が残っており

 

それは時々私をいらだて

とんだ希望を起(おこ)させる

 

昔私は思っていたものだった

恋愛詩なぞ愚劣なものだと

 

けれどもいまでは恋愛を

ゆめみるほかに能がない

 

   Ⅲ

 

それが私の堕落かどうか

どうして私に知れようものか

 

腕にたるんだ私の怠惰(たいだ)

今日も日が照る 空は青いよ

 

ひょっとしたなら昔から

おれの手に負えたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ

 

真面目(まじめ)な希望も その怠惰の中から

憧憬(しょうけい)したのにすぎなかったかもしれぬ

 

ああ それにしてもそれにしても

ゆめみるだけの 男になろうとはおもわなかった!

 

   Ⅳ

 

しかし此の世の善だの悪だの

容易に人間に分りはせぬ

 

人間に分らない無数の理由が

あれをもこれをも支配しているのだ

 

山蔭(さんいん)の清水のように忍耐ぶかく

つぐんでいれば愉(たの)しいだけだ

 

汽車からみえる 山も 草も

空も 川も みんなみんな

 

やがては全体の調和に溶けて

空に昇って 虹となるのだろうとおもう……

 

   Ⅴ

 

さてどうすれば利(り)するだろうか、とか

どうすれば哂(わら)われないですむだろうか、とかと

 

要するに人を相手の思惑(おもわく)に

明けくれすぐす、世の人々よ、

 

僕はあなたがたの心も尤(もっと)もと感じ

一生懸命郷(ごう)に従ってもみたのだが

 

今日また自分に帰るのだ

ひっぱったゴムを手離したように

 

そうしてこの怠惰の窗(まど)の中から

扇(おうぎ)のかたちに食指をひろげ

 

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む

蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

 

夜(よる)は夜とて星をみる

ああ 空の奥、空の奥。

 

   Ⅵ

 

しかし またこうした僕の状態がつづき、

僕とても何か人のするようなことをしなければならないと思い、

自分の生存をしんきくさく感じ、

ともすると百貨店のお買上品届け人にさえ驚嘆(きょうたん)する。

 

そして理窟(りくつ)はいつでもはっきりしているのに

気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑(かいぎ)の小屑(おくず)が一杯です。

それがばかげているにしても、その二っつが

僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。

 

と、聞えてくる音楽には心惹(ひ)かれ、

ちょっとは生き生きしもするのですが、

その時その二っつは僕の中に死んで、

 

ああ 空の歌、海の歌、

僕は美の、核心を知っているとおもうのですが

それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

なぜ「Ⅱ」で唐突に

恋愛詩論が歌われるのでしょうか?

 

はじめ戸惑いますが

詩人が

船を漕ぎ獲物を狙う船頭に譬えられたからであることを理解します。

 

詩を作ることが

獲物を狙う船頭に見立てられることが

はじめは飛躍のようですが

詩人の飢餓感や切実さを示すものと

すぐに理解します。

 

そこで恋愛詩が

獲物かどうかを述べ立てられるのですから

なまじいのことではありませんが

どこかしらお道化たトーンを帯びはじめるのは

「怠惰」が現われるからでしょうか。

 

 

怠惰や堕落や(ここには使われませんが)倦怠や

詩人のテーマのような領域に

恋愛詩(論)は根っこに絡んで

大展開されてゆきます。

 

「Ⅴ」の

青空を喫(す)う 閑(ひま)を嚥(の)む

蛙(かえる)さながら水に泛(うか)んで

――や

 

「Ⅵ」の最終行(この詩の最終行)

それにしても辛いことです、怠惰を逭(のが)れるすべがない!

――に

くっきりしたイメージが刻まれますが

詩全体は

なにやら広大無辺の世界までを歌って

空の歌、海の歌へ

落ち着くところも無限の方向を目指すかのようですが。

 

 

「山羊の歌」は

最終詩「いのちの声」へつながっていきます。

 

2017年5月28日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その22/「羊の歌」

 

 

中原中也の恋の詩の深みは

それをLove song と言うには

あまりに広大な意味が含まれるため

わざわざ恋唄とカテゴライズするまでもないのですが

かといって思想詩とか抒情詩とかと言うだけでも

物足りないものが多いので

やはりここで読んでおきたい詩があります。

 

「山羊の歌」最終章の「羊の歌」です。

 

 

羊の歌

        安原喜弘に

 

   Ⅰ 祈 り

 

死の時には私が仰向(あおむ)かんことを!

この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!

それよ、私は私が感じ得なかったことのために、

罰されて、死は来たるものと思うゆえ。

 

ああ、その時私の仰向かんことを!

せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!

 

   Ⅱ

 

思惑(おもわく)よ、汝(なんじ) 古く暗き気体よ、

わが裡(うち)より去れよかし!

われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、

とまれ、清楚(せいそ)のほかを希(ねが)わず。

 

交際よ、汝陰鬱(いんうつ)なる汚濁(おじょく)の許容よ、

更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!

 

われはや孤寂(こじゃく)に耐えんとす、

わが腕は既(すで)に無用の有(もの)に似たり。

 

汝、疑いとともに見開く眼(まなこ)よ

見開きたるままに暫(しば)しは動かぬ眼よ、

ああ、己(おのれ)の外(ほか)をあまりに信ずる心よ、

 

それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、

わが裡より去れよかし去れよかし!

われはや、貧しきわが夢のほかに興(きょう)ぜず

 

   Ⅲ

 

我が生は恐ろしい嵐のようであった、

其処此処に時々陽の光も落ちたとはいえ。

                    ボードレール

 

九歳の子供がありました

女の子供でありました

世界の空気が、彼女の有であるように

またそれは、凭(よ)っかかられるもののように

彼女は頸(くび)をかしげるのでした

私と話している時に。

 

私は炬燵(こたつ)にあたっていました

彼女は畳に坐っていました

冬の日の、珍(めずら)しくよい天気の午前

私の室には、陽がいっぱいでした

彼女が頸かしげると

彼女の耳朶(みみのは)陽に透(す)きました。

 

私を信頼しきって、安心しきって

かの女の心は密柑(みかん)の色に

そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといって

鹿のように縮かむこともありませんでした

私はすべての用件を忘れ

この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(じゅくどくがんみ)しました。

 

   Ⅳ

 

さるにても、もろに佗(わび)しいわが心

夜(よ)な夜なは、下宿の室(へや)に独りいて

思いなき、思いを思う 単調の

つまし心の連弾(れんだん)よ……

 

汽車の笛(ふえ)聞こえもくれば

旅おもい、幼(おさな)き日をばおもうなり

いなよいなよ、幼き日をも旅をも思わず

旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……

 

