中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その41/「童女」
これから読む詩「童女」をまた
ここで取り上げてよいものか
まったく見当外れであるかも知れませんが
解釈次第では
可能的な読みの範囲に入るという幅を取って
やはり読むことにしました。
◇
謎の多い詩です。
一つ謎が解ければ
謎の全部も解けていくような作りの詩であるかも知れません。
◇
童 女
眠れよ、眠れ、よい心、
おまえの肌えは、花粉だよ。
飛行機虫の夢をみよ、
クリンベルトの夢をみよ。
眠れよ、眠れ、よい心、
おまえの眼(まなこ)は、昆虫だ。
皮肉ありげな生意気な、
奴等(やつら)の顔のみえぬひま、
眠れよ、眠れ、よい心、
飛行機虫の、夢をみよ。
クリンベルトの夢をみよ。
(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)
◇
この詩が
呼びかけている相手は
だれでしょうか?
童女であることは間違いありませんが
字義通り、童女なのでしょうか?
純粋無垢の幼児を
リアリスティックに想定してよいのでしょうか?
◇
花粉
昆虫
――という喩(たとえ)がまずはひっかかります。
この二つとも
童女の身体の部分(肌と眼)の比喩(述語)ですが
この比喩が指し示す意味は
どんなことでしょうか?
そこにさまざまな読みが可能です。
肌が花粉
眼が昆虫。
◇
眠れ、眠れ、よい心
そして
おまえ、と呼びかける相手に
見させたい夢は
飛行機虫の夢
クリンベルトの夢、ですが。
クリンベルトが謎であっても
飛行機虫のイメージは
さほど見当外れにならないはずの想像を働かせることはできます。
まどろみを誘うような心地よい
生き物(飛行機虫)が見る夢を
よい心、おまえが見るように
この詩は歌っていると読むことができるでしょう。
◇
ここまで読んで
童女は童女であり続けます。
童女は幼児のままですが
純粋無垢の成熟した女性の影が
ふとどこからともなく射して来るのには
理由が見当たりません。
童女は
濁世(じょくせい)に身を置き
純粋無垢を維持することが危ぶまれる存在ですから
どうにかして
その危険から守ってあげたいと思うこころが
詩の作者にあるのでしょう。
◇
そのこころは
恋心(こいごころ)と無縁ではありません。
となるとこの詩は
大人の子守唄、すなわちラブソングではないかとも思えて来て
少し目が覚めます。
◇
「歴程」の昭和11年(1936年)3月創刊号に
「童女」は発表されました。
「倦怠輓歌」全5篇の一つでした。
ちなみにこの5篇は
「閑寂」
「お道化うた」
「童女」
「深更」
「白紙(ブランク)」
――というラインアップでした。
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