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2017年8月23日 (水)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑥

 

 

秋谷豊の詩「蝉」を

「現代詩人全集・第10巻・戦後Ⅱ」(角川文庫、鮎川信夫解説)で見つけたのは

まったく偶然でしたし、

「廃墟の詩学」(中村不二夫)に引用されている

「小さな町で」に巡り合ったのも

まったく偶然でしたが

この偶然は

日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」(土曜美術社)の中で

詩集「葦の閲歴」収載の詩「蝉」を見つけては

必然的な出会いと変化しつつあるようなところへ来ています。

 

「秋谷豊詩集」には

詩集「降誕祭前夜」を全篇掲載してあり

中に「蝉」があり、これは、

「葦の閲歴」中の「蝉」とは異なる「蝉」であり

「現代詩人全集・第10巻・戦後Ⅱ」中の「蝉」と同一の詩であることも知りました。

 

一つの詩との偶然の出会いは

時を置いて

必然の出会いのように振り返ることができます。

 

 

「葦の閲歴」中の「蝉」を

ここで読みましょう。

 

 

 

短くなった午後 枯草に黒い雨がふり雨はやがて凩とな

った 壁にひっそり掛っている 色褪せた額縁のなかの

おまえの顔 壁に映っている裸木の影 疲れて匍い出た

脱け殻は そこでしずかに燃えている

ぼくは廃園のふかい落葉のなかに 見失ったひとつの果

実をみつける 青い石に果実はあたらしいにくたいとい

となみをあたえる ぼくは果実をだいて風見のみえる野

のほうへあるいて行こう

――人よ しばらくはおまえと別れるために

 

(土曜美術社・日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」より。)

 

 

「葦の閲歴」中の「蝉」と

「降誕祭前夜」中の「蝉」とは

最終行の呼びかける相手が

「おまえ」と「きみ」の違い以外は同一であり

「小さな町で」の最終行には

リルケの果樹園の匂ひのする抒情よ

――の1行が加わっているところが際立っています。

 

「廃墟の詩学」は

「小さな町で」を紹介する中で

「地球」復刊第2号(1947年11月)への発表としていますから

歴史的表記の「小さな町で」が最も古い制作になり

次に「葦の閲歴」の「蝉」

次に「降誕祭前夜」の「蝉」の順で制作されたと見るのが

妥当であることがわかってきました。

 

 

秋谷豊は

これらの詩をバリアント(異文)として

それぞれ独立した詩と考えていたようです。

 

第2次「地球」第2号掲載(1947年)の「小さな町で」から

詩集「葦の閲歴」(1953年)収録の「蝉」へ

そして詩集「降誕祭前夜」(1962年)の「蝉」へ。

 

この改作(バージョン)の意図を辿ると

秋谷豊の詩作の遍歴が

くっきりと浮かび上がってくるはずです。

 

ネオ・ロマンティシズムという旗幟(きし)を鮮明にかかげて

同人詩誌「地球」発行に力を入れた詩人の

実作の場面での展開をここに見ることができます。



 

抒情の変革を訴えた詩人は

自作の詩へのたゆまざる変革を試みていました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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