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2017年6月

2017年6月28日 (水)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その45/「聞こえぬ悲鳴」

 

 

昭和10年(1935年)4月23日付けの詩人の日記に

「昨夜2時迄読書。それより2篇の詩を物し、終ること4時半」

――と記されてある2篇の詩の一つが「聞こえぬ悲鳴」であり

もう一つが「十二月の幻想」です。

(「新編中原中也全集」第1巻・解題篇。)

 

 

「聞こえぬ悲鳴」が

深夜、詩人を襲う悲しみを歌ったものだとすると

その悲しみの原因は

このタイトルと関係するようです。

 

 

聞こえぬ悲鳴

 

悲しい 夜更(よふけ)が 訪(おとず)れて

菫(すみれ)の 花が 腐れる 時に

神様 僕は 何を想出(おもいだ)したらよいんでしょ?

 

痩せた 大きな 露西亜(ロシア)の婦(おんな)?

彼女の 手ですか? それとも横顔?

それとも ぼやけた フイルム ですか?

それとも前世紀の 海の夜明け?

 

ああ 悲しい! 悲しい……

神様 あんまり これでは 悲しい

疲れ 疲れた 僕の心に……

いったい 何が 想い出せましょ?

 

悲しい 夜更は 腐った花弁(はなびら)――

   噛(か)んでも 噛んでも 歯跡もつかぬ

   それで いつまで 噛んではいたら

   しらじらじらと 夜は明けた

  

              ――一九三五、四――

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えました。)

 

 

この詩に、

痩せた 大きな 露西亜(ロシア)の婦(おんな)

彼女の 手 

それとも横顔

――と女性が出てくるのは何故でしょうか。

 

この詩では

悲しみで疲れてしまった僕には

痩せた大きな露西亜の女性を思い出せといっても無理だし

彼女の手も、横顔も

思い出そうとする気力もパワーもないのだから

見当外れなことを言わないでほしいと

力なく歌っているのですが

わざわざそれを言うこと自体には

やはり意味があるものと見なければならないでしょう。

 

意味のないことを

わざわざ詩行にするわけがありませんから。

 

その理由こそ

腐った花弁(はなびら)にあるようです。

 

 

腐った花弁は

菫の花が出てきますが

モノとしての実態をもつものではなく

そのような時間を指しているところに

詩の技があるようなメタファーでしょう。

 

誰にも聞こえない悲鳴を

詩人だけは聞いていて

だから誰にもわかって貰えない

その時間を

菫(すみれ)の 花が 腐れる 時

――と表現した

絶妙のメタファー(暗喩)です。

 

 

噛んでも噛んでも噛めない

けれども

噛むしか方法のない厄介な時間に

止むことなく立ちのぼってくる悲しみは

誰にも伝えることができないというのです。

 

 

この感情は

不吉なサイレンを聞くことになります。

 

 

十二月(しわす)の幻想

 

ウー……と、警笛が鳴ります、ウウウー……と、
皆さん、これは何かの前兆です、皆さん!
吃度(きっと)何かが起こります、夜の明け方に。
吃度何かが夜の明け方に、起こると僕は感じるのです

――いや、そんなことはあり得ない、決して。
そんなことはあり得ようわけがない。
それはもう、十分冷静に判断の付く所だ。
それはもう、実証的に云(い)ってそうなんだ……。

ところで天地の間には、
人目に付かぬ条件があって、
それを計上しない限りで、
諸君の意見は正しかろうと、

一夜彗星(すいせい)が現れるように
天変地異は起ります
そして恋人や、親や、兄弟から、
君は、離れてしまうのです、君は、離れてしまうのです

           (一九三五・四・二三)

 

2017年6月27日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その44/「或る夜の幻想(1・3)」再

 

 

「或る夜の幻想(1・3)」が

昭和12年(1937年)の「四季」3月号に

発表されたのには

相当の理由があったことでしょう。

 

この詩ははじめ全6節でした。

 

第1節、「彼女の部屋」

第2節、「村の時計」

第3節、「彼女」

第4節、「或る男の肖像」

第5節、「無題――幻滅は鋼(はがね)のいろ。」

第6節、「壁」

――という構成でしたが

「在りし日の歌」には

第2節、第4、5、6節が

「或る男の肖像」として収録されただけでした。

 

元の詩の

男の物語だけが「在りし日の歌」に収録され

女の物語が省略されました。

 

「或る夜の幻想(1・3)」に現われる彼女は

長谷川泰子に違いありませんが

昭和12年(というのは詩人が亡くなる年です)に

歌われていたということは驚きです。

 

 

或る夜の幻想(1・3)

 

    1 彼女の部屋

 

彼女には

美しい洋服箪笥(ようふくだんす)があった

その箪笥は

かわたれどきの色をしていた

 

彼女には

書物や

其(そ)の他(ほか)色々のものもあった

が、どれもその箪笥(たんす)に比べては美しくもなかったので

彼女の部屋には箪笥だけがあった

 

  それで洋服箪笥の中は

  本でいっぱいだった

 

   3 彼 女

 

野原の一隅(ひとすみ)には杉林があった。

なかの一本がわけても聳(そび)えていた。 

 

或(あ)る日彼女はそれにのぼった。

下りて来るのは大変なことだった。

 

それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかった。

一つ一つの挙動(きょどう)は、まことみごとなうねりであった。

 

夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、

背中にあった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。新かなに変えました。)

 

 

この詩の彼女は

長谷川泰子を実際のモデルにしながら

詩の中に現われた途端に

何か血の流れる身体というよりも

どこかしら作り物めいた人工的なイメージさえするのは

詩に現れる女性が

もともとシュール(超現実的)に描かれているからでしょうか。

 

人によって受け止め方は違うのでしょうが

妙に不思議な存在感があります。

 

 

或る日の夜の幻想ですから

そうなるのだとしても

遠い日の恋(そしてその終わり)を

フィクションに仕立てられるほど

手なずけることができたからかもしれません。

 

それにしてもどこかしら

彼女は遠い存在のようです。

2017年6月25日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その43/「漂々と口笛吹いて」」

 

 

「漂々と口笛吹いて」は

11月の事件と正面対峙した果てに

秋は主格になり

主格となった秋は擬人化されます。

 

 

漂々と口笛吹いて

 

漂々(ひょうひょう)と 口笛吹いて 地平の辺(べ)

  歩き廻(まわ)るは……

一枝(ひとえ)の ポプラを肩に ゆさゆさと

葉を翻(ひるが)えし 歩き廻るは

 

褐色(かちいろ)の 海賊帽子(かいぞくぼうし) ひょろひょろの

ズボンを穿(は)いて 地平の辺

   森のこちらを すれすれに

目立たぬように 歩いているのは

 

あれは なんだ? あれは なんだ?

あれは 単なる呑気者(のんきもの)か?

それともあれは 横著者(おうちゃくもの)か?

あれは なんだ? あれは なんだ?

