中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その40/「女給達」
結婚式をあげて上京し
すぐに引っ越した先が新宿だから
詩の題材もそれらしく
街の雑沓のようなものが聞こえてきます。
住まいの花園アパートは
装幀家であり骨董家であった青山二郎が主(あるじ)で
作家や芸道にいそしむ人々の出入りが頻繁であり
繁華街に隣り合わせしていたために
詩人の交遊関係は新たな領域を広げています。
このアパートには
女給たちも住んでいました。
(「新編中原中也全集」第1巻・解題篇。)
昭和9年(1934年)末に「山羊の歌」の出版がなり
詩人としての名声も徐々に高まっていましたし。
◇
女給達
なにがなにやらわからないのよ――流行歌
彼女等(かのじょら)が、どんな暮しをしているか、
彼女等が、どんな心で生きているか、
私は此(こ)の目でよく見たのです、
はっきりと、見て来たのです。
彼女等は、幸福ではない、
彼女等は、悲しんでいる、
彼女等は、悲しんでいるけれどその悲しみを
ごまかして、幸福そうに見せかけている。
なかなか派手(はで)そうに事を行い、
なかなか気の利いた風にも立廻(たちまわ)り、
楽観しているようにさえみえるけれど、
或(ある)いは、十分図太くくらいは成れているようだけれど、
彼女等は、悲しんでいる、
内心は、心配している、
そして時に他(た)の不幸を聞及(ききおよ)びでもしようものなら、
「可哀相に」と云(い)いながら、大声を出して喜んだりするのです。
一九三五、六、六
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
この詩は
「日本歌人」昭和10年(1935年)9月号に発表したもの。
エピグラフの
なにがなにやらわからないのよ
――は、映画「愛して頂戴」(昭和4年封切り)の主題歌の一部です。
「愛して頂戴」は
西条八十作詞、中山晋平作曲で
佐藤千代子が歌ってヒットしました。
昭和初年代はエロ・グロ・ナンセンス時代の風潮が都市に広がり
カフェー文化が花盛りでした。
(同全集・解題篇。)
◇
短歌誌「日本歌人」へ発表されたこの詩は
道化調の遊び(諧謔味)が利いていなくて
だから道化調とは言えなくて
むしろ「むなしさ」や「朝鮮女」の流れに属するようですが
いまいちエッジが甘いようなのは
女給たちの悲しみへの同調が
後退しているように読めてしまうからです。
でも、酒場で働く女たちの生態をしっかりとらえ
他人の不幸を笑う底に
悲しみがあることを見る眼に
揺るぎはありません。
女給たちを
詩人が仲間のように感じていなければ
この詩を書くことはなかったでしょう。
声援が前面に出なかっただけのことです。
◇
女給といえば
昭和7年末ごろ詩人は
京橋のバー「ウィンゾアー」の女給、坂本睦子に
親友の詩人、高森文夫の叔母を通じて求婚したが
断られた話が伝わっています。
坂口安吾の小説「二十七歳」(昭和22年)には
この頃の中原中也が登場し
フィクションの中に
詩人の一断面が鮮やかに描き出されていて有名です。
坂本睦子は
大岡昇平の恋愛小説「花影」(昭和36年)のモデルにもなりました。
◇
「女給たち」に
坂本睦子の面影があるのは
言うまでもないことですが
「達」としたところに
詩人が意図したものは大きいと言わねばなりません。
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