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2017年6月16日 (金)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その34/「お道化うた」

 

 

恋というには

あまりにも枠を広げているようですが

そもそもここでいう恋は

万葉期のおおらかな相聞(そうもん)や

平安王朝時代の濃密な色恋などではないことを

断るまでもないことでしょう。

 

アポリネールの恋の詩みたいなものだけでもありません。

 

 

「在りし日の歌」は

全作が短調を基調とするものですから

恋の詩も短調である場合が多いのですが

マイナーでありながらも

作者(歌い手)の立つ位置に変化が起こる時があります。

 

道化調の詩群です。

 

 

「お道化うた」は

道化が登場するのではなく

詩の作者(詩人)が

道化になって歌います。

 

 

お道化うた

 

月の光のそのことを、

盲目少女(めくらむすめ)に教えたは、

ベートーヴェンか、シューバート?

俺の記憶の錯覚が、

今夜とちれているけれど、

ベトちゃんだとは思うけど、

シュバちゃんではなかったろうか?

 

霧の降ったる秋の夜に、

庭・石段に腰掛けて、

月の光を浴びながら、

二人、黙っていたけれど、

やがてピアノの部屋に入り、

泣かんばかりに弾き出した、

あれは、シュバちゃんではなかったろうか?

 

かすむ街の灯とおに見て、

ウインの市の郊外に、

星も降るよなその夜さ一と夜、

虫、草叢(くさむら)にすだく頃、

教師の息子の十三番目、

頸(くび)の短いあの男、

盲目少女(めくらむすめ)の手をとるように、

ピアノの上に勢い込んだ、

汗の出そうなその額、

安物くさいその眼鏡、

丸い背中もいじらしく

吐き出すように弾いたのは、

あれは、シュバちゃんではなかったろうか?

 

シュバちゃんかベトちゃんか、

そんなこと、いざ知らね、

今宵星降る東京の夜(よる)、

ビールのコップを傾けて、

月の光を見てあれば、

ベトちゃんもシュバちゃんも、はやとおに死に、

はやとおに死んだことさえ、

誰知ろうことわりもない……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

口調はお道化ていますが

内容はシリアス(深刻)です。

 

道化にシリアスな内容を

仮託します。

 

 

一度、遠景に退いた女性が

このようにして

再び近景に歌われることを

見過ごすことはできません。

 

女性はこの詩では

盲目の少女です。

 

若き日のベートーベンが友人と散歩に出た時に

自分が作曲した曲を少女が弾いているのを聴き

すすんでその少女の部屋に入り込んでピアノを聞かせた後で

自宅へ戻って完成させた曲が「月光の曲」だった

――という有名な伝説を題材にしています。

 

 

詩は

この音楽家が

ベートーベンだったかシューベルトだったかを忘れるほどに記憶が乱れている

酔っぱらった道化を歌い手にしています。

 

シュバちゃんかベトちゃんか

そんなこと いざ知らね

――と最後にはどうでもいいようなことにしてしまう詩ですが

ではいったいこの詩の眼目(狙い)はどこにあるでしょうか。

 

 

目くらましにあったようなお道化ぶりに

タジタジになるところですが

盲目の少女のピアノに触発されて

ベートーベン(であることを詩人はとうに自覚しています)が

「月光の曲」を完成したという

そのモチベーションになった少女の存在が

核心にあることは間違いありません。

 

主役は少女です、月光とともに。

 

 

ベートーベンを突き動かして

少女のピアノを弾かせたものは

では何だったでしょうか?

 

月光だったでしょうか?

 

少女の住まいのみすぼらしさだったでしょうか?

 

同情や憐憫といった感情を少女に抱いたために

少女の部屋に飛び込んだのでしょうか?

 

NO!

 

 

伝説の真実を問題にしているのではありません。

 

この詩「お道化うた」で

詩人が歌っているものが問題です。

 

 

泣かんばかりに弾き出した

ピアノの上に勢い込んだ

吐き出すように弾いた

――と歌っている詩人の眼差しが重要です。

 

道化(=詩人)の眼差しは

恐ろしく怜悧(れいり)に

ベトちゃんを見ています。

 

ベトちゃんが

少女のピアノを弾きはじめたのは

ベトちゃんの内部の声に目覚めたからでした。

 

月光によって、そして少女によって。

 

ベトちゃんは

月の光の美しさを

少女に伝えたかったのでした。

 

 

ベトちゃんのその心に

恋はこれっきりも存在しなかったでしょうか?

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