中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その44/「或る夜の幻想(1・3)」再
「或る夜の幻想(1・3)」が
昭和12年(1937年)の「四季」3月号に
発表されたのには
相当の理由があったことでしょう。
この詩ははじめ全6節でした。
第1節、「彼女の部屋」
第2節、「村の時計」
第3節、「彼女」
第4節、「或る男の肖像」
第5節、「無題――幻滅は鋼(はがね)のいろ。」
第6節、「壁」
――という構成でしたが
「在りし日の歌」には
第2節、第4、5、6節が
「或る男の肖像」として収録されただけでした。
元の詩の
男の物語だけが「在りし日の歌」に収録され
女の物語が省略されました。
「或る夜の幻想(1・3)」に現われる彼女は
長谷川泰子に違いありませんが
昭和12年(というのは詩人が亡くなる年です)に
歌われていたということは驚きです。
◇
或る夜の幻想(1・3)
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があった
その箪笥は
かわたれどきの色をしていた
彼女には
書物や
其(そ)の他(ほか)色々のものもあった
が、どれもその箪笥(たんす)に比べては美しくもなかったので
彼女の部屋には箪笥だけがあった
それで洋服箪笥の中は
本でいっぱいだった
3 彼 女
野原の一隅(ひとすみ)には杉林があった。
なかの一本がわけても聳(そび)えていた。
或(あ)る日彼女はそれにのぼった。
下りて来るのは大変なことだった。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。
一つ一つの挙動(きょどう)は、まことみごとなうねりであった。
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあった。
(「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えました。)
◇
この詩の彼女は
長谷川泰子を実際のモデルにしながら
詩の中に現われた途端に
何か血の流れる身体というよりも
どこかしら作り物めいた人工的なイメージさえするのは
詩に現れる女性が
もともとシュール(超現実的)に描かれているからでしょうか。
人によって受け止め方は違うのでしょうが
妙に不思議な存在感があります。
◇
或る日の夜の幻想ですから
そうなるのだとしても
遠い日の恋(そしてその終わり)を
フィクションに仕立てられるほど
手なずけることができたからかもしれません。
それにしてもどこかしら
彼女は遠い存在のようです。
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