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2017年6月 6日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その28/「夏の夜」

 

 

実在感というよりも

抽象化(人工化)が進んだような女性が

やがて現われます。

 

女性は

桜色であり、花弁であり

ほかに何ら言及されませんが。

 

 

夏の夜

 

ああ 疲れた胸の裡(うち)を

桜色の 女が通る

女が通る。

 

夏の夜の水田の滓(おり)、

怨恨(えんこん)は気が遐(とお)くなる

――盆地を繞(めぐ)る山は巡るか?

 

裸足(らそく)はやさしく 砂は底だ、

開いた瞳は おいてきぼりだ、

霧(きり)の夜空は 高くて黒い。

 

霧の夜空は高くて黒い、

親の慈愛(じあい)はどうしようもない

――疲れた胸の裡を 花弁(かべん)が通る。

 

疲れた胸の裡を 花弁が通る

ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物(きもの)に触れて。

靄(もや)はきれいだけれども、暑い!

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

3行×5連の詩は

定型を指向するものの

---3のソネットに至っていません。

 

というわけで

「朝の歌」以前に作られたと推定されています。

(「新全集」)

 

 

第2連以下第5連まで

あたりを払うような(!)独断的詩語の列。

 

読み手を拒むような難解な言葉使いは

高踏的と呼ばれるようです。

 

ダダっぽい感じもありますが。

 

 

第1連は、しかし

明快といえば明快です。

 

草臥れた詩人の胸のうちを

女性の面影が通りすぎた

――というような意味でしょう。

 

桜色の女性は

続く連で花弁になるのですから

連続する物語を歌うようです。

ならばやはりこの詩は

桜色の女(きっと泰子でありそう)への思い(恋心)を

歌ったものといえそうです。

 

水田の滓(おり)

怨恨(えんこん)は気が遐(とお)くなる

――盆地を繞(めぐ)る山は巡るか?

――には歯が立たないにしても。

 

 

愛は怨恨を生んだのか?

 

親との確執のごとき感情を

夏の夜の暑苦しさに託したのか。

 

親は実の親のことではなく

慈愛のメタファーでありそうです。
 

慈愛は恋の類義語ですから

詩人のものであってもおかしくはありません。

 

それにしても

桜色の女の優しいイメージが

最後には「暑い!」と歌われるのですから

これが恋の詩であるなら

恋心は変化していることを示すでしょう。

 

 

「生活者」昭和4年(1929年)に

「詩七篇」として発表された詩の一つ。
 
詩人22歳の年の制作(推定)です。
 

7篇は、

「都会の夏の夜」

「逝く夏の歌」

「悲しき朝」

「黄昏」

「夏の夜」

「春」

「月」

――というラインアップでした。

 

ほとんどが「山羊の歌」に収録されたなかで

「在りし日の歌」へ配置されたのは

「春」とこの「夏の夜」だけです。

 

 

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