思いなき、おもいを思うわが胸は

閉(と)ざされて、醺生(かびは)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ

しらけたる脣(くち)、乾きし頬(ほお)

酷薄(こくはく)の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……

 

これやこの、慣れしばかりに耐えもする

さびしさこそはせつなけれ、みずからは

それともしらず、ことように、たまさかに

ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

 

この詩の「Ⅲ」「Ⅳ」あたりに

女性は影のように現れます。

 

「Ⅲ」の少女は

まさしく少女以外ではありませんが

愛する女性の

少女のような一面を捉えた喩(メタファー)として読むことも可能ですし

「Ⅳ」の最終行(この詩の最終行)

ながる涙は、人恋(ひとこ)うる涙のそれにもはやあらず……

――は

人(女性)を恋する涙のことではもはやなくて……

――と読むことができて

まさに恋以上のこころについて歌っている詩ということになります。

 

 

この詩は

恋を否定したものではありません。

 

恋と呼ぶに呼べない

呼ばなくてもよいが

そのこころを含めてそれ以上のこころを歌っています。

 

 

「羊の歌」の次に配置された「憔悴」は

ズバリ恋愛詩そのものの意義についての

詩人の思索が深められます。

2017年5月26日 (金)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その21/「コキュ―の憶い出」

 

 

「寒い夜の自我像」に出てくる自我像は

自画像の書き間違いや誤植なのではありません。

 

自我(=エゴ)の意味を

自画(=draw myself)に含ませようとした

詩人の造語です。

 

 

この語「自我像」が現われる詩が

ほかにもあります。

 

 

コキューの憶い出

 

その夜私は、コンテで以(もっ)て自我像を画(か)いた

風の吹いてるお会式(えしき)の夜でした

 

打叩(うちたた)く太鼓の音は風に消え、

私の机の上ばかり、あかあかと明り、

 

女はどこで、何を話していたかは知る由(よし)もない

私の肖顏(にがお)は、コンテに汚れ、

 

その上に雨でもバラつこうものなら、

まこと傑作な自我像は浮び、

 

軋(きし)りゆく、終夜電車は、

悲しみの余裕を奪い、

 

あかあかと、あかあかと私の画用紙の上は、

けれども悲しい私の肖顏が浮んでた。

 

(「新編中原中也全集」第2巻「早大ノート」より。現代かなに変えました。)

 

 

コキュ―はcocuというフランス語で

妻に密通されてしまった男のこと。

 

文学の先輩、小林秀雄と長谷川泰子の密会にはじまる

「奇怪な三角関係」(小林秀雄)を

中原中也の側に焦点を当てたときに使われます。

 

 

この詩の草稿は「早大ノート」に残されてあり

昭和6年(1931年)10月中旬の制作と推定されています。

 

泰子が小林の元へ走った事件が起きたのは

大正14年(1925年)11月下旬ですから

およそ6年前の出来事が

自我像を描く行為の中に思い出されるという構成の詩

――と読めば

まるでリアリズムの詩となるばかりですが。

 

詩人のこうむった痛手は

6年を経ても

癒えることがなかったことを物語り

このように真正面から傷に向かうことによって

一歩でも前に進もうとした形跡であることも確かでしょう。

 

 

中原中也の恋の詩の深みは

この辺の事情に発生していると言えるほど

大正11年の出来事は大きな事件でした。

 

 

2017年5月25日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その20/「寒い夜の自我像」

 

 

さて、この詩を恋の詩と呼んでいいか。

 

恋の詩とは

言わないのが普通でしょう。

 

そう呼ぶには

恋人は遠いところにいます。

 

都会の冬の夜、

恋人であった女性は

あっちの方で鼻唄を歌う群れの一人です。

 

 

寒い夜の自我像

 

きらびやかでもないけれど

この一本の手綱(たずな)をはなさず

この陰暗の地域を過ぎる!

その志(こころざし)明らかなれば

冬の夜を我(われ)は嘆(なげ)かず

人々の憔懆(しょうそう)のみの愁(かな)しみや

憧れに引廻(ひきまわ)される女等(おんなら)の鼻唄を

わが瑣細(ささい)なる罰と感じ

そが、わが皮膚を刺すにまかす。

 

蹌踉(よろ)めくままに静もりを保ち、

聊(いささ)かは儀文(ぎぶん)めいた心地をもって

われはわが怠惰(たいだ)を諫(いさ)める

寒月(かんげつ)の下を往(ゆ)きながら。

 

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、

わが魂の願うことであった!

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

実際に鼻唄を歌っていたのを聞いたのか

喩(メタファー)であるかもしれない

そういう噂が流れてきたのを知っただけなのかもしれない。

 

女は

近くにいるものでないことははっきりしています。

 

 

 

「山羊の歌」の中で

「わが喫煙」や

「時こそ今は……」のように

恋人が至近距離にある時間を歌ったのと異なり

「寒い夜の自我像」に現われる女性は

あっちの方の別の世界の時間を生きている存在です。

 

 

この詩が「白痴群」創刊号に発表されたとき

詩末に記された制作日時は

昭和4年(1929年)1月20日でした。

 

 

女性はこの詩で遠景にありますが

過去形(時制)で歌われてはいません。

 

恋人でもなんでもない

街行く女性と読んでもいいのですが

自我像にまったくの赤の他人が現われる理由もありませんから

長谷川泰子以外をイメージすることも困難です。

 

そんなことを知らなくても

この詩を読むことはできますが

「盲目の秋」

「わが喫煙」

「妹よ」と並んで

「少年時」の章に配置されているのは

この詩が歴史的現在という時制で

過去(の出来事)を歌った詩群の一つであることを物語るものでしょう。

2017年5月23日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その19/「雪の宵」

 

 

恋は終わっても

思い出すといとしくてしかたない――。

 

 

今、目の前にあるのは

ホテルの煙突です。

 

そこに恋人はいません。

 

 

雪の宵

        青いソフトに降る雪は

        過ぎしその手か囁きか  白 秋

 

ホテルの屋根に降る雪は

過ぎしその手か、囁(ささや)きか

  

  ふかふか煙突(えんとつ)煙吐(けむは)いて、

  赤い火の粉(こ)も刎(は)ね上る。

 

今夜み空はまっ暗で、

暗い空から降る雪は……

 

  ほんに別れたあのおんな、

  いまごろどうしているのやら。

 

ほんにわかれたあのおんな、

いまに帰ってくるのやら

 

  徐(しず)かに私は酒のんで

  悔(くい)と悔とに身もそぞろ。

 

しずかにしずかに酒のんで

いとしおもいにそそらるる……

 

