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2017年8月21日 (月)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑤

 

 

秋谷豊は1946年12月発行の第10号で

「純粋詩」を離れます。

 

「ゆうとぴあ」(後の「詩学」)が岩谷書店から創刊されることになり

その編集に携わるためでした。

 

「ゆうとぴあ」で3年余、編集の仕事をする中の

1950年4月に、第3次「地球」を創刊します。

 

 

第1次「地球」は、

1943年3月、秋谷16歳のときに立ち上げた詩誌「ちぐさ」を

第20号をもって、「地球」と改称したもの。

 

「ちぐさ」から数えれば通巻第21号にあたるのが

第1次「地球」の創刊号になります。

 

戦時下に発行を継続し

1946年6月の第50号を最終号とし

いったん休刊します。

 

第2次「地球」は

1947年7月、復刊第1号を出しますが

秋谷の体調不調で、第2号でふたたび休刊しました。

 

この第2号に

「小さな町で」が載ります。

 

(中村不二夫「廃墟の詩学」より。)

 

 

戦地に友人が逝き、消息不明の者もあるという状況が、

 

ぼくを泣かせたのは誰

――の詩行を生んだのでしょうか。

 

 

秋谷豊は第3次「地球」創刊の年の1947年に

詩集「遍歴の手紙」を発表、

1953年に詩集「葦の閲歴」

1962年に詩集「登攀」

同1962年に詩集「降誕祭前夜」

――と創作詩集を発行していきます。

 

「葦の閲歴」発行の1953年が

新川和江が第1詩集「睡り椅子」を出した年です。

 

ここで「睡り椅子」の世界を思い出すために

中から一つを読んでおきましょう。

 

 

PRAYER  (1)

 

わたしたちの知らないどこかで

ふたたび軍備がはじまつてゐるのだらうか?

カーキ色にぬりたてた車輪を乗せて

蛇のような貨車が今日も通る

 

国電エビス駅

ミリタリズムの貨車は

こんなちつぽけな駅にとまりはしない

見向きもしないで通り過ぎる 通り過ぎる

 

通り過ぎよ 通り過ぎよ

ここにとまつてよいものは

にんげんを乗せるあたたかな電車

わたしを

逢ひたいひとのもとへはこび

日ぐれは なつかしいわが家の

実(み)のやうなあかり“ちらちら”

走りつつ見える窓のある電車

 

通りすぎよ 通りすぎよ

戦火の日にも

軍歌よ 原爆よ 重税よ

ちひさな駅にはとまらぬがよい

 

国電エビス駅

ここに

わたしの待つているのは 電車

きそく正しく止るのは 電車

 

ホームより見下せば

マーケツトのざわめき よし

レコードの流行歌 よし

道路工夫のよいとまけの声 よし

とある庭先

カンナの花にたはむれる二匹の蝶 よし

音立てず通りすぎよ 貨車

この夢 やぶるな

 

(花神社「新川和江全詩集」所収「睡り椅子」より。原詩のルビは” “で示しました。編者。)

 

 

1929年生まれの新川和江は

敗戦時、16歳。

 

1946年に結婚、

1948年に東京・渋谷区へ転居後

西條八十が出していた「蝋人形」の後継誌「プレイアド」に参加します。

 

「PRAYER (1)」は

東京に移住した直後の作品です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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