 

  地平のあたりを口笛吹いて

  ああして呑気に歩いてゆくのは

  ポプラを肩に葉を翻えし

  ああして呑気に歩いてゆくのは

  弱げにみえて横著そうで

  さりとて別に悪意もないのは

 

あれはサ 秋サ ただなんとなく

おまえの 意欲を 嗤(わら)いに 来たのサ

あんまり あんまり ただなんとなく

嗤いに 来たのサ おまえの 意欲を

 

  嗤うことさえよしてもいいと

  やがてもあいつが思う頃には

  嗤うことさえよしてしまえと

  やがてもあいつがひきとるときには

 

冬が来るのサ 冬が 冬が

野分(のわき)の 色の 冬が 来るのサ

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

秋が詩のテーマになっても

事件の内容にはいっさい触れられていません。

 

秋は

別に悪意もなく

ただ口笛を吹いて

呑気に

地平線のあたりを歩いているだけです。

 

秋が行けば

やがて冬が来るだけの

合図でしかないように

詩人は慣れっこになって

秋と親しんでいるかのよう。

 

もはや

テーマのようです、

詩の。

 

 

制作は昭和11年(1936年)9月、

「少女画報」同11年11月号に発表されました。

 

戦争前夜です。

2017年6月24日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その42/「秋を呼ぶ雨」」

 

 

「秋を呼ぶ雨」は

機関紙「文芸懇話会」の昭和11年(1936年)9月号に発表されました。

 

「文芸懇話会」といえば

国家による文化統制の一断面、

文学・文壇への支配の歴史が想起され

中原中也へもその触手が伸びた

――とすぐさま緊張感が走りますが

中也がどれほど国家の政策を警戒していたか

詳しいことはわかりません。

 

そのことはやはり

詩そのものに明らかなはずです。

 

 

秋を呼ぶ雨

 

   1

 

畳の上に、灰は撒(ま)き散らされてあったのです。

僕はその中に、蹲(うずく)まったり、坐(すわ)ったり、寝ころんだりしていたのです。

秋を告げる雨は、夜明け前に降り出して、

窓が白む頃、鶏の声はそのどしゃぶりの中に起ったのです。

 

僕は遠い海の上で、警笛(けいてき)を鳴らしている船を思い出したりするのでした。

その煙突は白く、太くって、傾いていて、

ふてぶてしくもまた、可憐(かれん)なものに思えるのでした。

沖の方の空は、煙っていて見えないで。

 

僕はもうへとへとなって、何一つしようともしませんでした。

純心な恋物語を読みながら、僕は自分に訊(たず)ねるのでした、

もしかばかりの愛を享(う)けたら、自分も再び元気になるだろうか?

 

かばかりの女の純情を享けたならば、自分にもまた希望は返って来るだろうか?

然(しか)し……と僕は思うのでした、おまえはもう女の愛にも動きはしまい、

おまえはもう、此(こ)の世のたよりなさに、いやという程やっつけられて了(しま)ったのだ!

 

   2

 

弾力も何も失(な)くなったこのような思いは、

それを告白してみたところで、つまらないものでした。

それを告白したからとて、さっぱりするというようなこともない、

それ程までに自分の生存はもう、けがらわしいものになっていたのです。

 

それが嘗(かつ)て欺(あざむ)かれたことの、私に残した灰燼(かいじん)のせいだと決ったところで、

僕はその欺かれたことを、思い出しても、はや憤(いきどお)りさえしなかったのです。

僕はただ淋しさと怖れとを胸に抱いて、

灰の撒き散らされた薄明(はくめい)の部屋の中にいるのでした。

 

そしてただ時々一寸(ちょっと)、こんなことを思い出すのでした。

それにしてもやさしくて、理不尽(りふじん)でだけはない自分の心には、

雨だって、もう少しは怡(たの)しく響いたってよかろう…………

 

それなのに、自分の心は、索然(さくぜん)と最後の壁の無味を甞(な)め、

死のうかと考えてみることもなく、いやはやなんとも

隠鬱(いんうつ)なその日その日を、糊塗(こと)しているにすぎないのでした。

 

    3

 

トタンは雨に洗われて、裏店の逞(たくま)しいおかみを想(おも)わせたりしました。

それは酸っぱく、つるつるとして、尤(もっと)も、意地悪でだけはないのでした。

雨はそのおかみのうちの、箒(ほうき)のように、だらだらと降続(ふりつづ)きました。

雨はだらだらと、だらだらと、だらだらと降続きました。

 

瓦(かわら)は不平そうでありました、含まれるだけの雨を含んで、

それは怒り易(やす)い老地主の、不平にも似ておりました。

それにしてもそれは、持って廻(まわ)った趣味なぞよりは、

傷(いた)み果てた私の心には、却(かえっ)て健康なものとして映るのでした。

 

もはや人の癇癖(かんぺき)なぞにも、まるで平気である程に僕は伸び朽(く)ちていたのです。

尤も、嘘だけは癪(しゃく)に障(さわ)るのでしたが…………

人の性向を撰択するなぞということももう、

早朝のビル街のように、何か兇悪(きょうあく)な逞(たくま)しさとのみ思えるのでした。

 

――僕は伸びきった、ゴムの話をしたのです。

だらだらと降る、微温(びおん)の朝の雨の話を。

ひえびえと合羽(かっぱ)に降り、甲板(デッキ)に降る雨の話なら、

せめてもまだ、爽々(すがすが)しい思いを抱かせるのに、なぞ思いながら。

 

   4

 

何処(どこ)まで続くのでしょう、この長い一本道は。

嘗(かつ)てはそれを、少しづつ片附(かたづ)けてゆくということは楽しみでした。

今や麦稈真田(ばっかんさなだ)を編(あ)むというそのような楽しみも

残ってはいない程、疲れてしまっているのです。

 

眠れば悪夢をばかりみて、

もしそれを同情してくれる人があるとしても、

その人に、済まないと感ずるくらいなものでした。

だって、自分で諦(あきら)めきっているその一本道…………。

 

つまり、あらゆる道徳(モラリテ)の影は、消えちまっていたのです。

墓石(ぼせき)のように灰色に、雨をいくらでも吸うその石のように、

だらだらとだらだらと、降続くこの不幸は、

もうやむものとも思えない、秋告げるこの朝の雨のように降るのでした。

 

   5

 

僕の心が、あの精悍(せいかん)な人々を見ないようにと、

そのような祈念(きねん)をしながら、僕は傘さして雨の中を歩いていた。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

詩人、29歳の制作です。

 

29歳は

詩人が長谷川泰子とともに上京した

大正14年(1925年)から10年余。

 

上京したこの年の11月に

事件は起きました。

 

泰子が中也を去り

小林秀雄と暮らしはじめたという事件です。

 

以来、秋は

中也のトラウマになります。

 

厳密に言えば

詩のテーマになります。

2017年6月23日 (金)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その41/「童女」

 

 

これから読む詩「童女」をまた

ここで取り上げてよいものか

まったく見当外れであるかも知れませんが

解釈次第では

可能的な読みの範囲に入るという幅を取って

やはり読むことにしました。

 

 

謎の多い詩です。

 

一つ謎が解ければ

謎の全部も解けていくような作りの詩であるかも知れません。

 

 

童 女

 

眠れよ、眠れ、よい心、

おまえの肌えは、花粉だよ。

 

飛行機虫の夢をみよ、

クリンベルトの夢をみよ。

 

眠れよ、眠れ、よい心、

おまえの眼(まなこ)は、昆虫だ。

 

皮肉ありげな生意気な、

奴等(やつら)の顔のみえぬひま、

 

眠れよ、眠れ、よい心、

飛行機虫の、夢をみよ。

クリンベルトの夢をみよ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

この詩が

呼びかけている相手は

だれでしょうか?

 

童女であることは間違いありませんが

字義通り、童女なのでしょうか?

 

純粋無垢の幼児を

リアリスティックに想定してよいのでしょうか?

 

 

花粉

昆虫

――という喩(たとえ)がまずはひっかかります。

 

この二つとも

童女の身体の部分(肌と眼)の比喩(述語)ですが

この比喩が指し示す意味は

どんなことでしょうか?

