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2017年6月20日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩38/「米子」再

 

「永訣の秋」の16篇は

昭和11年(1936年)11月から

翌12年10月までの間に

詩誌や雑誌などに発表された詩です。

 

16篇のうちで

恋の別れを歌ったものは

「ゆきてかえらぬ」

「あばずれ女の亭主が歌った」

「或る男の肖像」

「米子」

――の4篇に絞ることができるでしょう。

 

この4篇以外には

女性が副詞句「処女の眼のように」(言葉なき歌)や

「花嫁御寮」、「奥さん」(春日狂想)などの詩語として現れますが

恋の主題とはほど遠い詩語でしかありません。

 

この4篇に

長谷川泰子のイメージが色濃い女性が登場することは

それだけで驚異であり

泰子との出会いが運命的であったものと言えることでしょう。

 

それにしても

その泰子への永訣の意味も

込められていたということになるならば

永訣とは

最後の最後の恋と言えるのかもしれません。

 

 

「米子」は

「永訣の秋」の最終詩「蛙声」へ連なる5篇の

「冬の長門峡」の次に配置され

「正午―丸ビル風景」

「春日狂想」という流れの中にあります。

 

なぜ「米子」=よねことしたか?

 

ここには

詩人の言語感性のいっさいが動員されて

考えに考え抜かれたものか

あっさりと天から降りてきたものか

米子=よねことしか言いようにない

泰子の象(かたち)が籠(こも)っているような一語です。

 

もう一度

「米子」を読みましょう。

 



米 子

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

肺病やみで、腓(ひ)は細かった。

ポプラのように、人も通らぬ

歩道に沿(そ)って、立っていた。

 

処女(むすめ)の名前は、米子(よねこ)と云(い)った。

夏には、顔が、汚れてみえたが、

冬だの秋には、きれいであった。

――かぼそい声をしておった。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

お嫁に行けば、その病気は

癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら

私はたびたび処女(むすめ)をみた……

 

しかし一度も、そうと口には出さなかった。

別に、云(い)い出しにくいからというのでもない

云って却(かえ)って、落胆させてはと思ったからでもない、

なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

歩道に沿って立っていた、

雨あがりの午後、ポプラのように。

――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)


 

もう一度、と思うこころを

恋しいといいますね。

 

 

巷間に伝わる長谷川泰子のイメージと

ずいぶん違うようですが

そのような疑問は不要です。

 

詩人が恋していたのは

米子でしたから。

 

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