新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊
秋谷豊(あきや・ゆたか)は
1922年(大正11年)、埼玉県鴻巣市に生れました。
エベレスト峰への登頂など
のちにアルピニストとしての勇名を馳せ
山岳詩や旅の詩を多数書きました。
木原孝一、北村太郎らと同年の生れですから
戦中派ということになり
戦争体験を歌う詩の一群を持ちます。
戦前に出発し
「四季」の詩人、立原道造、堀辰雄らの詩に共鳴、
戦後すぐに福田律郎らと「純粋詩」を立ち上げ
1949年にはネオ・ロマンチシズムの旗印を掲げた
「地球」という同人詩誌を創刊しました。
◇
第1詩集「睡り椅子」を発表した直後の新川和江を
「地球」に誘い出しました。
どんな詩を書いた詩人か
詩を読みましょう。
◇
夏の人
今日 燃えつきようとする
夏の日は
あつい画廊の壁にながれ
照り返す
ひまわりの炎のなかで
その風景だけが烈しく光る
それは芥子(けし)色の原野の殺戮(さつりく)
死の眠りにおちる沈黙の風景
重くなった銃をかゝかえて
人は暮れなずむ日射のなかで
死にかけていた
輝きと微笑に満ちたその額を
黒い弾丸がくだき
告げるべき意志も
悲哀の声も
ただ傷口のように 暗く
地球のむこうへながれていく
画廊の固いドアをおして
見しらぬ人が出ていった
かたむく夏の血の中から
木立のくろい夜の中へ
その人は 街角を曲って消える
銃創の腕にこわれた楽器をさげて
(中央公論社「日本の詩歌27 現代詩集」より。)
◇
戦争を経験した者が
戦後になっても
戦争の記憶を消し去ることは出来ず
平穏な日常の暮らしのふとした瞬間に
殺戮の風景がよみがえるのを止めることはできない。
銀座かどこかの画廊で見た
ひまわりの絵が
秋谷豊にこの詩を書かせるきっかけになったのでしょうか。
戦争を生きのびた詩人は
戦場での経験を
こうして戦後の暮らしの合間に思い出すのです。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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