 

そこにさまざまな読みが可能です。

 

肌が花粉

眼が昆虫。

 

 

眠れ、眠れ、よい心

そして

おまえ、と呼びかける相手に

見させたい夢は

飛行機虫の夢

クリンベルトの夢、ですが。

 

クリンベルトが謎であっても

飛行機虫のイメージは

さほど見当外れにならないはずの想像を働かせることはできます。

 

まどろみを誘うような心地よい

生き物(飛行機虫)が見る夢を

よい心、おまえが見るように

この詩は歌っていると読むことができるでしょう。 

 

 

ここまで読んで

童女は童女であり続けます。

 

童女は幼児のままですが

純粋無垢の成熟した女性の影が

ふとどこからともなく射して来るのには

理由が見当たりません。

 

童女は

濁世(じょくせい)に身を置き

純粋無垢を維持することが危ぶまれる存在ですから

どうにかして

その危険から守ってあげたいと思うこころが

詩の作者にあるのでしょう。

 

 

そのこころは

恋心(こいごころ)と無縁ではありません。

 

となるとこの詩は

大人の子守唄、すなわちラブソングではないかとも思えて来て

少し目が覚めます。

 

 

「歴程」の昭和11年(1936年)3月創刊号に

「童女」は発表されました。

 

「倦怠輓歌」全5篇の一つでした。

 

ちなみにこの5篇は

「閑寂」

「お道化うた」

「童女」

「深更」

「白紙(ブランク)」

――というラインアップでした。

2017年6月22日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その40/「女給達」

 

 
結婚式をあげて上京し
すぐに引っ越した先が新宿だから
詩の題材もそれらしく
街の雑沓のようなものが聞こえてきます。

住まいの花園アパートは
装幀家であり骨董家であった青山二郎が主(あるじ)で
作家や芸道にいそしむ人々の出入りが頻繁であり
繁華街に隣り合わせしていたために
詩人の交遊関係は新たな領域を広げています。

このアパートには
女給たちも住んでいました。
(「新編中原中也全集」第1巻・解題篇。)

昭和9年(1934年)末に「山羊の歌」の出版がなり
詩人としての名声も徐々に高まっていましたし。



女給達

    なにがなにやらわからないのよ――流行歌
 
彼女等(かのじょら)が、どんな暮しをしているか、
彼女等が、どんな心で生きているか、
私は此(こ)の目でよく見たのです、
はっきりと、見て来たのです。

彼女等は、幸福ではない、
彼女等は、悲しんでいる、
彼女等は、悲しんでいるけれどその悲しみを
ごまかして、幸福そうに見せかけている。

なかなか派手(はで)そうに事を行い、
なかなか気の利いた風にも立廻(たちまわ)り、
楽観しているようにさえみえるけれど、
或(ある)いは、十分図太くくらいは成れているようだけれど、

彼女等は、悲しんでいる、
内心は、心配している、
そして時に他(た)の不幸を聞及(ききおよ)びでもしようものなら、
「可哀相に」と云(い)いながら、大声を出して喜んだりするのです。

                       一九三五、六、六

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)



この詩は
「日本歌人」昭和10年(1935年)9月号に発表したもの。

 

エピグラフの
なにがなにやらわからないのよ
――は、映画「愛して頂戴」(昭和4年封切り)の主題歌の一部です。

「愛して頂戴」は
西条八十作詞、中山晋平作曲で
佐藤千代子が歌ってヒットしました。

昭和初年代はエロ・グロ・ナンセンス時代の風潮が都市に広がり
カフェー文化が花盛りでした。
(同全集・解題篇。)



短歌誌「日本歌人」へ発表されたこの詩は
道化調の遊び(諧謔味)が利いていなくて
だから道化調とは言えなくて
むしろ「むなしさ」や「朝鮮女」の流れに属するようですが
いまいちエッジが甘いようなのは
女給たちの悲しみへの同調が
後退しているように読めてしまうからです。

でも、酒場で働く女たちの生態をしっかりとらえ
他人の不幸を笑う底に
悲しみがあることを見る眼に
揺るぎはありません。

女給たちを
詩人が仲間のように感じていなければ
この詩を書くことはなかったでしょう。

声援が前面に出なかっただけのことです。



女給といえば
昭和7年末ごろ詩人は
京橋のバー「ウィンゾアー」の女給、坂本睦子に
親友の詩人、高森文夫の叔母を通じて求婚したが
断られた話が伝わっています。

坂口安吾の小説「二十七歳」(昭和22年)には
この頃の中原中也が登場し
フィクションの中に
詩人の一断面が鮮やかに描き出されていて有名です。

坂本睦子は
大岡昇平の恋愛小説「花影」(昭和36年)のモデルにもなりました。



「女給たち」に
坂本睦子の面影があるのは
言うまでもないことですが
「達」としたところに
詩人が意図したものは大きいと言わねばなりません。

 

 

 

 

 

 

 

2017年6月21日 (水)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その39/「ピチベの哲学」

 

「山羊の歌」44篇

「在りし日の歌」58篇

計102篇中の3、4割にもなるでしょうか

恋の詩もしくは女性を歌った詩がなんと多いことか。

 

これが公刊詩集の恋歌です。

 

むろん、恋をどのように定義するかで

変わってきますが

ここではかなり広義にとらえ

女性が現われる詩のほとんどを数にいれています。

 

 

詩集のほかに

詩人の生前に発表された詩篇がありますが

この生前発表詩篇の中の恋歌についても

この際ですから

読んでみることにします。

 

生前発表詩篇で

はじめに現われるのは「或る女の子」ですが

この詩はこのシリーズはじめの方で読みました。

 

次に現われるのが

「ピチベの哲学」です。

 

 

ピチベの哲学

 

チョンザイチョンザイピーフービー

俺は愁(かな)しいのだよ。

――あの月の中にはな、

色蒼(あお)ざめたお姫様がいて………

それがチャールストンを踊っているのだ。

けれどもそれは見えないので、

それで月は、あのように静かなのさ。

 

チョンザイチョンザイピーフービー

チャールストンというのはとてもあのお姫様が踊るような踊りではないけれども、

そこがまた月の世界の神秘であって、

却々(なかなか)六ヶ敷(むつかし)いところさ。

 

チョンザイチョンザイピーフービー

だがまたとっくと見ているうちには、

それがそうだと分っても来るさ。

迅(はや)いといえば迅い、緩(おそ)いといえば緩いテンポで、

ああしてお姫様が踊っていられるからこそ、

月はあやしくも美しいのである。

真珠(しんじゅ)のように美しいのである。

 

チョンザイチョンザイピーフービー

ゆるやかなものがゆるやかだと思うのは間違っているぞォ。

さて俺は落付(おちつ)こう、なんてな、

そういうのが間違っているぞォ。

イライラしている時にはイライラ、

のんびりしている時にはのんびり、

あのお月様の中のお姫様のように、

なんにも考えずに絶えずもう踊っていりゃ

それがハタから見りゃ美しいのさ。

 

チョンザイチョンザイピーフービー

真珠のように美しいのさ。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

この詩、支離滅裂のようでありながら

言いたいことは絞られていて

理路整然としているとさえいえるのは

「お道化うた」

「狂気の手紙」などと同じです。

 

月はあやしくも美しいのである。

真珠(しんじゅ)のように美しいのである。

――と詩の中央部ですっきりと述べられる月の美しさは

終わりの方で

お月様の中のお姫様の真珠のような美しさに

成り変わって歌われています。

 

どうやら月の美しさを歌う振りして

お姫様の美しさを歌っているのですが

このお姫様こそは

詩人が結婚した相手である孝子夫人のことらしい!

