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2017年6月24日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その42/「秋を呼ぶ雨」」

 

 

「秋を呼ぶ雨」は

機関紙「文芸懇話会」の昭和11年(1936年)9月号に発表されました。

 

「文芸懇話会」といえば

国家による文化統制の一断面、

文学・文壇への支配の歴史が想起され

中原中也へもその触手が伸びた

――とすぐさま緊張感が走りますが

中也がどれほど国家の政策を警戒していたか

詳しいことはわかりません。

 

そのことはやはり

詩そのものに明らかなはずです。

 

 

秋を呼ぶ雨

 

   1

 

畳の上に、灰は撒(ま)き散らされてあったのです。

僕はその中に、蹲(うずく)まったり、坐(すわ)ったり、寝ころんだりしていたのです。

秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、

窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。

 

僕は遠い海の上で、警笛(けいてき)を鳴らしている船を思い出したりするのでした。

その煙突は白く、太くって、傾いていて、

ふてぶてしくもまた、可憐(かれん)なものに思えるのでした。

沖の方の空は、煙っていて見えないで。

 

僕はもうへとへとなって、何一つしようともしませんでした。

純心な恋物語を読みながら、僕は自分に訊(たず)ねるのでした、

もしかばかりの愛を享(う)けたら、自分も再び元気になるだろうか?

 

かばかりの女の純情を享けたならば、自分にもまた希望は返って来るだろうか?

然(しか)し……と僕は思うのでした、おまえはもう女の愛にも動きはしまい、

おまえはもう、此(こ)の世のたよりなさに、いやという程やっつけられて了(しま)ったのだ!

 

   2

 

弾力も何も失(な)くなったこのような思いは、

それを告白してみたところで、つまらないものでした。

それを告白したからとて、さっぱりするというようなこともない、

それ程までに自分の生存はもう、けがらわしいものになっていたのです。

 

それが嘗(かつ)て欺(あざむ)かれたことの、私に残した灰燼(かいじん)のせいだと決ったところで、

僕はその欺かれたことを、思い出しても、はや憤(いきどお)りさえしなかったのです。

僕はただ淋しさと怖れとを胸に抱いて、

灰の撒き散らされた薄明(はくめい)の部屋の中にいるのでした。

 

そしてただ時々一寸(ちょっと)、こんなことを思い出すのでした。

それにしてもやさしくて、理不尽(りふじん)でだけはない自分の心には、

雨だって、もう少しは怡(たの)しく響いたってよかろう…………

 

それなのに、自分の心は、索然(さくぜん)と最後の壁の無味を甞(な)め、

死のうかと考えてみることもなく、いやはやなんとも

隠鬱(いんうつ)なその日その日を、糊塗(こと)しているにすぎないのでした。

 

    3

 

トタンは雨に洗われて、裏店の逞(たくま)しいおかみを想(おも)わせたりしました。

それは酸っぱく、つるつるとして、尤(もっと)も、意地悪でだけはないのでした。

雨はそのおかみのうちの、箒(ほうき)のように、だらだらと降続(ふりつづ)きました。

雨はだらだらと、だらだらと、だらだらと降続きました。

 

瓦(かわら)は不平そうでありました、含まれるだけの雨を含んで、

それは怒り易(やす)い老地主の、不平にも似ておりました。

それにしてもそれは、持って廻(まわ)った趣味なぞよりは、

傷(いた)み果てた私の心には、却(かえっ)て健康なものとして映るのでした。

 

もはや人の癇癖(かんぺき)なぞにも、まるで平気である程に僕は伸び朽(く)ちていたのです。

尤も、嘘だけは癪(しゃく)に障(さわ)るのでしたが…………

人の性向を撰択するなぞということももう、

早朝のビル街のように、何か兇悪(きょうあく)な逞(たくま)しさとのみ思えるのでした。

 

――僕は伸びきった、ゴムの話をしたのです。

だらだらと降る、微温(びおん)の朝の雨の話を。

ひえびえと合羽(かっぱ)に降り、甲板(デッキ)に降る雨の話なら、

せめてもまだ、爽々(すがすが)しい思いを抱かせるのに、なぞ思いながら。

 

   4

 

何処(どこ)まで続くのでしょう、この長い一本道は。

嘗(かつ)てはそれを、少しづつ片附(かたづ)けてゆくということは楽しみでした。

今や麦稈真田(ばっかんさなだ)を編(あ)むというそのような楽しみも

残ってはいない程、疲れてしまっているのです。

 

眠れば悪夢をばかりみて、

もしそれを同情してくれる人があるとしても、

その人に、済まないと感ずるくらいなものでした。

だって、自分で諦(あきら)めきっているその一本道…………。

 

つまり、あらゆる道徳(モラリテ)の影は、消えちまっていたのです。

墓石(ぼせき)のように灰色に、雨をいくらでも吸うその石のように、

だらだらとだらだらと、降続くこの不幸は、

もうやむものとも思えない、秋告げるこの朝の雨のように降るのでした。

 

   5

 

僕の心が、あの精悍(せいかん)な人々を見ないようにと、

そのような祈念(きねん)をしながら、僕は傘さして雨の中を歩いていた。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

詩人、29歳の制作です。

 

29歳は

詩人が長谷川泰子とともに上京した

大正14年(1925年)から10年余。

 

上京したこの年の11月に

事件は起きました。

 

泰子が中也を去り

小林秀雄と暮らしはじめたという事件です。

 

以来、秋は

中也のトラウマになります。

 

厳密に言えば

詩のテーマになります。

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