中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その27/「雨の日」
雨は
遠い過去につながっているものなのでしょうか?
降りしきる雨は
見ているだけで(ということは中にいて濡れていてはいけないのです)
遠い過去へワープする呼び水です。
◇
雨の日
通りに雨は降りしきり、
家々の腰板古(こしいたふる)い。
もろもろの愚弄(ぐろう)の眼(まなこ)は淑(しと)やかとなり、
わたくしは、花弁(かべん)の夢をみながら目を覚ます。
*
鳶色(とびいろ)の古刀(ことう)の鞘(さや)よ、
舌あまりの幼な友達、
おまえの額(ひたい)は四角張ってた。
わたしはおまえを思い出す。
*
鑢(やすり)の音よ、だみ声よ、
老い疲れたる胃袋よ、
雨の中にはとおく聞け、
やさしいやさしい唇を。
*
煉瓦(れんが)の色の憔心(しょうしん)の
見え匿(かく)れする雨の空。
賢(さかし)い少女の黒髪と、
慈父(じふ)の首(こうべ)と懐かしい……
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
ワープしたといっても
いま、雨は降り続けていますから
雨の降っている現在の情景が
過去の情景と混ざり合うような
(認識の)カオスが生じるのでしょうか
現在の情景だか
過去の情景だかを見極めがたい景色が出現するかのようです。
その状態を
白日夢と呼んでいいかもしれません。
◇
第2連に、
舌あまりの幼な友達であり
額の四角張ってた
――と現われるおまえは女性でしょうか。
もし女性であるなら
第4連に出てくる賢(さかし)い少女と
同一の女性なのでしょうか。
慈父が
厳格であった詩人の父のメタファーである可能性もあり
そうなると
この慈父に対として現れる黒髪の賢しい少女は
詩人の母のメタファーである可能性もあるので
先に登場する幼な友達とは異なる女性かもしれません。
◇
いずれも断定することはできませんが
第1連の幼な友達の四角張ってた額と
第4連の女性の黒髪と
ともに女性の姿形(すがたかたち)への言及は
恋の原初と思えなくもありません。
原初の恋が
母親であっておかしい理由はありませんし。
◇
「早春の風」に、青い女の顎
「青い瞳」の、青い瞳
「六月の雨」の、眼うるめる、面長き女
――と現われる女たち。
この後も
「夏の夜」には、桜色の女が現われます。
これら女性たちは
詩人の恋した女たちではなかったでしょうか。
恋ではなかったでしょうか。
◇
遠景に現われ
点景のような女たちは
謎のままです。
謎ですが
過去の存在であることは確かです。
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