 

 

ピチベという人物の由来も

依然不明ですが

不明であっても

そのような男がいて

その男に祝婚の歌を歌わせていることらしいのです。

 

呪文の意味も不明ですが

なにやら祝意を含んだ呪文であるようなことを知ると

嬉しくなってくるような詩ではありませんか。

 

 

このような詩を詩人が書いたのは

昭和8年(1933年)の年の暮れで

これより前の12月3日に生地、山口県の湯田温泉で結婚式を済ませ

12月13日には花嫁ともども上京し

新宿・花園アパートへ住まいはじめてしばらくのことでした。

 

 

「ピチベの哲学」

「狂気の手紙」

「骨」

「道化の臨終(Etude Dadaistique)」

「秋岸清凉居士」

「月下の告白」

「星とピエロ」

「誘蛾灯詠歌」

「(なんにも書かなかったら)」

――と、翌昭和9年(1934年)に道化調の詩を量産する流れの

最初に書いたのが「ピチベの哲学」でした。

2017年6月20日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩38/「米子」再

 

「永訣の秋」の16篇は

昭和11年(1936年)11月から

翌12年10月までの間に

詩誌や雑誌などに発表された詩です。

 

16篇のうちで

恋の別れを歌ったものは

「ゆきてかえらぬ」

「あばずれ女の亭主が歌った」

「或る男の肖像」

「米子」

――の4篇に絞ることができるでしょう。

 

この4篇以外には

女性が副詞句「処女の眼のように」(言葉なき歌)や

「花嫁御寮」、「奥さん」(春日狂想)などの詩語として現れますが

恋の主題とはほど遠い詩語でしかありません。

 

この4篇に

長谷川泰子のイメージが色濃い女性が登場することは

それだけで驚異であり

泰子との出会いが運命的であったものと言えることでしょう。

 

それにしても

その泰子への永訣の意味も

込められていたということになるならば

永訣とは

最後の最後の恋と言えるのかもしれません。

 

 

「米子」は

「永訣の秋」の最終詩「蛙声」へ連なる5篇の

「冬の長門峡」の次に配置され

「正午―丸ビル風景」

「春日狂想」という流れの中にあります。

 

なぜ「米子」=よねことしたか?

 

ここには

詩人の言語感性のいっさいが動員されて

考えに考え抜かれたものか

あっさりと天から降りてきたものか

米子=よねことしか言いようにない

泰子の象(かたち)が籠(こも)っているような一語です。

 

もう一度

「米子」を読みましょう。

 



米 子

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

肺病やみで、腓(ひ)は細かった。

ポプラのように、人も通らぬ

歩道に沿(そ)って、立っていた。

 

処女(むすめ)の名前は、米子(よねこ)と云(い)った。

夏には、顔が、汚れてみえたが、

冬だの秋には、きれいであった。

――かぼそい声をしておった。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

お嫁に行けば、その病気は

癒(なお)るかに思われた。と、そう思いながら

私はたびたび処女(むすめ)をみた……

 

しかし一度も、そうと口には出さなかった。

別に、云(い)い出しにくいからというのでもない

云って却(かえ)って、落胆させてはと思ったからでもない、

なぜかしら、云わずじまいであったのだ。

 

二十八歳のその処女(むすめ)は、

歩道に沿って立っていた、

雨あがりの午後、ポプラのように。

――かぼそい声をもう一度、聞いてみたいと思うのだ……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)


 

もう一度、と思うこころを

恋しいといいますね。

 

 

巷間に伝わる長谷川泰子のイメージと

ずいぶん違うようですが

そのような疑問は不要です。

 

詩人が恋していたのは

米子でしたから。

 

2017年6月19日 (月)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その37/「ゆきてかえらぬ」

 

 

「在りし日の歌」の後章「永訣の秋」には

16篇が収められています。

 

詩人は「永訣」に

亡き長男・文也との別れの意志を込め

同時にそれまでの詩人の生活に別れを告げて

心機一転をはかったものと解釈されています。

(「新編中原中也全集」)

 

宮沢賢治の詩集「春と修羅」で早い時期に読んで

「永訣の朝」が念頭にあったらしい。

 

 

その章のトップに

「ゆきてかえらぬ」が置かれています。

 

京都は詩人としての暮らしを出発した場所でした。

 

生れて始めて両親を離れ、飛び立つ思ひなり(「詩的履歴書」)

――と記し残したほどに

京都は

自由への、

自立への、

詩人の出発への

青春の第一歩を刻んだ場所でした。

 

その京都時代を顧みて

心機一転(再出発)を試みます。

 

 

ゆきてかえらぬ

      ――京 都――

 

 僕は此(こ)の世の果てにいた。陽(ひ)は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺っていた。

 

 木橋の、埃(ほこ)りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上(がいじょう)に停っていた。

 

 棲む人達は子供等(こどもら)は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であった。

 

 さりとて退屈してもいず、空気の中には蜜(みつ)があり、物体ではないその蜜は、常住(じょうじゅう)食(しょく)すに適していた。

 

 煙草(たばこ)くらいは喫(す)ってもみたが、それとて匂(にお)いを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外(そと)でしか吹かさなかった。

 

 さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持っていたとはいえ、布団(ふとん)ときたらば影(かげ)だになく、歯刷子(はぶらし)くらいは持ってもいたが、たった一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方(めかた)、たのしむだけのものだった。

 

 女たちは、げに慕(した)わしいのではあったが、一度とて、会いに行こうと思わなかった。夢みるだけで沢山(たくさん)だった。

 

 名状(めいじょう)しがたい何物かが、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴っていた。

 

         *           *

               *

 

 林の中には、世にも不思議な公園があって、無気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩していて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情していた。

 さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えてあります。)

 

 

冒頭行の、

僕は此(こ)の世の果てにいた。陽(ひ)は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺っていた。

――と

最終行の、

その空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いていた。

――が

「山羊の歌」の「少年時」に似た輝きを想起させます。

 

ここではギロギロではなく

銀色の輝きですが。

 

この輝きを

いま、詩人は取り戻そうとしているのでしょうか?

 

過去のものとして

もはや回復を諦めているのでしょうか?

 

 

遠い日のことが歌われているのは確かです。

 

遠い日をズームアウトして

捉えようとする視線があります。

 

一歩引いて

俯瞰し

相対化する眼差しが

散文詩を貫いています。

 

 

中に、

女たちや、女や子供が現われますが

京都で起きた最大の事件といって過言ではない

長谷川泰子はその中に含まれていても

存在するかどうかさえ不確かです。

 

ここに泰子はいるでしょうか?

2017年6月18日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その36/「雪の賦」

 

 

「独身者」は

「在りし日の歌」の前章「在りし日の歌」の

終わりから数えて4番目にあり

その前に「雪の賦」「わが半生」があります。

 

思い出を誘発する雪の景色を歌い

自らの来し方(こしかた)を辿る詩が並びますが

「在りし日の歌」全体が

みんな過ぎ去りし日の歌ですから

特別なことではありませんし

過去のものには恋も含まれているところには

聴き耳を立ててよいことでしょう。

 

恋はすでに

在りし日(=過去)のもので

遠景に退き

雪景色の中に形跡をとどめます。

 

 

雪の賦

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が、

かなしくもうつくしいものに――

憂愁(ゆうしゅう)にみちたものに、思えるのであった。

 

その雪は、中世の、暗いお城の塀にも降り、

大高源吾(おおたかげんご)の頃にも降った……

 

幾多(あまた)々々の孤児の手は、

そのためにかじかんで、

都会の夕べはそのために十分悲しくあったのだ。

 

ロシアの田舎の別荘の、

矢来(やらい)の彼方(かなた)に見る雪は、

うんざりする程永遠で、

 

雪の降る日は高貴の夫人も、

ちっとは愚痴(ぐち)でもあろうと思われ……

 

雪が降るとこのわたくしには、人生が

かなしくもうつくしいものに――

憂愁にみちたものに、思えるのであった。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えてあります。)

 

 

長谷川泰子との恋物語は思い出になり

ロシアの高貴な夫人に姿を変えています。

 

そのうえ

人生の一コマのようです。

 

その人生は

かなしくもうつくしいもの

憂愁にみちたもの

――と思える現在の心境を歌ったのです。

 

雪はいま間近にありますが

遠い時間へさかのぼり

遠い遠いロシアの雪原に飛ぶ遠景に

高貴な夫人(泰子)は在ります。

 

 

この詩は「四季」の昭和11年(1936年)5月号に発表されたことから

その2月前の3月制作と推定されています。

 

30歳で死去する

詩人29歳の詩です。

2017年6月17日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その35/「独身者」

 

 

