中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その39/「ピチベの哲学」
「山羊の歌」44篇
「在りし日の歌」58篇
計102篇中の3、4割にもなるでしょうか
恋の詩もしくは女性を歌った詩がなんと多いことか。
これが公刊詩集の恋歌です。
むろん、恋をどのように定義するかで
変わってきますが
ここではかなり広義にとらえ
女性が現われる詩のほとんどを数にいれています。
◇
詩集のほかに
詩人の生前に発表された詩篇がありますが
この生前発表詩篇の中の恋歌についても
この際ですから
読んでみることにします。
生前発表詩篇で
はじめに現われるのは「或る女の子」ですが
この詩はこのシリーズはじめの方で読みました。
次に現われるのが
「ピチベの哲学」です。
◇
ピチベの哲学
チョンザイチョンザイピーフービー
俺は愁(かな)しいのだよ。
――あの月の中にはな、
色蒼(あお)ざめたお姫様がいて………
それがチャールストンを踊っているのだ。
けれどもそれは見えないので、
それで月は、あのように静かなのさ。
チョンザイチョンザイピーフービー
チャールストンというのはとてもあのお姫様が踊るような踊りではないけれども、
そこがまた月の世界の神秘であって、
却々(なかなか)六ヶ敷(むつかし)いところさ。
チョンザイチョンザイピーフービー
だがまたとっくと見ているうちには、
それがそうだと分っても来るさ。
迅(はや)いといえば迅い、緩(おそ)いといえば緩いテンポで、
ああしてお姫様が踊っていられるからこそ、
月はあやしくも美しいのである。
真珠(しんじゅ)のように美しいのである。
チョンザイチョンザイピーフービー
ゆるやかなものがゆるやかだと思うのは間違っているぞォ。
さて俺は落付(おちつ)こう、なんてな、
そういうのが間違っているぞォ。
イライラしている時にはイライラ、
のんびりしている時にはのんびり、
あのお月様の中のお姫様のように、
なんにも考えずに絶えずもう踊っていりゃ
それがハタから見りゃ美しいのさ。
チョンザイチョンザイピーフービー
真珠のように美しいのさ。
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
この詩、支離滅裂のようでありながら
言いたいことは絞られていて
理路整然としているとさえいえるのは
「お道化うた」
「狂気の手紙」などと同じです。
月はあやしくも美しいのである。
真珠(しんじゅ)のように美しいのである。
――と詩の中央部ですっきりと述べられる月の美しさは
終わりの方で
お月様の中のお姫様の真珠のような美しさに
成り変わって歌われています。
どうやら月の美しさを歌う振りして
お姫様の美しさを歌っているのですが
このお姫様こそは
詩人が結婚した相手である孝子夫人のことらしい!
◇
ピチベという人物の由来も
依然不明ですが
不明であっても
そのような男がいて
その男に祝婚の歌を歌わせていることらしいのです。
呪文の意味も不明ですが
なにやら祝意を含んだ呪文であるようなことを知ると
嬉しくなってくるような詩ではありませんか。
◇
このような詩を詩人が書いたのは
昭和8年(1933年)の年の暮れで
これより前の12月3日に生地、山口県の湯田温泉で結婚式を済ませ
12月13日には花嫁ともども上京し
新宿・花園アパートへ住まいはじめてしばらくのことでした。
◇
「ピチベの哲学」
「狂気の手紙」
「骨」
「道化の臨終(Etude Dadaistique)」
「秋岸清凉居士」
「月下の告白」
「星とピエロ」
「誘蛾灯詠歌」
「(なんにも書かなかったら)」
――と、翌昭和9年(1934年)に道化調の詩を量産する流れの
最初に書いたのが「ピチベの哲学」でした。
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