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2017年9月27日 (水)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑯鮎川信夫「秋のオード」

 

 

 

秋のオード

 

見知らぬ美しい少年が

わたしの母の手をひいて

明るい海岸のボートへ連れさっていった

母が戻ってくるのを待ちながら

ひとりぼっちの部屋のなかで

波の音がひどく恐ろしく


わたしにはながい悪夢の日がつづいた

 

母はついに帰らなかった

わたしの机のうえの一枚の写真も

今ではなつかしい面影のようにうすれてしまった

あの美しい少年は何処へいったか

卑しい心に問うてはならぬ

淋しい睫毛と

ちいさな赤い唇とは

この世のそとでも離れがたいことを信じよう

海岸に捨てられたボートを眺めていると

美しい少年を失った母が

なんだか迷っていそうにも思えてくる

 

秋風がたつ頃になると

木や野茨が枯れて

海岸への道が不思議と宙にうかんでくる

夕映えの海にただよう

おもいみだれた母と美しい少年のボートが

木の葉のようにも

蜻蛉のようにも見えてくる

大人になった幻影の子よ

とおい夏の日に

波にさらわれた母と美しい少年を許せ!

 

<現代詩読本「さよなら鮎川信夫」(思潮社、1986年)より。>

 

 

この詩は、鮎川信夫の戦後初期の作品です。

 

全集では「1946~1951」に分類されている有名な詩で

代表作の一つといえます。

 

戦前、戦中から詩を書いていた詩人が

戦後に書いた詩であることが読みどころです。

 

 

戦後に書かれた詩であるからといって

必ずしも戦争がうたわれるものではないことを示す

好個の例といえるでしょうか。

 

この詩に

戦争の影を読まない限り

この詩は

母への愛を歌ったオード(頌歌)ということができます。

 

いや、戦争の影を読み込んだとしても

母へのオードであることにかわりありません。

 

戦争をしめすモチーフは一切なく

戦争の影すらも見えない詩ですが

この詩は戦争直後に書かれたというところで

戦後詩の一つであり

鮎川信夫の詩のうちの名作と数えることができるでしょう。

 

そのように読む人は

多いであろうはずの作品です。

 

 

 

この詩の存在を知ったのは

秋谷豊の僚友、杉本春生のエッセイからでした。

 

現代詩読本「さよなら鮎川信夫」(1986年)の目次を見ていて

秋谷豊の名前がないのは何故だろうと思っている先に

杉本春生の追悼「戦後詩の父の死」を見つけました。

 

杉本春生は「地球」の同人であり

ネオ・ロマンチシズムの運動のころから

秋谷豊を支え、協力してきた学者、詩人の一人です。

 

その杉本が遠い日の

北海道の大学へ赴任する自分を

秋谷豊、新川和江、唐川富夫ら「地球」の詩人たちが

鮎川信夫、木原孝一、中桐雅夫ら「荒地」詩人たちとともに祝ってくれた

「新宿の生田」での歓送迎会のことを書いています。

 

その中の、鮎川信夫をとらえた部分――。

 

 

大病が癒えたばかりのわたしは酒を慎んでいたが、木原、中桐といった面々は、ビール、酒をチャンポ

ンにあおり、やがて何やら、草野心平の詩の一節をとりあげて議論しはじめた。メートルがあがるにつ

れ、舌戦は激しくなり、つかみかからんばかりの勢いをしめしてきた。

 

そのとき、タバコをくゆらしながら、関心なげな様子で、傍らに坐っていた鮎川は、突然、呟くように自分

の意見を述べはじめた。

 

すると、驚くことに、二人は押しだまり、申し合わせたように、耳を傾けはじめたのである。今までの、あ

わやと思われる険悪な様相は嘘のように消え、先生の言葉に聞き入る生徒といった感じであった。

 

(現代詩読本「さよなら鮎川信夫」より。改行を加えました。編者。)

 

 

鮎川信夫の「父的なもの」の発見ですが

杉本春生はその底には

「秋のオード」が歌った

「母なるものの世界」を見ようとしました。

 

秋谷豊の出自との相似を

この時、杉本春生は想起していたのでしょうか。

 

 

「新宿の生田」は

「地球」グループが会合によく使用していた喫茶店で

新川和江の年譜や著作によく登場します。

 

 

「荒地」との交流のエピソードをいくつか描写して後

杉本春生が鮎川信夫の作品として推奨しているのが

1952年版「荒地詩集」のうちの

「秋のオード」

「波と雲と少女のオード」

「あなたの死を超えて」

――の3作です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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