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2017年6月22日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その40/「女給達」

 

 
結婚式をあげて上京し
すぐに引っ越した先が新宿だから
詩の題材もそれらしく
街の雑沓のようなものが聞こえてきます。

住まいの花園アパートは
装幀家であり骨董家であった青山二郎が主(あるじ)で
作家や芸道にいそしむ人々の出入りが頻繁であり
繁華街に隣り合わせしていたために
詩人の交遊関係は新たな領域を広げています。

このアパートには
女給たちも住んでいました。
(「新編中原中也全集」第1巻・解題篇。)

昭和9年(1934年)末に「山羊の歌」の出版がなり
詩人としての名声も徐々に高まっていましたし。



女給達

    なにがなにやらわからないのよ――流行歌
 
彼女等(かのじょら)が、どんな暮しをしているか、
彼女等が、どんな心で生きているか、
私は此(こ)の目でよく見たのです、
はっきりと、見て来たのです。

彼女等は、幸福ではない、
彼女等は、悲しんでいる、
彼女等は、悲しんでいるけれどその悲しみを
ごまかして、幸福そうに見せかけている。

なかなか派手(はで)そうに事を行い、
なかなか気の利いた風にも立廻(たちまわ)り、
楽観しているようにさえみえるけれど、
或(ある)いは、十分図太くくらいは成れているようだけれど、

彼女等は、悲しんでいる、
内心は、心配している、
そして時に他(た)の不幸を聞及(ききおよ)びでもしようものなら、
「可哀相に」と云(い)いながら、大声を出して喜んだりするのです。

                       一九三五、六、六

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)



この詩は
「日本歌人」昭和10年(1935年)9月号に発表したもの。

 

エピグラフの
なにがなにやらわからないのよ
――は、映画「愛して頂戴」(昭和4年封切り)の主題歌の一部です。

「愛して頂戴」は
西条八十作詞、中山晋平作曲で
佐藤千代子が歌ってヒットしました。

昭和初年代はエロ・グロ・ナンセンス時代の風潮が都市に広がり
カフェー文化が花盛りでした。
(同全集・解題篇。)



短歌誌「日本歌人」へ発表されたこの詩は
道化調の遊び(諧謔味)が利いていなくて
だから道化調とは言えなくて
むしろ「むなしさ」や「朝鮮女」の流れに属するようですが
いまいちエッジが甘いようなのは
女給たちの悲しみへの同調が
後退しているように読めてしまうからです。

でも、酒場で働く女たちの生態をしっかりとらえ
他人の不幸を笑う底に
悲しみがあることを見る眼に
揺るぎはありません。

女給たちを
詩人が仲間のように感じていなければ
この詩を書くことはなかったでしょう。

声援が前面に出なかっただけのことです。



女給といえば
昭和7年末ごろ詩人は
京橋のバー「ウィンゾアー」の女給、坂本睦子に
親友の詩人、高森文夫の叔母を通じて求婚したが
断られた話が伝わっています。

坂口安吾の小説「二十七歳」(昭和22年)には
この頃の中原中也が登場し
フィクションの中に
詩人の一断面が鮮やかに描き出されていて有名です。

坂本睦子は
大岡昇平の恋愛小説「花影」(昭和36年)のモデルにもなりました。



「女給たち」に
坂本睦子の面影があるのは
言うまでもないことですが
「達」としたところに
詩人が意図したものは大きいと言わねばなりません。

 

 

 

 

 

 

 

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