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2017年6月 1日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その25/「むなしさ」

 

 

この詩「むなしさ」をこそ

ここで取り上げるのは

無謀でしょうか。

 

いわゆる恋唄とこの詩とは

遠くかけ離れた位置にありますが

社会の底辺にある女性たちへの

エールである詩を

恋と呼んではいけない理由も見当たりません。

 

 

むなしさ

 

臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて

 心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み

脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ

 よすがなき われは戯女(たわれめ)

 

せつなきに 泣きも得せずて

 この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり

遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る

 海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

 

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)

 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)い

 それらみな ふるのわが友

 

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも

 胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

詩人は

戯女(たわれめ)に自らの孤独や悲しみを重ねています。

 

同悲同苦

――という仏教の言葉が想起されるような

一体化、同一化の位置にありますが

実のところは

友です。

 

古い友人です。

 

同一にはならないのですから

友です。

 

 

女友だちへのエールが

この詩に歌われています。

 

自身へのそれはエールにほかなりませんが

自身へのエールは

乙女らへのエールであります。

 

このエールは

恋のバリアントと呼び得るものです。

 

そういう

空想が成り立ちます。

 

 

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