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2017年8月 7日 (月)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一②

 

 

 

 

 

新川和江が木原孝一と初めて会ったとき

 

この詩「遠い国」を読んでいたかどうか

 

はっきりした事実関係はわかりません。

 

 

 

偶然に読んでいたということがあるかもしれませんが

 

その確率は低いでしょう。

 

 

 

そもそも1953年にこの詩が作られていたかどうかも

 

わかりませんし。

 

 

 

 

 

 

そうであっても

 

この詩はやがて書かれることになりますし

 

(書かれていたのかもしれませんし)

 

新川和江が読むのは必然だったということに

 

注目しておきたいところです。

 

 

 

新川さん、恋愛詩ひとつ書くにしても、なにか、こう、宇宙に通じるようなものを書かなくちゃ、ダメなんだよなァ

 

――と新川和江が記す木原孝一の言葉へ

 

「遠い国」はまっすぐに通じている

 

現代詩のモデルでした、少なくとも木原孝一のイメージでは。

 

 

 

もしも「遠い国」が手元にあったならば

 

たとえば、ほら、こんな詩と言って

 

新川和江に示して

 

現代詩のありかたについて滔々と語った

 

 

 

――と言うのは出来過ぎの想像になりますから

 

この想像は値引きして考えてほしいのですけれど

 

なんらか具体的な詩をいくつか挙げて

 

現代詩とはどのような未来に向かうべきか

 

時には酒気の勢いも借りてか

 

熱っぽく語ったことを思い描くことができます。

 

 

 

話の中に

 

T・Sエリオットやジェームス・ジョイスの名も登場したことでしょうし

 

新川和江はきっと

 

鋭い問いを投げ返し

 

木原孝一もたじたじになった場面もあったにちがいありません。

 

 

 

このようなやりとりにピッタリするのが

 

「遠い国」という詩でした。

 

 

 

 

 

 

遠い国

 

 

 

きみは聞いただろうか

 

はじめて空を飛ぶ小鳥のように

 

おそれと あこがれとで 世界を引きさくあの叫びを

 

 

 

  あれはぼくの声だ その声に

 

  戦争で死んだわかもの 貧しい裸足の混血児

 

  ギプスにあえぐ少女たちが こだましている

 

  愛をもとめて叫んでいるのだ

 

 

 

きみは見ただろうか

 

ぼくがすすったにがい蜜(みつ)を 人間の涙を

 

この世に噴きあげるひとつのいのちを

 

 

 

  あれはきみの涙だ そのなかに

 

  夢を喰う魔術師 飢えをあやつる商人

 

  愛をほろぼす麻薬売りが うつっている

 

  その影と ぼくらはたたかうのだ

 

 

 

おお なぜ

 

ぼくらは愛し合ってはいけないのか

 

ほんとうにあの叫びを聞いたなら

 

ほんとうにあの涙を見たのなら

 

きみもいっしょに来てくれたまえ

 

 

 

  遠い国で

 

  ぼくたちがその国の 最初の二人になろう

 

 

 

(角川文庫「現代詩人全集」第9巻「戦後Ⅰ」より。)

 

 

 

 

 

 

愛し合ってはいけない、などと

 

だれが言っているのでしょうか?

 

 

 

なぜこの詩が現代詩であるかは

 

この1行の登場によって決まっている、と言えるほど

 

この詩の生命線です。

 

 

 

ぼくらは愛し合ってはいけないのか

 

――と次の行、

 

ほんとうにあの叫びを聞いたなら

 

ほんとうにあの涙を見たのなら

 

――との間にある省略(飛躍)を

 

どのように解釈するかは

 

読み手に負わされています。

 

 

 

 

 

 

すぐさまナチスの殲滅(せんめつ)キャンプや

 

アメリカの原子爆弾や……

 

人智の想像を超えた破壊をもたらした世界大戦を経験して

 

人類は愛し合うことができなくなったのだというような背景を思いながら

 

この詩と向き合うことができるのでしょうが

 

詩人はそこまでのことを

 

この詩で具体的に歌っているものではありません。

 

 

 

詩人のイメージにそれはあっても

 

それを歌ってはいません。

 

 

 

そうであっても

 

戦争が歌われました。

 

 

 

この詩人に

 

戦争を避けて通ることは

 

出来ないテーマだったからです。

 

 

 

 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

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