「独身者」には

大原女(おはらめ)が登場することから

京都を扱った作品であることを知ります。

 

京都といえばやはり泰子の面影が

大原女に重なるのは必然的です。

 

この詩の主人公の彼は

詩人の分身であることも間違いないことでしょう。

 

つまり、この詩は

馴れ初めのメタファーです。

 

遠い日を回想し

それをメタファーで表現しています。

 

 

独身者

 

石鹸箱(せっけんばこ)には秋風が吹き

郊外と、市街を限る路(みち)の上には

大原女(おはらめ)が一人歩いていた

 

――彼は独身者(どくしんもの)であった

彼は極度の近眼であった

彼は“よそゆき”を普段に着ていた

判屋奉公(はんやぼうこう)したこともあった

 

今しも彼が湯屋(ゆや)から出て来る

薄日(うすび)の射してる午後の三時

石鹸箱には風が吹き

郊外と、市街を限る路の上には

大原女が一人歩いていた

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。原文の傍点は“ ”で示しました。編者。)

 

 

独身の彼(詩人)が

湯屋(いまの銭湯)から出てきたところで

大原女が歩いているのを見た

――というだけの出来事を叙述する

いわば叙事詩ですが

絶妙な抒情感が漂う不思議な詩です。

 

この抒情は

どこからもたらされるものでしょうか?

 

そのことを追求していくと

恋ごころが見えてくるかもしれません。

 

 

それにしても

彼を捉える詩人の言語感覚のユニークな(鋭い)こと!

 

第2連の

彼は極度の近眼であった

彼は“よそゆき”を普段に着ていた

判屋奉公(はんやぼうこう)したこともあった

――は、

叙述でありながら

リアリズムであることを超えてしまっていて

いつしか詩人の経歴の喩(たとえ)になっています。

 

近眼は勉強家、

よそゆきを普段着にしているというのは

ランボー風のファッションか、

あるいは親元を離れての暮らしで

衣類に普段着の持ち合わせがなかったから

あらたまった外出着をいつも着ていたことをさすのか、

判屋奉公(はんやぼうこう)は

両親のしつけが厳しかったことを表しているでしょう。

 

いずれも詩人の実体験の比喩です。

 

 

第3連の、

今しも彼が湯屋(ゆや)から出て来る

薄日(うすび)の射してる午後の三時

――も、きっとそういう時があったのです。

 

京都で、遠い遠い日に。

 

 

石鹸箱を湯屋に持ち込んで

湯に浸かり身体をゴシゴシ洗って外に出ると

湯上がりで火照る肌に

爽やかな秋風が吹きつけるというのも

きっと実体験。

 

それだけで

詩行の隅々に

いわく言い難い抒情が入り込みます。

 

 

では、

彼と大原女の関係はなんなのでしょう?

 

大原女が

泰子の比喩であるわけがここにありますが

なぜ大原女か。

 

それを論理的に解こうとしたって

無理な話です。

 

泰子を大原女に譬える

何かしらがあったのであり

詩人の感性(天性)が炸裂したというしかありません。

 

 

「在りし日の歌」の前章「在りし日の歌」の

終わり近くに「独身者」は配置されています。

 

大原女が歩いている姿は

いかにも遠景にありますが

それは恋の消滅というより

過去に確かに存在していたということを示しています。

遠景にありながら

くっきり鮮やかな輪郭をもつ理由(わけ)です。

 

この詩は

「永訣の秋」の章の「ゆきてかえらず」へ通じていきます。

 

 

2017年6月16日 (金)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その34/「お道化うた」

 

 

恋というには

あまりにも枠を広げているようですが

そもそもここでいう恋は

万葉期のおおらかな相聞(そうもん)や

平安王朝時代の濃密な色恋などではないことを

断るまでもないことでしょう。

 

アポリネールの恋の詩みたいなものだけでもありません。

 

 

「在りし日の歌」は

全作が短調を基調とするものですから

恋の詩も短調である場合が多いのですが

マイナーでありながらも

作者(歌い手)の立つ位置に変化が起こる時があります。

 

道化調の詩群です。

 

 

「お道化うた」は

道化が登場するのではなく

詩の作者(詩人)が

道化になって歌います。

 

 

お道化うた

 

月の光のそのことを、

盲目少女(めくらむすめ)に教えたは、

ベートーヴェンか、シューバート?

俺の記憶の錯覚が、

今夜とちれているけれど、

ベトちゃんだとは思うけど、

シュバちゃんではなかったろうか?

 

霧の降ったる秋の夜に、

庭・石段に腰掛けて、

月の光を浴びながら、

二人、黙っていたけれど、

やがてピアノの部屋に入り、

泣かんばかりに弾き出した、

あれは、シュバちゃんではなかったろうか?

 

かすむ街の灯とおに見て、

ウインの市の郊外に、

星も降るよなその夜さ一と夜、

虫、草叢(くさむら)にすだく頃、

教師の息子の十三番目、

頸(くび)の短いあの男、

盲目少女(めくらむすめ)の手をとるように、

ピアノの上に勢い込んだ、

汗の出そうなその額、

安物くさいその眼鏡、

丸い背中もいじらしく

吐き出すように弾いたのは、

あれは、シュバちゃんではなかったろうか?

 

シュバちゃんかベトちゃんか、

そんなこと、いざ知らね、

今宵星降る東京の夜(よる)、

ビールのコップを傾けて、

月の光を見てあれば、

ベトちゃんもシュバちゃんも、はやとおに死に、

はやとおに死んだことさえ、

誰知ろうことわりもない……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

口調はお道化ていますが

内容はシリアス(深刻)です。

 

道化にシリアスな内容を

仮託します。

 

 

一度、遠景に退いた女性が

このようにして

再び近景に歌われることを

見過ごすことはできません。

 

女性はこの詩では

盲目の少女です。

 

若き日のベートーベンが友人と散歩に出た時に

自分が作曲した曲を少女が弾いているのを聴き

すすんでその少女の部屋に入り込んでピアノを聞かせた後で

自宅へ戻って完成させた曲が「月光の曲」だった

――という有名な伝説を題材にしています。

 

 

詩は

この音楽家が

ベートーベンだったかシューベルトだったかを忘れるほどに記憶が乱れている

酔っぱらった道化を歌い手にしています。

 

シュバちゃんかベトちゃんか

そんなこと いざ知らね

――と最後にはどうでもいいようなことにしてしまう詩ですが

ではいったいこの詩の眼目(狙い)はどこにあるでしょうか。

 

 

目くらましにあったようなお道化ぶりに

タジタジになるところですが

盲目の少女のピアノに触発されて

ベートーベン(であることを詩人はとうに自覚しています)が

「月光の曲」を完成したという

そのモチベーションになった少女の存在が

核心にあることは間違いありません。

 

主役は少女です、月光とともに。

 

 

ベートーベンを突き動かして

少女のピアノを弾かせたものは

では何だったでしょうか?

 

月光だったでしょうか?

 

少女の住まいのみすぼらしさだったでしょうか?

 

同情や憐憫といった感情を少女に抱いたために

少女の部屋に飛び込んだのでしょうか?

 

NO!

 

 

伝説の真実を問題にしているのではありません。

 

この詩「お道化うた」で

詩人が歌っているものが問題です。

 

 

泣かんばかりに弾き出した

ピアノの上に勢い込んだ

吐き出すように弾いた

――と歌っている詩人の眼差しが重要です。

 

道化(=詩人)の眼差しは

恐ろしく怜悧(れいり)に

ベトちゃんを見ています。

 

ベトちゃんが

少女のピアノを弾きはじめたのは

ベトちゃんの内部の声に目覚めたからでした。

 

月光によって、そして少女によって。

 

ベトちゃんは

月の光の美しさを

少女に伝えたかったのでした。

 

 

ベトちゃんのその心に

恋はこれっきりも存在しなかったでしょうか?

