新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑯鮎川信夫「秋のオード」
◇
秋のオード
見知らぬ美しい少年が
わたしの母の手をひいて
明るい海岸のボートへ連れさっていった
母が戻ってくるのを待ちながら
ひとりぼっちの部屋のなかで
波の音がひどく恐ろしく
わたしにはながい悪夢の日がつづいた
母はついに帰らなかった
わたしの机のうえの一枚の写真も
今ではなつかしい面影のようにうすれてしまった
あの美しい少年は何処へいったか
卑しい心に問うてはならぬ
淋しい睫毛と
ちいさな赤い唇とは
この世のそとでも離れがたいことを信じよう
海岸に捨てられたボートを眺めていると
美しい少年を失った母が
なんだか迷っていそうにも思えてくる
秋風がたつ頃になると
木や野茨が枯れて
海岸への道が不思議と宙にうかんでくる
夕映えの海にただよう
おもいみだれた母と美しい少年のボートが
木の葉のようにも
蜻蛉のようにも見えてくる
大人になった幻影の子よ
とおい夏の日に
波にさらわれた母と美しい少年を許せ!
<現代詩読本「さよなら鮎川信夫」(思潮社、1986年)より。>
◇
この詩は、鮎川信夫の戦後初期の作品です。
全集では「1946~1951」に分類されている有名な詩で
代表作の一つといえます。
戦前、戦中から詩を書いていた詩人が
戦後に書いた詩であることが読みどころです。
◇
戦後に書かれた詩であるからといって
必ずしも戦争がうたわれるものではないことを示す
好個の例といえるでしょうか。
この詩に
戦争の影を読まない限り
この詩は
母への愛を歌ったオード(頌歌)ということができます。
いや、戦争の影を読み込んだとしても
母へのオードであることにかわりありません。
戦争をしめすモチーフは一切なく
戦争の影すらも見えない詩ですが
この詩は戦争直後に書かれたというところで
戦後詩の一つであり
鮎川信夫の詩のうちの名作と数えることができるでしょう。
そのように読む人は
多いであろうはずの作品です。
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この詩の存在を知ったのは
秋谷豊の僚友、杉本春生のエッセイからでした。
現代詩読本「さよなら鮎川信夫」(1986年)の目次を見ていて
秋谷豊の名前がないのは何故だろうと思っている先に
杉本春生の追悼「戦後詩の父の死」を見つけました。
杉本春生は「地球」の同人であり
ネオ・ロマンチシズムの運動のころから
秋谷豊を支え、協力してきた学者、詩人の一人です。
その杉本が遠い日の
北海道の大学へ赴任する自分を
秋谷豊、新川和江、唐川富夫ら「地球」の詩人たちが
鮎川信夫、木原孝一、中桐雅夫ら「荒地」詩人たちとともに祝ってくれた
「新宿の生田」での歓送迎会のことを書いています。
その中の、鮎川信夫をとらえた部分――。
◇
大病が癒えたばかりのわたしは酒を慎んでいたが、木原、中桐といった面々は、ビール、酒をチャンポ
ンにあおり、やがて何やら、草野心平の詩の一節をとりあげて議論しはじめた。メートルがあがるにつ
れ、舌戦は激しくなり、つかみかからんばかりの勢いをしめしてきた。
そのとき、タバコをくゆらしながら、関心なげな様子で、傍らに坐っていた鮎川は、突然、呟くように自分
の意見を述べはじめた。
すると、驚くことに、二人は押しだまり、申し合わせたように、耳を傾けはじめたのである。今までの、あ
わやと思われる険悪な様相は嘘のように消え、先生の言葉に聞き入る生徒といった感じであった。
(現代詩読本「さよなら鮎川信夫」より。改行を加えました。編者。)
◇
鮎川信夫の「父的なもの」の発見ですが
杉本春生はその底には
「秋のオード」が歌った
「母なるものの世界」を見ようとしました。
秋谷豊の出自との相似を
この時、杉本春生は想起していたのでしょうか。
◇
「新宿の生田」は
「地球」グループが会合によく使用していた喫茶店で
新川和江の年譜や著作によく登場します。
◇
「荒地」との交流のエピソードをいくつか描写して後
杉本春生が鮎川信夫の作品として推奨しているのが
1952年版「荒地詩集」のうちの
「秋のオード」
「波と雲と少女のオード」
「あなたの死を超えて」
――の3作です。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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