  ホテルの屋根に降る雪は

  過ぎしその手か、囁きか

 

ふかふか煙突煙吐いて

赤い火の粉も刎ね上る。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

 

ホテルの煙突が

ふかふかと煙を吐いて

赤い火の粉が跳ねる、という現在形。

 

恋は現在形の中に

思い出されるだけのものです。

 

過去のものです。

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その18/「秋 」

 

 

初期詩篇

少年時

みちこ

羊の歌

――で構成される「山羊の歌」中の恋の詩は

これらの章が変るにつれて

微妙な変化をこうむっていくようでありますが

さてではどんな変化かというと

明確に言い切ることができないような変化です。

 

 

「山羊の歌」中「秋」には

「秋」

「雪の宵」

「生い立ちの歌」

「時こそ今は……」

――の恋歌がありますが

章題と同じタイトルの「秋」では

僕は死の予感の中にあり(1)

恋人と死の直前にかわす会話が詩になり(2)

やがて死んだ時の様子が恋人に語られる(3)ことになります。

 

 

 

   1

 

昨日まで燃えていた野が

今日茫然として、曇った空の下につづく。

一雨毎(ひとあめごと)に秋になるのだ、と人は云(い)う

秋蝉(あきぜみ)は、もはやかしこに鳴いている、

草の中の、ひともとの木の中に。

 

僕は煙草(たばこ)を喫(す)う。その煙が

澱(よど)んだ空気の中をくねりながら昇る。

地平線はみつめようにもみつめられない

陽炎(かげろう)の亡霊達が起(た)ったり坐(すわ)ったりしているので、

――僕は蹲(しゃが)んでしまう。

 

鈍い金色を滞びて、空は曇っている、――相変らずだ、――

とても高いので、僕は俯(うつむ)いてしまう。

僕は倦怠(けんたい)を観念して生きているのだよ、

煙草の味が三通(みとお)りくらいにする。

死ももう、とおくはないのかもしれない……

 

    2

 

『それではさよならといって、

みょうに真鍮(しんちゅう)の光沢かなんぞのような笑(えみ)を湛(たた)えて彼奴(あいつ)は、

あのドアの所を立ち去ったのだったあね。

あの笑いがどうも、生きてる者のようじゃあなかったあね。

 

彼奴(あいつ)の目は、沼の水が澄(す)んだ時かなんかのような色をしてたあね。

話してる時、ほかのことを考えているようだったあね。

短く切って、物を云うくせがあったあね。

つまらない事を、細かく覚えていたりしたあね。』

 

『ええそうよ。――死ぬってことが分っていたのだわ?

星をみてると、星が僕になるんだなんて笑ってたわよ、たった先達(せんだって)よ。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

たった先達よ、自分の下駄(げた)を、これあどうしても僕のじゃないっていうのよ。』

 

   3

 

草がちっともゆれなかったのよ、

その上を蝶々(ちょうちょう)がとんでいたのよ。

浴衣(ゆかた)を着て、あの人縁側に立ってそれを見てるのよ。

あたしこっちからあの人の様子 見てたわよ。

あの人ジッと見てるのよ、黄色い蝶々を。

お豆腐屋の笛が方々(ほうぼう)で聞えていたわ、

あの電信柱が、夕空にクッキリしてて、

――僕、ってあの人あたしの方を振向(ふりむ)くのよ、

昨日三十貫(かん)くらいある石をコジ起しちゃった、ってのよ。

――まあどうして、どこで?ってあたし訊いたのよ。

するとね、あの人あたしの目をジッとみるのよ、

怒ってるようなのよ、まあ……あたし怖かったわ。

 

死ぬまえってへんなものねえ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

恋の季節は流れて

ぞくっとする秋風が吹いています。

 

恋人の語る言葉だけで

秋の訪れが歌われます。

 

2017年5月20日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その17/「汚れっちまった悲しみに…… 」

 

 

「山羊の歌」の「みちこ」の章には

有名な「汚れっちまった悲しみに……」があり

これが「みちこ」と「無題」の間に配置されています。

 

「汚れっちまった悲しみに……」が

失恋を歌った詩であることも

疑うことはできませんが

失恋の歌以上の深みがあるゆえに

失恋の詩とわざわざ言わなくてよいかのように

愛唱されてきました。

 

 

汚れっちまった悲しみに……

 

汚れっちまった悲しみに

今日も小雪の降りかかる

汚れっちまった悲しみに

今日も風さえ吹きすぎる

 

汚れっちまった悲しみは

たとえば狐の革裘(かわごろも)

汚れっちまった悲しみは

小雪のかかってちぢこまる

 

汚れっちまった悲しみは

なにのぞむなくねがうなく

汚れっちまった悲しみは

倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

 

汚れっちまった悲しみに

いたいたしくも怖気(おじけ)づき

汚れっちまった悲しみに

なすところもなく日は暮れる……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

悲しみのうえに汚れが重なっているということなら

泣きっ面に蜂の状態だ

――と言いかえただけで

失われる詩がありますから

その分を差し引いて感じ取ることが大事です。

 

「盲目の秋」がそうであったように

この詩が失恋を歌って

失恋以上を歌っていて

ではそれは何かと問いはじめると

詩を見失なってしまうので

自然、また歌を口ずさむと

詩が戻って来る

――というような循環が心地よい歌です。

 

2017年5月19日 (金)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その16/「無題」

 

 

「無題」は

題が付けられなかった詩であるというよりも

「無題」という題の詩です。

 

題名を付けていない詩は

未完成であり

未発表ですが

「無題」は「無題」という詩で完成品ですし

発表された作品です。

 

現状(というのは最終形態である「山羊の歌」の中の詩)に至る

詩内容の変遷を知ることが

完成品を理解するのに役立つことでしょうが

まずは(最終的にも)

詩を読むことが「無題」という詩に近づく一番の近道となります。

 

 

無 題

 

   Ⅰ

 

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、

私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、

酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝

目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら

私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして

正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、

品位もなく、かといって正直さもなく

私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。

人の気持ちをみようとするようなことはついになく、

こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに

私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!

目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、

戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら

私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。

そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、

今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!

 

   Ⅱ

 

彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!

彼女は荒々しく育ち、

たよりもなく、心を汲(く)んでも

もらえない、乱雑な中に

生きてきたが、彼女の心は

私のより真っ直いそしてぐらつかない。

 

彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に

彼女は賢くつつましく生きている。

あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、

折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、

而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない

彼女は美しい、そして賢い!

 

甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!

しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。

我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、

彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、

唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。

そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!