2017年6月13日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その33/「朝鮮女」

 



「在りし日の歌」の前章「在りし日の歌」48篇は
「骨」「秋日狂乱」につづき
「朝鮮女」を配して
中盤を超えたあたりにさしかかります。

現われる女性の像(かたち)は
いっそう泰子のイメージを離れ
恋の詩は少なくなるように見えます。



朝鮮女

朝鮮女(おんな)の服の紐(ひも)
秋の風にや縒(よ)れたらん
街道(かいどう)を往(ゆ)くおりおりは
子供の手をば無理に引き
額顰(ひたいしか)めし汝(な)が面(おも)ぞ
肌赤銅(はだしゃくどう)の乾物(ひもの)にて
なにを思えるその顔ぞ
――まことやわれもうらぶれし
こころに呆(ほう)け見いたりけん
われを打(うち)見ていぶかりて
子供うながし去りゆけり……
軽く立ちたる埃(ほこり)かも
何をかわれに思えとや
軽く立ちたる埃かも
何をかわれに思えとや……
・・・・・・・・・・・

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)



「女」が出てくるだけで
ここで取り上げるのには戸惑いがありますが
恋とは何かを考える材料になるかもしれない
――と思う頭の中に
「むなしさ」との類似点と相違点について
どんどんどんどん考えが進んでいくのを止めることができません。

なので
ここで読むことにします。



「むなしさ」に
よすがなき われは戯女(たわれめ)
――や
それらみな ふるのわが友
――とあるようには
同一化がこの「朝鮮女」には無いように見えますが。

同一化は
まことやわれもうらぶれし
――とあるのです。

違いは
古くからの知り合いであるか
初めて見た女であるかであり
この詩では
街中で初めて見た朝鮮女性を歌ったところです。



詩(人)は
何をかわれに思えとや
――のルフランで
その感慨を述べますが。

その心の中は
まことやわれもうらぶれし
――という同一化の感情なのですから
このルフラン行(何をかわれに思えとや)が歌われたということになります。

後(あと)のルフラン
何をかわれに思えとや……
――の「……」には
詩人の万感が込められていて
さらに
詩の最終行の「…………」は
万感以上の
尽くし得ない思いの渦巻(うずまき)か
あるいは沈黙を意味するのか。

朝鮮女性の着ている服の紐が
秋風のために縒(よ)れているのだろうか?
――とふと浮かんだ疑問に
軽く立ちたる埃かも
――というもう一つの別のルフランを歌い
自ら答えを見い出したのか。

言い尽くせぬ感情と思索の爆発とを
示すしかないもののようでした。



われ(詩人)を避けるようにして去った母子でしたが
詩人はしっかりと
母子への連帯(としか言いようにない)のあいさつを
送ったのです、この詩で。

これを恋心(こいごころ)と
言ってはいけないものでしょうか。

 

 

 

 

 

2017年6月12日 (月)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その32/「秋日狂乱」

 

「白痴群」の解体と

同人たちの離散と

同時に進行した長谷川泰子との別離。

 

大都会に一人ぼっちで投げ出された

――という絶対孤絶の中で

詩人の酒場通いは足繁くなりましたが

詩作やランボーの翻訳(フランス語の勉強)への意欲は衰えず

後に「詩的履歴書」に記した「以後雌伏」とは

充電のことであったことが理解できます。

 

 

これは

誤解されがちな

中原中也という詩人の強さでした。

 

徒手空拳とか

無一物とかの強さでした。

 

 

秋日狂乱

 

 

僕にはもはや何もないのだ

僕は空手空拳(くうしゅくうけん)だ

おまけにそれを嘆(なげ)きもしない

僕はいよいよの無一物(むいちもつ)だ

 

それにしても今日は好いお天気で

さっきから沢山の飛行機が飛んでいる

――欧羅巴(ヨーロッパ)は戦争を起(おこ)すのか起さないのか

誰がそんなこと分るものか

 

今日はほんとに好いお天気で

空の青も涙にうるんでいる

ポプラがヒラヒラヒラヒラしていて

子供等(こどもら)は先刻(せんこく)昇天した

 

もはや地上には日向(ひなた)ぼっこをしている

月給取の妻君(さいくん)とデーデー屋さん以外にいない

デーデー屋さんの叩(たた)く鼓(つづみ)の音が

明るい廃墟を唯(ただ)独りで讃美(さんび)し廻(まわ)っている

 

ああ、誰か来て僕を助けて呉れ

ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼(な)いたろうが

きょうびは雀(すずめ)も啼いてはおらぬ

地上に落ちた物影でさえ、はや余(あま)りに淡(あわ)い!

 

――さるにても田舎(いなか)のお嬢さんは何処(どこ)に去(い)ったか

その紫の押花(おしばな)はもうにじまないのか

草の上には陽は照らぬのか

昇天(しょうてん)の幻想だにもはやないのか?

 

僕は何を云(い)っているのか

如何(いか)なる錯乱(さくらん)に掠(かす)められているのか

蝶々はどっちへとんでいったか

今は春でなくて、秋であったか

 

ではああ、濃いシロップでも飲もう

冷たくして、太いストローで飲もう

とろとろと、脇見もしないで飲もう

何にも、何にも、求めまい!……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

「狂」を演じてみたり

道化を装(よそお)ったり

政治に無関心の振りをしたり

女性を前面で歌わなくなったり、と。

 

 

詩に現れる恋(女性)は

遠景になり

点景になり

借景になり。

 

しかし、

消えてしまったわけではありません。

 

途絶えることなく

中也の詩世界の重要なモチーフとして

現われつづけます。

 

 

「秋日狂乱」のこの

田舎(いなか)のお嬢さん

――は、やはりこの詩の中心部に位置しています。

 

第1次形態(初稿)の制作は

昭和10年(1935年)10月ですが

同じ頃の作品に「青い瞳」があり

この謎のような「瞳」とのつながりが

おぼろげに見えてきますが

本当のところは謎のままです。

 

 

この詩の制作の2年前の昭和8年(1933年)12月に

詩人は遠縁の女性、上野孝子と結婚しています。

 

詩に現れる女性が

実生活のこの変化の影響を受けているのか

そのことへの興味も尽きませんが 

その答もまた詩の中にしか存在しません。

 

 

2017年6月10日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その31/「冬の夜」

 

 

 

「湖上」の次に配置された「冬の夜」ははじめ

昭和8年(1933年)1月30日付けの

安原喜弘宛書簡に同封されていた詩篇です。

 

この前日の書簡(29日付け)もあり

詩人は28日夜の銀座での飲み会にふれて

自らを「一人でカーニバルをやっていた男」と記し

同行していた親友、安原へ

反省とお詫びの言葉を書き送るとともに

この詩を同封しました。

 

 

冬の夜

 

みなさん今夜は静かです

薬鑵(やかん)の音がしています

僕は女を想(おも)ってる

僕には女がないのです

 

それで苦労もないのです

えもいわれない弾力の

空気のような空想に

女を描(えが)いてみているのです

 

えもいわれない弾力の

澄み亙(わた)ったる夜(よ)の沈黙(しじま)

薬鑵の音を聞きながら

女を夢みているのです

 

かくて夜(よ)は更(ふ)け夜は深まって

犬のみ覚めたる冬の夜は

影と煙草と僕と犬

えもいわれないカクテールです

 

   2

 

空気よりよいものはないのです

それも寒い夜の室内の空気よりもよいものはないのです

煙よりよいものはないのです

煙より 愉快なものもないのです

やがてはそれがお分りなのです

同感なさる時が 来るのです

 

空気よりよいものはないのです

寒い夜の痩せた年増女(としま)の手のような

その手の弾力のような やわらかい またかたい

かたいような その手の弾力のような

煙のような その女の情熱のような

炎(も)えるような 消えるような

 

