中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その37/「ゆきてかえらぬ」
「在りし日の歌」の後章「永訣の秋」には
16篇が収められています。
詩人は「永訣」に
亡き長男・文也との別れの意志を込め
同時にそれまでの詩人の生活に別れを告げて
心機一転をはかったものと解釈されています。
(「新編中原中也全集」)
宮沢賢治の詩集「春と修羅」で早い時期に読んで
「永訣の朝」が念頭にあったらしい。
◇
その章のトップに
「ゆきてかえらぬ」が置かれています。
京都は詩人としての暮らしを出発した場所でした。
生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり(「詩的履歴書」)
――と記し残したほどに
京都は
自由への、
自立への、
詩人の出発への
青春の第一歩を刻んだ場所でした。
その京都時代を顧みて
心機一転(再出発)を試みます。
◇
ゆきてかえらぬ
――京 都――
僕は此(こ)の世の果てにいた。陽(ひ)は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺っていた。
木橋の、埃(ほこ)りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上(がいじょう)に停っていた。
棲む人達は子供等(こどもら)は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であった。
さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜(みつ)があり、物体ではないその蜜は、常住(じょうじゅう)食(しょく)すに適していた。
煙草(たばこ)くらいは喫(す)ってもみたが、それとて匂(にお)いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外(そと)でしか吹かさなかった。
さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団(ふとん)ときたらば影(かげ)だになく、歯刷子(はぶらし)くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方(めかた)、たのしむだけのものだった。
女たちは、げに慕(した)わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山(たくさん)だった。
名状(めいじょう)しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。
さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えてあります。)
◇
冒頭行の、
僕は此(こ)の世の果てにいた。陽(ひ)は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺っていた。
――と
最終行の、
その空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。
――が
「山羊の歌」の「少年時」に似た輝きを想起させます。
ここではギロギロではなく
銀色の輝きですが。
この輝きを
いま、詩人は取り戻そうとしているのでしょうか?
過去のものとして
もはや回復を諦めているのでしょうか?
◇
遠い日のことが歌われているのは確かです。
遠い日をズームアウトして
捉えようとする視線があります。
一歩引いて
俯瞰し
相対化する眼差しが
散文詩を貫いています。
◇
中に、
女たちや、女や子供が現われますが
京都で起きた最大の事件といって過言ではない
長谷川泰子はその中に含まれていても
存在するかどうかさえ不確かです。
ここに泰子はいるでしょうか?
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