新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊②
戦争の終りは
戦後のはじまりだった
――というのを同義反覆であると考えるのは
早計というもので
戦争と戦後は異なります。
1945年8月15日を境に
戦争は過去のものになりましたが
戦後という現在がはじまりました。
秋谷豊の詩を
もう一つ読んでおきましょう。
◇
漂流
まっくらな暴風雨の夜に出撃した艦隊は
壮大な花火だった
どてっ腹に魚雷命中
あたりはまっくら
一〇〇メートルの火柱をふきあげ
鋼鉄の斜面が垂直になって沈むところだ
おれは黒い油の海をふかぶかと流れていった
重油に汚れた顔をつきだし
おれはフカのように流れる
軍艦の亡霊と 抱き合ったまま
かなしい眼をして 死ぬのはごめんだ
だが 朝がくるまでに おれはフカの餌食になる
――二十年の間
おれは黒い油の海をふかぶかと流れていった
汚れた腕を波の上につきだし
何かを叫びながら
深い霧の中で
おれは現在も泳ぎつづけているのだ
(新潮社「日本詩人全集34・昭和詩集」より。)
◇
この詩は
1962年発行の詩集「降誕祭前夜」にありますから
戦後17年を経過しての発表です。
詩の中に
20年の間とあるのは
強調と読んでよいでしょう。
20年もの長い間
戦闘の悪夢に苛(さいな)まれる男の現在が
表白されています。
戦争は終わったけれども
続いています。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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