新川和江・抒情の源流/「睡り椅子」の世界/「愛人ジュリエット」恋の遍在と不在と
愛人ジュリエット
――同じ名の映画によせて――
――ジュリエットは薔薇の名
――ジュリエットは船の名
――ジュリエットはミモザの花におうの街角のカッフェの名
――ジュリエットは昔はやった小唄の題よ
――いやいや ジュリエットは三年前 “いなせな”船乗りと
駈落ちしやがった浮気な俺の女房さ
――滅相な ジュリエットは清い乙女のまま 今朝がた昇天した
私のかわいいひとり娘でございます
――ジュリエットはわたしですがな まだこの通り健在で……
六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)
忘却の国をおとづれ
いとしいひとの名を呼ぶとき
そこではすべてがジュリエットであった
にわかに
数知れぬ小鳥ら 群れ集い
樹々たち 囁き交わし
野の草 耳そばだて
海 こんじきに輝きわたり
山はむらさき
そうしてすべてはジュリエットではなかった
ジュリエットは影
ジュリエットはさすらう風
ジュリエットは流れ行く雲
ジュリエット ジュリエット ジュリエット!
むなしく
あおぞらに谺(こだま)して
くだけ散る恋の名の悲しさ
(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。現代かなに変えました。編者。)
◇
この詩の前半部の
――で示された詩行は
映画「愛人ジュリエット」の中の風景や
色々な場面での台詞(せりふ)でしょう。
記憶に残ったシーンを
思いつくままに辿って詩行としたものでしょう。
六十いくつの粉屋の主婦(おかみ)が
映画に登場したことは
映画を見ていない読者にも想像できます。
◇
映画のシーンを反芻しているうちに
詩人の感性は誘(いざな)われて
恋人ジュリエットを探して彷徨する男ミシェルに乗り移ります。
そういう構造の詩であることは
すぐに理解できることでしょう。
◇
詩人が映画の中に紛れ込んでいく瞬間が
忘却の国を訪れたミシェルを
登場させたところでやってきます。
風景のすべてが
自然のすべてが
ジュリエットであるような錯覚(希望)がミシェルに訪れて――
にわかに
数知れぬ小鳥ら 群れ集い
……というところですが
樹々たち 囁き交わし
野の草 耳そばだて
海 こんじきに輝きわたり
――と続いて
山はむらさきになり
この時ジュリエットは消えてしまいます。
ジュリエットは
はじめから不在であったようでもありますが
この一瞬現われたようでもあります。
影
風
雲
――として。
でも
それに確かに触れたかのように
映画(=詩)の主人公ミシェルは
ジュリエットの名を呼びつづけます。
ジュリエットは
なんととらえどころのない(肉体のない)
エーテルのようなものであったか。
◇
映画の中の恋に
詩人の恋がシンクロしたのかどうか。
恋の名の悲しさ
――の体言止めが
余韻を打ち消すかのようで
ドライな感じがありますが。
確かに探し当てたはずのジュリエットは
つかんだその時に消えてしまうという
あまりにも儚(はかな)い存在でした。
まるで映画館を出る時に
映画のシーンの中からいまだ脱け出ていない観客が
たったいま見つけた愛(=ジュリエット)を失うまいと
外の景色になじめないでいるみたいな
満ち足りていてかなしくて――。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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