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2017年8月12日 (土)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊②

 

 

戦争の終りは

戦後のはじまりだった

――というのを同義反覆であると考えるのは

早計というもので

戦争と戦後は異なります。

 

1945年8月15日を境に

戦争は過去のものになりましたが

戦後という現在がはじまりました。

 

秋谷豊の詩を

もう一つ読んでおきましょう。

 

 

漂流

 

まっくらな暴風雨の夜に出撃した艦隊は

壮大な花火だった

 

どてっ腹に魚雷命中

あたりはまっくら

一〇〇メートルの火柱をふきあげ

鋼鉄の斜面が垂直になって沈むところだ

 

おれは黒い油の海をふかぶかと流れていった

重油に汚れた顔をつきだし

おれはフカのように流れる

軍艦の亡霊と 抱き合ったまま

かなしい眼をして 死ぬのはごめんだ

だが 朝がくるまでに おれはフカの餌食になる

 

――二十年の間

おれは黒い油の海をふかぶかと流れていった

汚れた腕を波の上につきだし

何かを叫びながら

深い霧の中で

おれは現在も泳ぎつづけているのだ

 

(新潮社「日本詩人全集34・昭和詩集」より。)

 

 

この詩は

1962年発行の詩集「降誕祭前夜」にありますから

戦後17年を経過しての発表です。

 

詩の中に

20年の間とあるのは

強調と読んでよいでしょう。

 

20年もの長い間

戦闘の悪夢に苛(さいな)まれる男の現在が

表白されています。

 

戦争は終わったけれども

続いています。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

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