新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/「地球」へ
新川和江が第1詩集「睡り椅子」を発表して以降の
20余年間に残した仕事は目覚ましいものでした。
ここでその20余年の作品活動をざっともう一度見ておくと――。
1960年に、第2詩集「絵本『永遠』」
1963年に、第3詩集「ひとつの夏 たくさんの夏」
1965年に、第4詩集「ローマの秋・その他」
1968年に、第5詩集「比喩ではなく」
1971年に、第6詩集「つるのアケビの日記」
1974年に、第7詩集「土へのオード」
――などの新作詩集を次々に発表しました。
その足どりは
日本現代詩の一角に
歴史を刻んだと言ってもおおげさでありません、いまや。
◇
この20余年間を
ひとくくりにして何かを言おうとすれば
「目覚ましい」という
新聞の批評のような言葉しか見当たらないほどの詩活動でした。
目覚ましいというのは、
詩集の発表のほかにも
第1詩集以前から手掛けていた幼年詩、少年詩の制作・発表をはじめ
各種アンソロジー(編詩集)の出版、
文学全集への詩作品の収載、
詩人以外の創作家とのコラボ、交流、
座談会・会合への参加、
ラジオ・テレビへの出演など
多彩広範な領域に渡ったということを意味します。
現代合唱曲への詩の提供などの共同制作や
1972年には初のエッセイ集「草いちご」(サンリオ出版)も刊行しました。
1975年に「新川和江詩集」が、
思潮社の「現代詩文庫64」として出版されたとき
小自伝「始発駅にて」は書かれましたが
そこには第1詩集「睡り椅子」(1953年)までの足どりが記されただけだったのには
詩人の意地のようなものすら感じることができます。
「まず詩を読んで!」と
詩人は主張しているように見えます。
◇
詳細な自筆年譜が書かれたのは
「新川和江全詩集」(花神社)が発行された2000年でした。
この「全詩集」の年譜に現われる詩人の名を拾い
新川和江の詩と合わせて
各々の詩人の詩を読んでいけば
日本現代詩の歴史の一端をひもとくようなことになります。
まだ、いま、1953年。
日本現代詩は
戦後復興期を8年を経過した活況の中にあり
新川和江も第1詩集をその中に投じたところです。
前後しますが
新川和江が詩人活動の第2歩を印したのは
秋谷豊が率いる「地球」という同人詩誌でした。
◇
途中ですが
今回はここまで。
« 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一② | トップページ | 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊 »
「125新川和江・抒情の源流その後/現代詩そぞろ歩き」カテゴリの記事
- 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之の「利根川」その2(2017.12.30)
- 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之の「利根川」その1(2017.12.29)
- 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之「*(わたしは水を通わせようとおもう)」(2017.12.27)
- 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之「洪水」(2017.12.26)
- 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/嵯峨信之「声」(2017.12.24)
« 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/木原孝一② | トップページ | 新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊 »
コメント