冬の夜の室内の 空気よりよいものはないのです

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

「冬の夜」が

このカーニバルの興奮冷めやらぬ間に

書かれたものであることが分かりますが

詩は幾分か酔い覚めの気分を残しつつ

祭りの後の深い孤独感がにじみでる内容になりました。

 

 

「湖上」の次に配置されているのは

それなりの意図があることでしょう。

 

「冬の夜」は

「湖上」と表裏(おもてうら)の関係にある作品であるのがわかります。

 

僕は女を想(おも)ってる

僕には女がないのです

 

――という心境(状況)が底にあります。

 

両作品ともに

この心境に真正面から向かった結果

異なる表現に至ったと言ってよい詩です。

 

 

中原中也は

銀座の酒場に出かける先々で喧嘩が起こり

その喧嘩も

中也が吹っかけては

相手に殴られることが多かったものだったらしい。

 

「ウインザー」や「エスパニョール」といった

銀座の酒場での「一人カーニバル」については

安原喜弘のほか

青山二郎らの目撃証言があり

いまや伝説になっています。

 

 

2017年6月 8日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その30/「湖上」

 

 

 

これほど輪郭のくっきりした恋の詩は

中也の詩の中でも類例はわずかでしょう。

 

幸福感でいっぱいのようですし

快活であるばかりなのが

かえって怖いくらいです。

 

 

湖 上

 

ポッカリ月が出ましたら、

舟を浮べて出掛けましょう。

波はヒタヒタ打つでしょう、

風も少しはあるでしょう。

 

沖に出たらば暗いでしょう、

櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音(ね)は

昵懇(ちか)しいものに聞こえましょう、

――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

 

月は聴き耳立てるでしょう、

すこしは降りても来るでしょう、

われら接唇(くちづけ)する時に

月は頭上にあるでしょう。

 

あなたはなおも、語るでしょう、

よしないことや拗言(すねごと)や、

洩(も)らさず私は聴くでしょう、

――けれど漕(こ)ぐ手はやめないで。

 

ポッカリ月が出ましたら、

舟を浮べて出掛けましょう、

波はヒタヒタ打つでしょう、

風も少しはあるでしょう。

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

絵筆で描いたような

この幸福の裏の苦境について

知る必要があるでしょうか。

 

 

知らないでこの詩を読んで

苦悩のひとかけらもない幸福感に共鳴する自由が

この詩の読者には開けています。

 

それはそれで構わないのですが

詩人の苦境を知ったうえでこれを読めば

味わいも深くなるのなら

やはり知っておいたほうがベターということになる

詩人の状況があります。

 

 

この詩の第1次形態の末尾に

「15、6、1930、」の日付があり

昭和5年(1930年)6月15日に制作されたことがわかっています。

 

23歳になる年で

詩人が主導して発行していた同人誌「白痴群」が

廃刊になった年です。

 

同人たちとの離散でこうむった傷痕が癒えていません。

 

長谷川泰子は

築地小劇場の演出家、山川幸世と親しくなり

懐胎していました。

 

(以上「新編中原中也全集」より。)

 

 

泰子の消息をどれほど

中也がつかんでいたのか

はっきりしてはいませんが

距離は次第に大きくなっていたことが想像できます。

 

 

こういう背景の中で

「湖上」は作られました。

 

ポッカリ月が出ましたら、

沖に出たらば

――という仮定には

願望が重なっています。

 

仮定であり願望であるから

恋の詩が

はっきりとした輪郭をもつことになりました。

 

猥雑な物事を含む現実の

ゴミゴミとした感情関係がそぎ落とされ

願望が純化されました。

2017年6月 7日 (水)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その29/「秋の日」

 

 

木履は「きぐつ」と読みますが

「ぽっくり」と読むこともあります。

 

「ぽっくり」では音数が過剰ですが

促音便「っ」を音数に入れず

「ぽくり」と読めばOKですから

この可能性も否定できません。

 

 

「秋の日」の木履は

それを履いているのは恋人であり

友であるような女性なのでしょうか

主役級の位置にあることを示す

キーワードです。

 

 

秋の日

 

  磧(かわら)づたいの 竝樹(なみき)の 蔭(かげ)に

秋は 美し 女の 瞼(まぶた)

  泣きも いでなん 空の 潤(うる)み

昔の 馬の 蹄(ひづめ)の 音よ

 

 長(なが)の 年月 疲れの ために

国道 いゆけば 秋は 身に沁(し)む

 なんでも ないてば なんでも ないに

木履の 音さえ 身に 沁みる

 

 陽(ひ)は今 磧の 半分に 射し

流れを 無形(むぎょう)の 筏(いかだ)は とおる

 野原は 向(むこ)うで 伏(ふ)せって いるが

 

連れだつ 友の お道化(どけ)た 調子も

 不思議に 空気に 溶け 込んで

秋は 案じる くちびる 結んで

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

磧(かわら)づたい

国道 いゆけば

流れを 

――と出てくる地理(地形)が

分かりにくいものの

二人は秋の昼下がり

何かの拍子にてくてくと

川原伝いの国道を歩いて行くのです。

 

川原の半分に陽光は射し

半分に無形の筏――。

 

無形(むぎょう)の 筏(いかだ)は とおる

――とあるところが

二人の存在している(行く)場所のようです。

 

 

恋がここにあるならば

無形の筏、です。

 

形の無い筏に

乗っている二人。

 

 

馬の蹄の音

木履の音

友のお道化た調子

――とある音の響きに

妙な静けさが漂うのも

無形の筏というレゾンデートルゆえでしょうか。

 

最終行、

秋は 案じる くちびる 結んで

――が恋の神妙さ(深刻さ)を表すものか

謎に終ります。

 

 

木履は

ダダ詩「春の日の怒」(1924年作・推定)にも現われますので

関連が気になりますから

目を通しておきましょう。

 

 

春の日の怒

 

田の中にテニスコートがありますかい?

春風です

よろこびやがれ凡俗(ぼんぞく)!

名詞の換言(かんげん)で日が暮れよう

 

アスファルトの上は凡人がゆく

顔 顔 顔

石版刷りのポスターに

木履の音は這(は)い込もう

 

(「新編中原中也全集」第2巻より。現代かなに変えました。)

 

 

この詩「秋の日」は

「蜻蛉に寄す」や

「曇天」と同じように

分かち書きで作られた詩群の一つです。

 

「文学界」昭和11年(1936年)10月号に初出。

 

詩人29歳の年の制作(推定)です。

2017年6月 6日 (火)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その28/「夏の夜」

 

 

実在感というよりも

抽象化(人工化)が進んだような女性が

やがて現われます。

 

女性は

桜色であり、花弁であり

ほかに何ら言及されませんが。

 

 

夏の夜

 

ああ 疲れた胸の裡(うち)を

桜色の 女が通る

女が通る。

 

夏の夜の水田の滓(おり)、

怨恨(えんこん)は気が遐(とお)くなる

――盆地を繞(めぐ)る山は巡るか?

 

裸足(らそく)はやさしく 砂は底だ、

開いた瞳は おいてきぼりだ、

霧(きり)の夜空は 高くて黒い。

 

霧の夜空は高くて黒い、

親の慈愛(じあい)はどうしようもない

――疲れた胸の裡を 花弁(かべん)が通る。

 

疲れた胸の裡を 花弁が通る

ときどき銅鑼(ごんぐ)が著物(きもの)に触れて。

靄(もや)はきれいだけれども、暑い!

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

3行×5連の詩は

定型を指向するものの

---3のソネットに至っていません。

 

というわけで

「朝の歌」以前に作られたと推定されています。

(「新全集」)

 

 

第2連以下第5連まで

あたりを払うような(!)独断的詩語の列。

 

読み手を拒むような難解な言葉使いは

高踏的と呼ばれるようです。

 

ダダっぽい感じもありますが。

 

 

第1連は、しかし

明快といえば明快です。

 

草臥れた詩人の胸のうちを

女性の面影が通りすぎた

――というような意味でしょう。

 

桜色の女性は

続く連で花弁になるのですから

連続する物語を歌うようです。

ならばやはりこの詩は

桜色の女(きっと泰子でありそう)への思い(恋心)を

歌ったものといえそうです。

 

水田の滓(おり)

怨恨(えんこん)は気が遐(とお)くなる

――盆地を繞(めぐ)る山は巡るか?

