中原中也生誕110年に寄せて読む詩・続続/「あばずれ女の亭主が歌った」
「在りし日の歌」には
女性が現われる詩が案外、多くあります。
「あばずれ女の亭主が歌った」は
「米子」と同じく「永訣の秋」の章にあります。
◇
あばずれ女の亭主が歌った
おまえはおれを愛してる、一度とて
おれを憎んだためしはない。
おれもおまえを愛してる。前世から
さだまっていたことのよう。
そして二人の魂は、不識(しらず)に温和に愛し合う
もう長年の習慣だ。
それなのにまた二人には、
ひどく浮気な心があって、
いちばん自然な愛の気持を、
時にうるさく思うのだ。
佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂(にお)いに慕いよる。
そこでいちばん親しい二人が、
時にいちばん憎みあう。
そしてあとでは得態(えたい)の知れない
悔(くい)の気持に浸るのだ。
ああ、二人には浮気があって、
それが真実(ほんと)を見えなくしちまう。
佳い香水のかおりより、
病院の、あわい匂いに慕いよる。
(「新編中原中也全集」第2巻より。現代かなに変えました。)
◇
「永訣の秋」は
「在りし日の歌」の中の後半章ですから
この詩に詩人が込めた思いも特別であったことが推測できす。
佳(よ)い香水のかおりより、
病院の、あわい匂(にお)いに慕いよる。
――というルフランに
詩人のその思いはあったでしょうが
香水のかおりにも
病院のあわい匂いにも
どちらにも軍配をあげている風でないところに
この詩の面白さはあるようです。
1936年(昭和11年)9月の制作と推定されています。
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