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2017年9月 4日 (月)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑫戦争

 

家も、たべものもなく、一望焼きつくされた国土があるだけ

――と、秋谷豊が記した8・15は

特別に秋谷だけのものではなかったはずでした。

 

敗戦国であれ戦勝国であれ

戦争に参加した多くの人々は

荒涼とした廃墟にたたずみ

このような感慨を抱いたはずでした。

 

詩人は、

生活者が普通に抱くこうした感慨とともに

廃墟の中で

堀辰雄があれほど美しく心をこめて歌った抒情の世界、

その文学との離別を覚悟していました。

 

自らの詩の方向の

変革を迫られたのです。

 

 

昭和18年(1943年)10月、学徒出陣。

 

銃をかついだ自らを嘲りながら

夜の中にひとりずつ姿を消していったのだ

――という鮎川信夫の詩を引きながら

秋谷豊は親友、那辺繁のフィリッピン山中での戦死を記します。

 

(※鮎川信夫の詩集「橋上の人」収録の「アメリカ」からの秋谷の引用。現代詩文庫9「鮎川信夫詩集」で

は、「そして銃を担ったおたがいの姿を嘲りながら ひとりずつ夜の街から消えていった」とあります。)

 

那辺繁は

「地球」の前身「千草」からの創刊同人でした。

 

 

「地球」の同人は全部で20名だったが、那辺、川俣栄一、加藤宗明、林羊太郎など大半は戦死してし

まった。

 

「ユリイカ」1971年12月号「総特集=戦後詩の全体像」収録の秋谷豊「闇の時代のひとつの前奏 

『地球』とその周辺」より。)

 

 

やがて、秋谷自らも徴兵されます。

 

日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」の年譜から

一部をひろって見ましょう。

 

 

1943年(昭和18年) 21歳

12月、矢崎波豆江と結婚。五反田のアパートでくらす。間もなく応召。南方要員として部隊はサイパン

に向かったが、私のみ召集解除。

 

1944年(昭和19年) 22歳

6月、フィリッピン派遣軍報道班に加わり出発することとなったが、前々日に中止命令。(略)

 

1945年(昭和20年) 23歳

3月、空襲のなかで長女恵子を失う。生後21日目。

 

 

詩の同人や友人を戦地で失い

生れたばかりの子どもを空襲で失ったという経験は

詩の在り方への変革の意志を

いっそう強固にしてゆきました。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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