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2017年5月 8日 (月)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その8/「青い瞳」

 

 

 

恋の歌という扱いでいいのか

 

そう読むのは冒険であり

 

危険でもありますから

 

そのあたりを差し引いて読んでみてください。

 

 

誰もこの詩を

 

恋の歌と読んだことはないようですし

 

恋の歌と読まない方が当たっていることでしょうから。

 

 

 

 

青い瞳

 

 

 

1 夏の朝

 

 

かなしい心に夜(よ)が明けた、

 

   うれしい心に夜が明けた、

 

いいや、これはどうしたというのだ?

 

   さてもかなしい夜の明けだ!

 

 

青い瞳は動かなかった、

 

   世界はまだみな眠っていた、

 

そうして『その時』は過ぎつつあった、

 

   ああ、遐(とお)い遐いい話。

 

 

青い瞳は動かなかった、

 

   ――いまは動いているかもしれない……

 

青い瞳は動かなかった、

 

   いたいたしくて美しかった!

 

 

私はいまは此処(ここ)にいる、黄色い灯影(ほかげ)に。

 

   あれからどうなったのかしらない……

 

ああ、『あの時』はああして過ぎつつあった!

 

   碧(あお)い、噴き出す蒸気のように。

 

 

2 冬の朝

 

 

それからそれがどうなったのか……

 

それは僕には分らなかった

 

とにかく朝霧罩(あさぎりこ)めた飛行場から

 

機影はもう永遠に消え去っていた。

 

あとには残酷な砂礫(されき)だの、雑草だの

 

頬(ほお)を裂(き)るような寒さが残った。

 

――こんな残酷な空寞(くうばく)たる朝にも猶(なお)

 

人は人に笑顔を以(もっ)て対さねばならないとは

 

なんとも情(なさけ)ないことに思われるのだったが

 

それなのに其処(そこ)でもまた

 

笑いを沢山湛(たた)えた者ほど

 

優越を感じているのであった。

 

陽(ひ)は霧(きり)に光り、草葉(くさは)の霜(しも)は解け、

 

遠くの民家に鶏(とり)は鳴いたが、

 

霧も光も霜も鶏も

 

みんな人々の心には沁(し)まず、

 

人々は家に帰って食卓についた。

 

   (飛行場に残ったのは僕、

 

   バットの空箱(から)を蹴(け)ってみる)  

 

 

(「新編中原中也全集」第1巻所収「在りし日の歌」より。新かなに変えました。)

 

 

 

 

青い瞳が何を指すのか。

 

 

これを読んだ多くの詩人、研究者が

 

明快な答を出せずにいる詩の一つです。

 

 

 

 

「在りし日の歌」は

 

「含羞(はじらい)」にはじまり

 

「むなしさ」

 

「夜更の雨」

 

「早春の風」

 

「月」につづいて

 

この詩を配置しています。」

 

 

「含羞」には

 

「姉」「きみ」が現われ

 

「むなしさ」には

 

「戯女(たわれめ)」「乙女」が現われ

 

「早春の風」には

 

「青き女(おみな)」が現われ

 

「月」には

 

「文子さん」が現われて

 

その次にこの詩ですから

 

「青い瞳」を女性のものと読みたくなるのは

 

自然の成り行きですが

 

断言することはできません

 

 

 

 

 

「あの時」が

 

なにかしら危機的な事態を感じさせるのですが

 

いたいたしくて美しかった!

 

――とあるだけに 

 

なおさらそれが女性の存在を想像させるのに。

 

 

 

 

 

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