 

   Ⅲ

 

かくは悲しく生きん世に、なが心

かたくなにしてあらしめな。

われはわが、したしさにはあらんとねがえば

なが心、かたくなにしてあらしめな。

 

かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)

魂に、言葉のはたらきあとを絶つ

なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの

うまし夢、またそがことわり分ち得ん。

 

おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて

悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む

わが世のさまのかなしさや、

 

おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、

人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき

熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。

 

   Ⅳ

 

私はおまえのことを思っているよ。

いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、

昼も夜も浸っているよ、

まるで自分を罪人ででもあるように感じて。

 

私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。

いろんなことが考えられもするが、考えられても

それはどうにもならないことだしするから、

私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。

 

またそうすることのほかには、私にはもはや

希望も目的も見出せないのだから

そうすることは、私に幸福なんだ。

 

幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、

いかなることとも知らないで、私は

おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!

  

    Ⅴ 幸福

 

幸福は厩(うまや)の中にいる

藁(わら)の上に。

幸福は

和(なご)める心には一挙にして分る。

 

  頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、

   せめてめまぐるしいものや

  数々のものに心を紛(まぎ)らす。

   そして益々(ますます)不幸だ。

 

幸福は、休んでいる

そして明らかになすべきことを

少しづつ持ち、

幸福は、理解に富んでいる。

 

  頑なの心は、理解に欠けて、

   なすべきをしらず、ただ利に走り、

   意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、

   人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。

 

されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。

従いて、迎えられんとには非ず、

従うことのみ学びとなるべく、学びて

汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!

  

(「新編中原中也全集」第2巻より。現代かなに変えました。)

 

 

 

「無題」ははじめ

この詩の第3節「Ⅲ」だけの

「詩友に」という題の詩でした。

 

「詩友に」は4連の独立したソネット形式で

「白痴群」に発表されたのが 

昭和4年(1929年)4月1日付けの創刊号でした。

 

昭和5年(1930年)4月1日付け発行の

「白痴群」第6号は終刊号ですが

この号に発表されたときに「詩友に」は

「無題」の第3節に組み込まれ

「詩友に」という題は削除されました。

 

この「無題」とほぼ同じ内容が

「山羊の歌」に収録されました。

 

 

以上の経過が

「無題」の変遷ということになります。

 

 

「詩友に」の詩友たちは

言うまでもなく

「白痴群」の同人や

広く、詩を目指す人々を指していますが

この中に長谷川泰子が含まれているところに

「無題」というタイトルになった理由があります。

 

「無題」が恋の詩でもある理由も

ここにありますが

全体重をかけて歌った恋の詩に

恋のタイトルをつけることを無用とした

詩人のこころが見えてくるような詩でもあります。

 

2017年5月16日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その15/「みちこ」

 

 

大きく捉えれば失恋の歌、片恋の歌と言えても

中原中也の恋の詩は

同じ調子の単旋律ではありません。

 

「山羊の歌」中の恋歌と「在りし日の歌」中の恋歌が

異なる響きを持つのは当然にしても

「山羊の歌」の中だけでも

恋の歌の旋律は色々に変化します。

 

 

みちこ

 

そなたの胸は海のよう

おおらかにこそうちあぐる。

はるかなる空、あおき浪、

涼しかぜさえ吹きそいて

松の梢(こずえ)をわたりつつ

磯白々(しらじら)とつづきけり。

 

またなが目にはかの空の

いやはてまでもうつしいて

竝(なら)びくるなみ、渚なみ、

いとすみやかにうつろいぬ。

みるとしもなく、ま帆片帆(ほかたほ)

沖ゆく舟にみとれたる。

 

またその顙(ぬか)のうつくしさ

ふと物音におどろきて

午睡(ごすい)の夢をさまされし

牡牛(おうし)のごとも、あどけなく

かろやかにまたしとやかに

もたげられ、さてうち俯(ふ)しぬ。

 

しどけなき、なれが頸(うなじ)は虹にして

ちからなき、嬰児(みどりご)ごとき腕(かいな)して

絃(いと)うたあわせはやきふし、なれの踊れば、

海原(うなばら)はなみだぐましき金にして夕陽をたたえ

沖つ瀬は、いよとおく、かしこしずかにうるおえる

空になん、汝(な)の息絶(た)ゆるとわれはながめぬ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

詩に歌われている女性が

実在のモデルがあって

その女性を歌ったものであるかどうか。

 

「みちこ」が

長谷川泰子を歌った詩であるか

大岡昇平は別の女性の可能性を指摘していますが

これも特定できるものではなさそうです。

 

 

モデルの実証に心を奪われるよりも

中也の恋の詩をいくつか読んできて

この詩に巡り合うと

これまで読んで来た詩と異なる世界に降り立つようです。

 

この経験は

新しいコンチェルト(協奏曲)の名演奏を聴くときの

新鮮な気持ちに似ています。

2017年5月14日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その14/「盲目の秋」

 

 

 

 

恋の歌とは

多くが破局の歌であり

別れの歌であり

失恋の歌であると言えるでしょうか。

 

これも断言できることではありませんが

「愛してる」「わたしもよ」

――だけの甘苦しい歌は

それを歌いたいあなただけに任せます

勝手にしなさい

――と言いたくなる人は多いことでしょう。

 

 

ここで

失恋の歌の白眉。

 

恋の詩の傑作。

 

ゲンダイシにも

なかなかお目にかかれない中也、渾身の名作です。

 

 

盲目の秋    

 

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、

   無限の前に腕を振る。

 

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、

   それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

   無限のまえに腕を振る。

 

もう永遠に帰らないことを思って

  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

 

私の青春はもはや堅い血管となり、

   その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

 

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、

   去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

   

 厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく

  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

 

      ああ、胸に残る……

 

風が立ち、浪が騒ぎ、

   無限のまえに腕を振る。

 

   Ⅱ

 

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、

そんなことはどうでもいいのだ。

 

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、

そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

 

人には自恃(じじ)があればよい!

その余(あまり)はすべてなるままだ……

 

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、

ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。

 

平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、

朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

 

   Ⅲ

 

私の聖母(サンタ・マリヤ)!

   とにかく私は血を吐いた! ……

おまえが情けをうけてくれないので、

   とにかく私はまいってしまった……

 

それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、

   それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、

 私がおまえを愛することがごく自然だったので、

   おまえもわたしを愛していたのだが……

 

おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!

