中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その25/「むなしさ」
この詩「むなしさ」をこそ
ここで取り上げるのは
無謀でしょうか。
いわゆる恋唄とこの詩とは
遠くかけ離れた位置にありますが
社会の底辺にある女性たちへの
エールである詩を
恋と呼んではいけない理由も見当たりません。
◇
むなしさ
臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み
脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ
よすがなき われは戯女(たわれめ)
せつなきに 泣きも得せずて
この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり
遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る
海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)
白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)
凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集(つど)い
それらみな ふるのわが友
偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも
胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)
◇
詩人は
戯女(たわれめ)に自らの孤独や悲しみを重ねています。
同悲同苦
――という仏教の言葉が想起されるような
一体化、同一化の位置にありますが
実のところは
友です。
古い友人です。
同一にはならないのですから
友です。
◇
女友だちへのエールが
この詩に歌われています。
自身へのそれはエールにほかなりませんが
自身へのエールは
乙女らへのエールであります。
このエールは
恋のバリアントと呼び得るものです。
そういう
空想が成り立ちます。
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