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2017年8月29日 (火)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑨抒情の変革

 

 

依然、「小さな町で」の出典を確かめることができないでいますが

新たにわかってきたことどもを記しながら

秋谷豊の詩を味わうことにしましょう。

 

 

「死について」は

第2詩集「葦の閲歴」(1953年、新文明社)に配置されています。

 

その冒頭(第1連「Ⅰ」)に、

 

日毎 夏は汚れていった

短くなった日射のなかで

樹々が身ぶるいする

爽凉な栄養と

大きな日暮をすこしずつ振り落す

(以下略)

――という詩行があることを発見し

身を乗り出します。

 

この詩行の第3行から第5行までは

「蝉」の最終稿と思われる

「降誕祭前夜」(1962年)収録の「蝉」の冒頭行と同一のものです。

 

そして

「小さな町で」の冒頭行とも同一ですが

「死について」の前に配置されてある「蝉」には

存在しない詩行です。

 

この「蝉」を読まないわけにはいきません。

 

 

 

短くなった午後 枯草に黒い雨がふり雨はやがて凩とな

った 壁にひっそり掛っている 色褪せた額縁のなかの

おまえの顔 壁に映っている裸木の影 疲れて匍い出た

脱け殻は そこでしずかに燃えている

ぼくは廃園のふかい落葉のなかに 見失ったひとつの果

実をみつける 青い石に果実はあたらしいにくたいとい

となみをあたえる ぼくは果実をだいて風見のみえる野

のほうへあるいて行こう

――人よ しばらくはおまえと別れるために

 

(土曜美術社・日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」より。)

 

 

この詩に書き残した思い(イメージ)を

「死について」で書いただけのことでしょうか。

 

樹々が身ぶるいして

すこしずつ振り落したもの。

 

爽凉な栄養と大きな日暮は

やがて(最終稿「蝉」では)

葡萄の皿に種子ばかりを残す、のですが

実りと再生を示す、樹木の生命循環(自然の法則)を

この詩では削ぎ落とした(不要とした)だけのことでしょうか。

 

それを、次の詩「死について」や

「蝉」最終稿で復活したのでしょうか。

 

このような詩の作り方は

秋谷豊に限らず

割合広く行われていることかもしれません。

 

 

ここで再び「小さな町で」に歌われている

リルケの抒情とのわかれを想起することになります。

 

リルケの果樹園の匂ひのする抒情よ

しばらくは君と別れを告げるために

――と、その最終行にはありました。

 

この詩行に立ち返るまでもなく

「葦の閲歴」をひもといてみると

「蝉」に続いて

堀辰雄を副題にした詩が二つあることを知り

抒情の変革を迫られていた詩人の

叫びのような声を聞きます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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