中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その30/「湖上」
これほど輪郭のくっきりした恋の詩は
中也の詩の中でも類例はわずかでしょう。
幸福感でいっぱいのようですし
快活であるばかりなのが
かえって怖いくらいです。
◇
湖 上
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう。
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
沖に出たらば暗いでしょう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)は
昵懇(ちか)しいものに聞こえましょう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。
月は聴き耳立てるでしょう、
すこしは降りても来るでしょう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでしょう。
あなたはなおも、語るでしょう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩(も)らさず私は聴くでしょう、
――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。
ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けましょう、
波はヒタヒタ打つでしょう、
風も少しはあるでしょう。
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
絵筆で描いたような
この幸福の裏の苦境について
知る必要があるでしょうか。
◇
知らないでこの詩を読んで
苦悩のひとかけらもない幸福感に共鳴する自由が
この詩の読者には開けています。
それはそれで構わないのですが
詩人の苦境を知ったうえでこれを読めば
味わいも深くなるのなら
やはり知っておいたほうがベターということになる
詩人の状況があります。
◇
この詩の第1次形態の末尾に
「15、6、1930、」の日付があり
昭和5年(1930年)6月15日に制作されたことがわかっています。
23歳になる年で
詩人が主導して発行していた同人誌「白痴群」が
廃刊になった年です。
同人たちとの離散でこうむった傷痕が癒えていません。
長谷川泰子は
築地小劇場の演出家、山川幸世と親しくなり
懐胎していました。
(以上「新編中原中也全集」より。)
◇
泰子の消息をどれほど
中也がつかんでいたのか
はっきりしてはいませんが
距離は次第に大きくなっていたことが想像できます。
◇
こういう背景の中で
「湖上」は作られました。
ポッカリ月が出ましたら、
沖に出たらば
――という仮定には
願望が重なっています。
仮定であり願望であるから
恋の詩が
はっきりとした輪郭をもつことになりました。
猥雑な物事を含む現実の
ゴミゴミとした感情関係がそぎ落とされ
願望が純化されました。
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