新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑨抒情の変革
依然、「小さな町で」の出典を確かめることができないでいますが
新たにわかってきたことどもを記しながら
秋谷豊の詩を味わうことにしましょう。
◇
「死について」は
第2詩集「葦の閲歴」(1953年、新文明社)に配置されています。
その冒頭(第1連「Ⅰ」)に、
日毎 夏は汚れていった
短くなった日射のなかで
樹々が身ぶるいする
爽凉な栄養と
大きな日暮をすこしずつ振り落す
(以下略)
――という詩行があることを発見し
身を乗り出します。
この詩行の第3行から第5行までは
「蝉」の最終稿と思われる
「降誕祭前夜」(1962年)収録の「蝉」の冒頭行と同一のものです。
そして
「小さな町で」の冒頭行とも同一ですが
「死について」の前に配置されてある「蝉」には
存在しない詩行です。
この「蝉」を読まないわけにはいきません。
◇
蝉
短くなった午後 枯草に黒い雨がふり雨はやがて凩とな
った 壁にひっそり掛っている 色褪せた額縁のなかの
おまえの顔 壁に映っている裸木の影 疲れて匍い出た
脱け殻は そこでしずかに燃えている
ぼくは廃園のふかい落葉のなかに 見失ったひとつの果
実をみつける 青い石に果実はあたらしいにくたいとい
となみをあたえる ぼくは果実をだいて風見のみえる野
のほうへあるいて行こう
――人よ しばらくはおまえと別れるために
(土曜美術社・日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」より。)
◇
この詩に書き残した思い(イメージ)を
「死について」で書いただけのことでしょうか。
樹々が身ぶるいして
すこしずつ振り落したもの。
爽凉な栄養と大きな日暮は
やがて(最終稿「蝉」では)
葡萄の皿に種子ばかりを残す、のですが
実りと再生を示す、樹木の生命循環(自然の法則)を
この詩では削ぎ落とした(不要とした)だけのことでしょうか。
それを、次の詩「死について」や
「蝉」最終稿で復活したのでしょうか。
このような詩の作り方は
秋谷豊に限らず
割合広く行われていることかもしれません。
◇
ここで再び「小さな町で」に歌われている
リルケの抒情とのわかれを想起することになります。
リルケの果樹園の匂ひのする抒情よ
しばらくは君と別れを告げるために
――と、その最終行にはありました。
この詩行に立ち返るまでもなく
「葦の閲歴」をひもといてみると
「蝉」に続いて
堀辰雄を副題にした詩が二つあることを知り
抒情の変革を迫られていた詩人の
叫びのような声を聞きます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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