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2017年8月 8日 (火)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/「地球」へ

 

 

新川和江が第1詩集「睡り椅子」を発表して以降の

20余年間に残した仕事は目覚ましいものでした。

 

ここでその20余年の作品活動をざっともう一度見ておくと――。

 

1960年に、第2詩集「絵本『永遠』」

1963年に、第3詩集「ひとつの夏 たくさんの夏」

1965年に、第4詩集「ローマの秋・その他」

1968年に、第5詩集「比喩ではなく」

1971年に、第6詩集「つるのアケビの日記」

1974年に、第7詩集「土へのオード」

――などの新作詩集を次々に発表しました。

 

その足どりは

日本現代詩の一角に

歴史を刻んだと言ってもおおげさでありません、いまや。

 

 

この20余年間を

ひとくくりにして何かを言おうとすれば

「目覚ましい」という

新聞の批評のような言葉しか見当たらないほどの詩活動でした。

 

目覚ましいというのは、

詩集の発表のほかにも

第1詩集以前から手掛けていた幼年詩、少年詩の制作・発表をはじめ

各種アンソロジー(編詩集)の出版、

文学全集への詩作品の収載、

詩人以外の創作家とのコラボ、交流、

座談会・会合への参加、

ラジオ・テレビへの出演など

多彩広範な領域に渡ったということを意味します。

 

現代合唱曲への詩の提供などの共同制作や

1972年には初のエッセイ集「草いちご」(サンリオ出版)も刊行しました。

 

1975年に「新川和江詩集」が、

思潮社の「現代詩文庫64」として出版されたとき

小自伝「始発駅にて」は書かれましたが

そこには第1詩集「睡り椅子」(1953年)までの足どりが記されただけだったのには

詩人の意地のようなものすら感じることができます。

 

「まず詩を読んで!」と

詩人は主張しているように見えます。

 

 

詳細な自筆年譜が書かれたのは

「新川和江全詩集」(花神社)が発行された2000年でした。

 

この「全詩集」の年譜に現われる詩人の名を拾い

新川和江の詩と合わせて

各々の詩人の詩を読んでいけば

日本現代詩の歴史の一端をひもとくようなことになります。

 

まだ、いま、1953年。

 

日本現代詩は

戦後復興期を8年を経過した活況の中にあり

新川和江も第1詩集をその中に投じたところです。

 

前後しますが

新川和江が詩人活動の第2歩を印したのは

秋谷豊が率いる「地球」という同人詩誌でした。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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