   いまさらどうしようもないことではあるが、

せめてこれだけ知るがいい――

 

ごく自然に、だが自然に愛せるということは、

   そんなにたびたびあることでなく、

そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

 

   Ⅳ

 

せめて死の時には、

あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。

   その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、

   その時は白粧をつけていてはいや。

 

ただ静かにその胸を披いて、

 私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。

   何にも考えてくれてはいや、

   たとえ私のために考えてくれるのでもいや。

 

ただはららかにはららかに涙を含み、

あたたかく息づいていて下さい。

――もしも涙がながれてきたら、

 

いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、

それで私を殺してしまってもいい。

すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

この詩も

「白痴群」第6号に発表され

この号のために制作したとされていますから

1930年(昭和5年)の1、2月ですが

前年の作という推定もあります。

 

 

2017年5月13日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その13/「わが喫煙」

 

 

傍(はた)から見れば

似合いのカップルでも

相手を不服に思うこころがあったり

破局が訪れている段階であったりするわけですが

この詩がどのような段階の恋であるのか。

 

 

わが喫煙

 

おまえのその、白い二本の脛(すね)が、

   夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、

にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。

   店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、

 私がそれをみながら歩いていると、

   おまえが声をかけるのだ、

どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。

 

そこで私は、橋や荷足を見残しながら、

   レストオランに這入(はい)るのだ――

わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、

   さても此処(ここ)は別世界。

そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、

   かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、

 

 一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

絶頂を越えてしまった

恋であることは間違いなさそうです。

 

かなしく煙草をふかす詩人は

打つべき手がありません。

 

 

初出が「白痴群」第6号、

1930年(昭和5年)4月1日付けの発行です。

 

この年の1、2月もしくは前年の制作と推定されています。

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その12/「初恋集」

 

 

恋の思い出を思い出すことは

恋することよりも幸せなことだと言ったら

そりゃ思想の逆立(さかだ)ちだと笑われそうな

本末転倒でしょうか?

 

中也がどうであったかはわかりかねますが

「初恋集」を読んでいると

初恋したあの時よりも

思い出している今が

ずっと幸せな気持ちになっている自分があり

はっとして

その後、微笑がこぼれます。

 

 

初恋集  

 

すずえ

 

それは実際あったことでしょうか

それは実際あったことでしょうか

僕とあなたが嘗(かつ)ては愛した?

ああそんなことが、あったでしょうか。

 

あなたはその時十四でした

僕はその時十五でした

冬休み、親戚で二人は会って

ほんの一週間、一緒に暮した

 

ああそんなことがあったでしょうか

あったには、ちがいないけど

どうもほんとと、今は思えぬ

あなたの顔はおぼえているが

 

あなたはその後遠い国に

お嫁に行ったと僕は聞いた

それを話した男というのは

至極(しごく)普通の顔付していた

 

それを話した男というのは

至極普通の顔していたよう

子供も二人あるといった

亭主は会社に出てるといった

 

        (一九三五・一・一一)

 

むつよ

 

あなたは僕より年が一つ上で

あなたは何かと姉さんぶるのでしたが

実は僕のほうがしっかりしてると

僕は思っていたのでした

 

ほんに、思えば幼い恋でした

僕が十三で、あなたが十四だった。

その後、あなたは、僕を去ったが

僕は何時まで、あなたを思っていた……

 

それから暫(しばら)くしてからのこと、

野原に僕の家(うち)の野羊(やぎ)が放してあったのを

あなたは、それが家(うち)のだとしらずに、

それと、暫く遊んでいました

 

僕は背戸(せど)から、見ていたのでした。

僕がどんなに泣き笑いしたか、

野原の若草に、夕陽が斜めにあたって

それはそれは涙のような、きれいな夕方でそれはあった。

 

        (一九三五・一・一一)

 

終歌

 

噛(か)んでやれ。叩いてやれ。

吐(ほ)き出してやれ。

吐き出してやれ!

 

噛んでやれ。(マシマロやい。)

噛んでやれ。

吐き出してやれ!

 

(懐かしや。恨めしや。)

今度会ったら、

どうしよか?

 

噛んでやれ。噛んでやれ。

叩いて、叩いて、

叩いてやれ!

 

        (一九三五・一・一一)

 

(「新編中原中也全集」第2巻より。新かなに変えました。)

 

 

この詩を詩人が書く気になった胸のうちを思うと

なんだか心があたたまります。

 

あの時の幸せが

こちらにも乗り移ってきます。

 

2017年5月11日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その11/「或る夜の幻想(1・3)」

 

 

「或る夜の幻想」は

「四季」昭和12年(1937年)3月号に

全6節の連作構成詩として発表されましたが

「在りし日の歌」には

第2節が「村の時計」として

第4、5、6節が「或る男の肖像」として収録され

第1節「彼女の部屋」と第3節「彼女」は削除されました。

 

ですから「或る夜の幻想」というタイトルの詩は

「四季」誌上でしか読むことはできません。

 

「新編中原中也全集」はこれを踏まえ

「或る夜の幻想」の削除された部分を

「或る夜の幻想(1・3)」のタイトルで

「生前発表詩篇」の中に分類して

読むことができるようにしています。

 

 

或る夜の幻想(1・3)

 

    1 彼女の部屋

 

彼女には

美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があった

その箪笥は

かわたれどきの色をしていた

 

彼女には

書物や

其(そ)の他(ほか)色々のものもあった

が、どれもその箪笥(たんす)に比べては美しくもなかったので

彼女の部屋には箪笥だけがあった

 

  それで洋服箪笥の中は

  本でいっぱいだった

 

   3 彼 女

 

野原の一隅(ひとすみ)には杉林があった。

なかの一本がわけても聳(そび)えていた。

 

或(あ)る日彼女はそれにのぼった。

下りて来るのは大変なことだった。

 

それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。

一つ一つの挙動(きょどう)は、まことみごとなうねりであった。

 

夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、

背中にあった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えました。)

 

 

ここに登場する彼女は

長谷川泰子以外を想像することはできませんが

もはや長谷川泰子というモデルは

固有名詞である以上に

普遍性(永遠性)を有する存在になっているようで

なんとも不思議な感覚になります。

 

人によって受け止め方は違うのでしょうが

実在のモデルであることは変わりようがないのですが

詩の中に現われた途端に

何か血の流れる身体というよりも

どこかしら作り物めいた人工的なイメージさえするのは

詩に現れる女性が

もともとシュール(超現実的)に描かれているからでしょうか。

 

 

「四季」発表の1937年は

詩人の最晩年になります。

 

遠い日の恋を歌うパワーは

いまだ衰えを知らなかったのです。

2017年5月10日 (水)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その10/「別離」

 

 

 

ここでこの詩を読むことが

適当であるのか

正しいのか正しくないのか

よくわからないままに

やはり読むことにします。


 

「青い瞳」や「追懐」と同様に

この詩にも謎めいた詩行があり

詩人はそれを意図的に

説明しようとしていないという意図を含んでいるような詩です。

 

 

 

別 離

 

 

 

さよなら、さよなら!

