中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その29/「秋の日」
木履は「きぐつ」と読みますが
「ぽっくり」と読むこともあります。
「ぽっくり」では音数が過剰ですが
促音便「っ」を音数に入れず
「ぽくり」と読めばOKですから
この可能性も否定できません。
◇
「秋の日」の木履は
それを履いているのは恋人であり
友であるような女性なのでしょうか
主役級の位置にあることを示す
キーワードです。
◇
秋の日
磧(かわら)づたいの 竝樹(なみき)の 蔭(かげ)に
秋は 美し 女の 瞼(まぶた)
泣きも いでなん 空の 潤(うる)み
昔の 馬の 蹄(ひづめ)の 音よ
長(なが)の 年月 疲れの ために
国道 いゆけば 秋は 身に沁(し)む
なんでも ないてば なんでも ないに
木履の 音さえ 身に 沁みる
陽(ひ)は今 磧の 半分に 射し
流れを 無形(むぎょう)の 筏(いかだ)は とおる
野原は 向(むこ)うで 伏(ふ)せって いるが
連れだつ 友の お道化(どけ)た 調子も
不思議に 空気に 溶け 込んで
秋は 案じる くちびる 結んで
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
磧(かわら)づたい
国道 いゆけば
流れを
――と出てくる地理(地形)が
分かりにくいものの
二人は秋の昼下がり
何かの拍子にてくてくと
川原伝いの国道を歩いて行くのです。
川原の半分に陽光は射し
半分に無形の筏――。
無形(むぎょう)の 筏(いかだ)は とおる
――とあるところが
二人の存在している(行く)場所のようです。
◇
恋がここにあるならば
無形の筏、です。
形の無い筏に
乗っている二人。
◇
馬の蹄の音
木履の音
友のお道化た調子
――とある音の響きに
妙な静けさが漂うのも
無形の筏というレゾンデートルゆえでしょうか。
最終行、
秋は 案じる くちびる 結んで
――が恋の神妙さ(深刻さ)を表すものか
謎に終ります。
◇
木履は
ダダ詩「春の日の怒」(1924年作・推定)にも現われますので
関連が気になりますから
目を通しておきましょう。
◇
春の日の怒
田の中にテニスコートがありますかい?
春風です
よろこびやがれ凡俗(ぼんぞく)!
名詞の換言(かんげん)で日が暮れよう
アスファルトの上は凡人がゆく
顔 顔 顔
石版刷りのポスターに
木履の音は這(は)い込もう
(「新編中原中也全集」第2巻より。現代かなに変えました。)
◇
この詩「秋の日」は
「蜻蛉に寄す」や
「曇天」と同じように
分かち書きで作られた詩群の一つです。
「文学界」昭和11年(1936年)10月号に初出。
詩人29歳の年の制作(推定)です。
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