――には歯が立たないにしても。

 

 

愛は怨恨を生んだのか?

 

親との確執のごとき感情を

夏の夜の暑苦しさに託したのか。

 

親は実の親のことではなく

慈愛のメタファーでありそうです。
 

慈愛は恋の類義語ですから

詩人のものであってもおかしくはありません。

 

それにしても

桜色の女の優しいイメージが

最後には「暑い!」と歌われるのですから

これが恋の詩であるなら

恋心は変化していることを示すでしょう。

 

 

「生活者」昭和4年(1929年)に

「詩七篇」として発表された詩の一つ。
 
詩人22歳の年の制作(推定)です。
 

7篇は、

「都会の夏の夜」

「逝く夏の歌」

「悲しき朝」

「黄昏」

「夏の夜」

「春」

「月」

――というラインアップでした。

 

ほとんどが「山羊の歌」に収録されたなかで

「在りし日の歌」へ配置されたのは

「春」とこの「夏の夜」だけです。

 

 

2017年6月 4日 (日)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その27/「雨の日」

雨は

遠い過去につながっているものなのでしょうか?

 

降りしきる雨は

見ているだけで(ということは中にいて濡れていてはいけないのです)

遠い過去へワープする呼び水です。

 

 

雨の日

 

通りに雨は降りしきり、

家々の腰板古(こしいたふる)い。

もろもろの愚弄(ぐろう)の眼(まなこ)は淑(しと)やかとなり、

わたくしは、花弁(かべん)の夢をみながら目を覚ます。

     *

鳶色(とびいろ)の古刀(ことう)の鞘(さや)よ、

舌あまりの幼な友達、

おまえの額(ひたい)は四角張ってた。

わたしはおまえを思い出す。

     *

鑢(やすり)の音よ、だみ声よ、

老い疲れたる胃袋よ、

雨の中にはとおく聞け、

やさしいやさしい唇を。

     *

煉瓦(れんが)の色の憔心(しょうしん)の

見え匿(かく)れする雨の空。

賢(さかし)い少女の黒髪と、

慈父(じふ)の首(こうべ)と懐かしい……

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)

 

 

ワープしたといっても

いま、雨は降り続けていますから

雨の降っている現在の情景が

過去の情景と混ざり合うような

(認識の)カオスが生じるのでしょうか

現在の情景だか

過去の情景だかを見極めがたい景色が出現するかのようです。

 

その状態を 

白日夢と呼んでいいかもしれません。

 

 

第2連に、

舌あまりの幼な友達であり

額の四角張ってた

――と現われるおまえは女性でしょうか。

 

もし女性であるなら

第4連に出てくる賢(さかし)い少女と

同一の女性なのでしょうか。

 

慈父が

厳格であった詩人の父のメタファーである可能性もあり

そうなると

この慈父に対として現れる黒髪の賢しい少女は

詩人の母のメタファーである可能性もあるので

先に登場する幼な友達とは異なる女性かもしれません。

 

 

いずれも断定することはできませんが

第1連の幼な友達の四角張ってた額と

第4連の女性の黒髪と

ともに女性の姿形(すがたかたち)への言及は

恋の原初と思えなくもありません。

 

原初の恋が

母親であっておかしい理由はありませんし。

 

 

「早春の風」に、青い女の顎

「青い瞳」の、青い瞳

「六月の雨」の、眼うるめる、面長き女

――と現われる女たち。

 

この後も

「夏の夜」には、桜色の女が現われます。

 

これら女性たちは

詩人の恋した女たちではなかったでしょうか。

 

恋ではなかったでしょうか。

 

 

遠景に現われ

点景のような女たちは

謎のままです。

 

謎ですが

過去の存在であることは確かです。

 

2017年6月 3日 (土)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その26/「六月の雨」



冒頭連に

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

――とある、

このモジリアニの絵のような女性はだれだろう。


「六月の雨」では

真っ先にこの謎にぶつかります。


すると自然に浮かんでくるのは

やはり長谷川泰子ですが……。





六月の雨

 

またひとしきり 午前の雨が

菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

たちあらわれて 消えてゆく


たちあらわれて 消えゆけば

うれいに沈み しとしとと

畠(はたけ)の上に 落ちている

はてしもしれず 落ちている


       お太鼓(たいこ)叩(たた)いて 笛吹いて

       あどけない子が 日曜日

       畳の上で 遊びます


       お太鼓叩いて 笛吹いて

       遊んでいれば 雨が降る

       櫺子(れんじ)の外に 雨が降る


(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。)





この詩もまた

リアリズムの詩ではないのですから

面長の女のモデルを探すのは無理なのですが

ついつい長谷川泰子をイメージしてしまうのは

詩人が意図する意図しないに関係なく

詩人の作る(創る)詩に現れる女性が

長谷川泰子と切り離せないイメージとして

定着してしまった歴史があるから

無理もないことでもあるのです。





この詩の醍醐味(見事さ)は

眼(まなこ)うるめる 面長(おもなが)き女(ひと)

――が

菖蒲(しょうぶ)のいろの みどりいろ

――という前行から連続し

菖蒲の緑が、女性の眼につながっていく

錯覚のような、めまいのような小さな混乱を

混乱ではなく統制する作りが施されているところにあり

この作りは

以後、全行にわたって展開されているところです。


仕舞いには

幼児がおもちゃの太鼓を叩いて遊ぶ

畳のうえのシーンへと移る

幻想のような

雨に見入ったことのある人なら

見覚えのあるような懐かしくはかない記憶が

よみがえってくるような

なんとも甘酸っぱいようなほろ苦いようなところです。





はて、さて、

この女性への恋心を

否定することはできるでしょうか。





昭和11年(1936年)の「文学界」7月号で発表された

文学界賞で選外1席となり受賞を逸した作品。


同年4月と推定される

晩年の制作です。

(「新編中原中也全集」より。)

晩年(といっても詩人29歳の年ですが)にも

泰子は歌われました。


2017年6月 1日 (木)

中原中也生誕110年に寄せて読む詩・その25/「むなしさ」

 

 

この詩「むなしさ」をこそ

ここで取り上げるのは

無謀でしょうか。

 

いわゆる恋唄とこの詩とは

遠くかけ離れた位置にありますが

社会の底辺にある女性たちへの

エールである詩を

恋と呼んではいけない理由も見当たりません。

 

 

むなしさ

 

臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて

 心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み

脂(あぶら)ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ

 よすがなき われは戯女(たわれめ)

 

せつなきに 泣きも得せずて

 この日頃 闇(やみ)を孕(はら)めり

遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る

 海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

 

白薔薇(しろばら)の 造花の花弁(かべん)

 凍(い)てつきて 心もあらず

明けき日の 乙女の集(つど)い

 それらみな ふるのわが友

 

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも

 胡弓(こきゅう)の音(ね) つづきてきこゆ

 

(「新編中原中也全集」第1巻より。現代かなに変えました。編者。)

 

 

詩人は

戯女(たわれめ)に自らの孤独や悲しみを重ねています。

 

同悲同苦

――という仏教の言葉が想起されるような

一体化、同一化の位置にありますが

実のところは

友です。

 

古い友人です。

 

同一にはならないのですから

友です。

 

 

女友だちへのエールが

この詩に歌われています。

 

自身へのそれはエールにほかなりませんが

自身へのエールは

乙女らへのエールであります。

 

このエールは

恋のバリアントと呼び得るものです。

 

そういう

空想が成り立ちます。

 

 

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