 

いろいろお世話になりました

 

いろいろお世話になりましたねえ

 

いろいろお世話になりました

 

 

さよなら、さよなら!

 

こんなに良いお天気の日に

 

お別れしてゆくのかと思うとほんとに辛い

 

こんなに良いお天気の日に

 

 

さよなら、さよなら!

 

僕、午睡(ひるね)から覚(さ)めてみると

 

みなさん家を空けておいでだった

 

あの時を妙に思い出します

 

 

さよなら、さよなら!

 

そして明日の今頃は

 

長の年月見馴れてる

 

故郷の土をば見ているのです

 

 

さよなら、さよなら!

 

あなたはそんなにパラソルを振る

 

僕にはあんまり眩(まぶ)しいのです

 

あなたはそんなにパラソルを振る

 

 

さよなら、さよなら!

 

さよなら、さよなら!

 

 

        (一九三四・一一・一三)

 

 

   2

 

 

僕、午睡から覚めてみると、

 

みなさん、家を空けておられた

 

あの時を、妙に、思い出します

 

 

日向ぼっこをしながらに、

 

爪摘(つめつ)んだ時のことも思い出します、

 

みんな、みんな、思い出します

 

 

芝庭のことも、思い出します

 

薄い陽の、物音のない昼下り

 

あの日、栗を食べたことも、思い出します

 

 

干された飯櫃(おひつ)がよく乾き

 

裏山に、烏(からす)が呑気(のんき)に啼いていた

 

ああ、あのときのこと、あのときのこと……

 

 

僕はなんでも思い出します

 

僕はなんでも思い出します

 

でも、わけても思い出すことは

 

 

わけても思い出すことは……

 

——いいえ、もうもう云えません

 

決して、それは、云わないでしょう

 

 

   3

 

 

忘れがたない、虹と花、

 

  忘れがたない、虹と花

 

  虹と花、虹と花

 

 

どこにまぎれてゆくのやら

 

  どこにまぎれてゆくのやら

 

  (そんなこと、考えるの馬鹿)

 

 

その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、

 

いつかは、消えて、ゆくでしょう

 

(霙(みぞれ)とおんなじことですよ)

 

 

あなたは下を、向いている

 

向いている、向いている

 

さも殊勝(しゅしょう)らしく向いている

 

 

いいえ、こういったからといって

 

  なにも、怒(おこ)っているわけではないのです、

 

  怒っているわけではないのです

 

 

忘れがたない虹と花、

 

虹と花、虹と花、

 

(霙(みぞれ)とおんなじことですよ)

 

 

 

   4

 

 

何か、僕に、食べさして下さい。

 

何か、僕に、食べさして下さい。

 

きんとんでもよい、何でもよい、

 

何か、僕に食べさして下さい!

 

 

いいえ、これは、僕の無理だ、

 

  こんなに、野道を歩いていながら

 

  野道に、食物(たべもの)、ありはしない。

 

  ありません、ありはしません!

 

 

   5

 

 

向うに、水車が、見えています、

 

  苔むした、小屋の傍(そば)、

 

ではもう、此処(ここ)からお帰りなさい、お帰りなさい

 

  僕は一人で、行けます、行けます、

 

僕は、何を云ってるのでしょう

 

   いいえ、僕とて文明人らしく

 

もっと、他の話も、すれば出来た

 

  いいえ、やっぱり、出来ません出来ません

 

 

(「新編中原中也全集」第2巻所収「ノート小年時」より。新かなに変えました。原詩の傍点

は“ ”で示しました。編者。)

 


「1」に現われる「あの時」と

「2」に現われる「あの時」「あのとき」が

そもそも同じ時を示しているのか

異なる時なのか

「1」から「5」を通じる時間の流れが

一貫した時間であっても

同じ時であるかは不明ですし

別個の時間なのかもしれませんし

別離のさまざまな場面をコラージュしたのかもしれません。

 

 

「2」の末尾の3行、

わけても思い出すことは……

——いいえ、もうもう云えません

決して、それは、云わないでしょう

――は口が裂けても言えない秘密の存在を

意図的に匂わせるようで

そう匂わせたところで目的を達しているような詩の言葉なのかもしれず

そうならばその秘密は読者は知らなくてもよいことかもしれず

いずれにしてもじれったさが残ります。

 

 

別離は

家族、中でも、母親とのものも含まれたり

パラソルを振るところは

恋人のようにも受け取れますから

母親を恋人のように歌ったとも考えられますし

母親とは別の女性のイメージなのかもしれません。

2017年5月 9日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その9/「追懐」

 

 

一度使われた詩の言葉が

他の詩に再び現れることはよくあることですが

詩に謎めいた内容があるとき

それらを比較して

詩の味わいを深める手立てにすることは

それほど乱暴なことではありません。

 

何らかの手がかりが

つかめるかもしれないのですから

自然な方法の一つでしょう。

 

 

「青い瞳」の謎を解きほぐす材料になるかどうか、

「追懐」という未発表詩には

「黄色い灯影」という詩語が使われていますが

これは「青い瞳」にも出てきました。

 

 

追 懐

 

あなたは私を愛し、

私はあなたを愛した。

 

あなたはしっかりしており、

わたしは真面目であった。――

 

人にはそれが、嫉(ねた)ましかったのです、多分、

そしてそれを、偸(ぬす)もうとかかったのだ。

 

嫉み羨(うらや)みから出発したくどきに、あなたは乗ったのでした、

――何故(なぜ)でしょう?――何かの拍子……

 

そうしてあなたは私を別れた、

あの日に、おお、あの日に!

 

曇って風ある日だったその日は。その日以来、

もはやあなたは私のものではないのでした。

 

私は此処(ここ)にいます、黄色い灯影に、

あなたが今頃笑っているかどうか、――いや、ともすればそんなこと、想っていたりするのです

 

         (一九二九・七・一四)

 

(「新編中原中也全集」第2巻所収「ノート小年時」より。新かなに変えました。)

 



詩末に付記されているように

この詩は1929年(昭和4年)7月14日に制作されました。

 

「青い瞳」の制作は1935年(昭和10年)10月と推定されていますから

6年近くの隔たりがありますが

両者はまったく関係ないものとは

とても思えないほどに

特定の場面が鮮やかに浮かんできます。

 

それは男と女の離別の場面ですが

「追憶」の場面が「青い瞳」の場面につながる理由は

何一つ見つかりません。

 

「黄色い灯影」という詩語以外に。

2017年5月 8日 (月)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その8/「青い瞳」

 

 

 

恋の歌という扱いでいいのか

 

そう読むのは冒険であり

 

危険でもありますから

 

そのあたりを差し引いて読んでみてください。

 

 

誰もこの詩を

 

恋の歌と読んだことはないようですし

 

恋の歌と読まない方が当たっていることでしょうから。

 

 

 

 

青い瞳

 

 

 

1 夏の朝

 

 

かなしい心に夜(よ)が明けた、

 

   うれしい心に夜が明けた、

 

いいや、これはどうしたというのだ?

 

   さてもかなしい夜の明けだ!

 

 

青い瞳は動かなかった、

 

   世界はまだみな眠っていた、

 

そうして『その時』は過ぎつつあった、

 

   ああ、遐(とお)い遐いい話。

 

 

青い瞳は動かなかった、

 

   ――いまは動いているかもしれない……

 

青い瞳は動かなかった、

 

   いたいたしくて美しかった!

 

 

私はいまは此処(ここ)にいる、黄色い灯影(ほかげ)に。

 

   あれからどうなったのかしらない……

 

ああ、『あの時』はああして過ぎつつあった!

 

   碧(あお)い、噴き出す蒸気のように。

 

 

2 冬の朝

 

 

それからそれがどうなったのか……

 

それは僕には分らなかった

 

とにかく朝霧罩(あさぎりこ)めた飛行場から

 

機影はもう永遠に消え去っていた。

 

あとには残酷な砂礫(されき)だの、雑草だの

 

頬(ほお)を裂(き)るような寒さが残った。

 

――こんな残酷な空寞(くうばく)たる朝にも猶(なお)

 

人は人に笑顔を以(もっ)て対さねばならないとは

 

なんとも情(なさけ)ないことに思われるのだったが

 

それなのに其処(そこ)でもまた

 

笑いを沢山湛(たた)えた者ほど

 

優越を感じているのであった。

 

陽(ひ)は霧(きり)に光り、草葉(くさは)の霜(しも)は解け、

 

遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、

 

霧も光も霜も鶏も

 

みんな人々の心には沁(し)まず、

 

人々は家に帰って食卓についた。

 

   (飛行場に残ったのは僕、

 

   バットの空箱(から)を蹴(け)ってみる)  

 

 

(「新編中原中也全集」第1巻所収「在りし日の歌」より。新かなに変えました。)

 

 

 

 

青い瞳が何を指すのか。

 

 

これを読んだ多くの詩人、研究者が

 

明快な答を出せずにいる詩の一つです。

 

 

 

 

「在りし日の歌」は

 

「含羞(はじらい)」にはじまり

 

「むなしさ」

 

「夜更の雨」

 

「早春の風」

 

「月」につづいて

 

この詩を配置しています。」

 

 

「含羞」には

 

「姉」「きみ」が現われ

 

「むなしさ」には

 

「戯女(たわれめ)」「乙女」が現われ

 

「早春の風」には

 

「青き女(おみな)」が現われ

 

「月」には

 

「文子さん」が現われて

 

その次にこの詩ですから

 

「青い瞳」を女性のものと読みたくなるのは

 

自然の成り行きですが

 

断言することはできません

 

 

 

 

 

「あの時」が

 

なにかしら危機的な事態を感じさせるのですが

 

いたいたしくて美しかった!

 

――とあるだけに 

 

なおさらそれが女性の存在を想像させるのに。

 

 

 

 

 

2017年5月 7日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その7/「タバコとマントの恋」

 

 

中原中也が長谷川泰子を知ったのは

大正3年(1924年)のことでした。

 

立命館中学4年に進級した直後のことで

17歳。

 

前年に高橋新吉の詩集「ダダイスト新吉の詩」にふれ

自身もダダイズムの詩を多作しました。

 

 

タバコとマントの恋

 

タバコとマントが恋をした

その筈(はず)だ

タバコとマントは同類で

タバコが男でマントが女だ

或時(あるとき)二人が身投(みなげ)心中したが

マントは重いが風を含み

タバコは細いが軽かったので

崖の上から海面に

到着するまでの時間が同じだった

神様がそれをみて

全く相対界のノーマル事件だといって

天国でビラマイタ

二人がそれをみて

お互の幸福であったことを知った時

恋は永久に破れてしまった。

 

(「新編中原中也全集」第2巻より。新かなに変えました。)

 

 

この詩は明らかに

恋の破綻(はたん)を歌ったものですが

泰子のことであるなら

詩人は泰子を知ったかなり早い時期に

泰子を失っていたということになります。

 

リアリズムの詩ではないでのですから

字義通りに読むのが正解とばかり言えませんが

そのあたりは確証できていないところです。

 

 

2017年5月 5日 (金)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その6/「或る女の子」

 

 

純真無垢なるものへのいつくしみといっていいのか

詩人のこころが見るのは

妹への兄のような

女の子への父のような、というだけでは捉えられない

そうした心に限りなく近いけれども

似ているだけの恋ごころを歌うようです。

 

 

或る女の子

 

この利己一偏(りこいっぺん)の女の子は、

この小(ち)っちゃ脳味噌は、

 

少しでもやさしくすれば、

おおよろこびで……

 

少しでも素気(すげ)なくすれば、

すぐもう逃げる……

 

そこで私が、「ひどくみえてても

やさしいのだよ」といってやると、

 

ほんとにひどい時でも

やさしいのだと思っている……

 

この利己一偏の女の子は、

この小っちゃ脳味噌は、

 

――この小っちゃな脳味噌のために道の平らかならんことを……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに改めました。)

 

 

1929年(昭和4年)か、1930年(昭和5年)かに作られ

「白痴群」第6号(昭和5年4月1日付け発行)に発表された詩です。

 

22歳か、23歳の制作です。

2017年5月 4日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その5/「妹よ」

 

 

 

恋の絶唱といったからには

幾つもの詩が出て来てしまいます。

 

歴史的名品が

「山羊の歌」中にも

「在りし日の歌」の中にも

犇(ひしめ)めいています。

 

「妹」が

「盲目の秋」や「わが喫煙」と並んで

「少年時」の章に配置されているのには

詩人の秘かな意図があるようですが

それは詩を読んでいる時の中で

現われては消え

消えては現れるようにして

見えるだけです。

 

 

妹 よ

 

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、

   ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――

夜、うつくしい魂は涕いて、

   もう死んだっていいよう……というのであった。

 

湿った野原の黒い土、短い草の上を

  夜風は吹いて、 

死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、

   うつくしい魂は涕くのであった。

 

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに

  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

恋する女性を

妹のように思うこころが訪れたのを

詩人は

何とか歌いたかったのでしょう。

 

 

1930年(昭和5年)1、2月の制作で

「時こそ今は……」と同じころですが

草稿が初めて作られたのは

それより1年ほど前のことと推定されてもいます。

 

 

2017年5月 2日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・続続続/「時こそ今は……」

生誕110年の記念すべき日に寄せて

こころに残る詩をひろい読みしているうちに

中也の作った恋の歌ばかりを並べる結果になりました。

 

未発表詩を含めて計380ほどの全詩に

1割ほどはあるでしょうか

5%ほどでしょうか。

 

もっと読みたくなってきたのは

木の芽時(このめどき)の陽気のせいでしょうか。

 

恋の絶唱といってもオーバーではない

名品「時こそ今は……」は

「山羊の歌」中「秋」の章の最終詩です。

 

 

時こそ今は……

 

         時こそ今は花は香炉に打薫じ

                 ボードレール

 

時こそ今は花は香炉(こうろ)に打薫(うちくん)じ、

そこはかとないけはいです。

しおだる花や水の音や、

家路をいそぐ人々や。

 

いかに泰子(やすこ)、いまこそは

しずかに一緒に、おりましょう。

遠くの空を、飛ぶ鳥も

いたいけな情(なさ)け、みちてます。

 

いかに泰子、いまこそは

暮るる籬(まがき)や群青の

空もしずかに流るころ。

 

いかに泰子、いまこそは

おまえの髪毛なよぶころ

花は香炉に打薫じ、

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

ファムファタル、長谷川泰子と別れて後

しばしば二人は逢うことがありました。

 

詩人のこころは

幸福の絶頂にあって

静かなひとときが流れていかないように

祈っていました。

 

詩末の「、」は

永遠の時を願う詩人の気持ちを表します。

 

1930年(昭和5年)1、2月の制作です。

 

 

 

2017年5月 1日 (月)

新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「愛人ジュリエット」恋の遍在と不在と

 

 

愛人ジュリエット

     ――同じ名の映画によせて――

 

――ジュリエットは薔薇の名

――ジュリエットは船の名

――ジュリエットはミモザの花におうの街角のカッフェの名

 

――ジュリエットは昔はやった小唄の題よ

――いやいや ジュリエットは三年前 “いなせな”船乗りと

   駈落ちしやがった浮気な俺の女房さ

――滅相な ジュリエットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した

   私のかわいいひとり娘でございます

――ジュリエットはわたしですがな まだこの通り健在で……

                六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)

 

忘却の国をおとづれ

いとしいひとの名を呼ぶとき

そこではすべてがジュリエットであった

にわかに

数知れぬ小鳥ら 群れ集い

樹々たち 囁き交わし

野の草 耳そばだて

海 こんじきに輝きわたり

山はむらさき

そうしてすべてはジュリエットではなかった

 

ジュリエットは影

ジュリエットはさすらう風

ジュリエットは流れ行く雲

 

   ジュリエット ジュリエット ジュリエット!

 

むなしく

あおぞらに谺(こだま)して

くだけ散る恋の名の悲しさ

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

この詩の前半部の

――で示された詩行は

映画「愛人ジュリエット」の中の風景や

色々な場面での台詞(せりふ)でしょう。

 

記憶に残ったシーンを

思いつくままに辿って詩行としたものでしょう。

 

六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)が

映画に登場したことは

映画を見ていない読者にも想像できます。

 

 

映画のシーンを反芻しているうちに

詩人の感性は誘(いざな)われて

恋人ジュリエットを探して彷徨する男ミシェルに乗り移ります。

 

そういう構造の詩であることは

すぐに理解できることでしょう。

 

 

詩人が映画の中に紛れ込んでいく瞬間が

忘却の国を訪れたミシェルを

登場させたところでやってきます。

 

風景のすべてが

自然のすべてが

ジュリエットであるような錯覚(希望)がミシェルに訪れて――

 

にわかに

数知れぬ小鳥ら 群れ集い

……というところですが

 

樹々たち 囁き交わし

野の草 耳そばだて

海 こんじきに輝きわたり

――と続いて

山はむらさきになり

この時ジュリエットは消えてしまいます。

 

ジュリエットは

はじめから不在であったようでもありますが

この一瞬現われたようでもあります。

 

――として。
 

でも

それに確かに触れたかのように

映画(=詩)の主人公ミシェルは

ジュリエットの名を呼びつづけます。

ジュリエットは

なんととらえどころのない(肉体のない)

エーテルのようなものであったか。

 

 

映画の中の恋に

詩人の恋がシンクロしたのかどうか。

 

恋の名の悲しさ

――の体言止めが

余韻を打ち消すかのようで

ドライな感じがありますが。

 

確かに探し当てたはずのジュリエットは

つかんだその時に消えてしまうという

あまりにも儚(はかな)い存在でした。

 

まるで映画館を出る時に

映画のシーンの中からいまだ脱け出ていない観客が

たったいま見つけた愛(=ジュリエット)を失うまいと

外の景色になじめないでいるみたいな

満ち足りていてかなしくて――。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・続続/「あばずれ女の亭主が歌った」

 

 

「在りし日の歌」には


女性が現われる詩が案外、多くあります。

 

「あばずれ女の亭主が歌った」は

「米子」と同じく「永訣の秋」の章にあります。

 


 


あばずれ女の亭主が歌った

 

おまえはおれを愛してる、一度とて


おれを憎んだためしはない。

 

おれもおまえを愛してる。前世から


さだまっていたことのよう。

 

そして二人の魂は、不識(しらず)に温和に愛し合う


もう長年の習慣だ。

 

それなのにまた二人には、


ひどく浮気な心があって、

 

いちばん自然な愛の気持を、


時にうるさく思うのだ。

 

佳(よ)い香水のかおりより、


病院の、あわい匂(にお)いに慕いよる。

 

そこでいちばん親しい二人が、


時にいちばん憎みあう。

 

そしてあとでは得態(えたい)の知れない


悔(くい)の気持に浸るのだ。

 

ああ、二人には浮気があって、


それが真実(ほんと)を見えなくしちまう。

 

佳い香水のかおりより、


病院の、あわい匂いに慕いよる。

 

(「新編中原中也全集」第2巻より。現代かなに変えました。)

 

 

 

「永訣の秋」は


「在りし日の歌」の中の後半章ですから


この詩に詩人が込めた思いも特別であったことが推測できす。


 

佳(よ)い香水のかおりより、


病院の、あわい匂(にお)いに慕いよる。

――というルフランに

詩人のその思いはあったでしょうが

香水のかおりにも

病院のあわい匂いにも

どちらにも軍配をあげている風でないところに

この詩の面白さはあるようです。

 

1936年(昭和11年)9月の制作と推定されています。

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