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2017年9月24日 (日)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑮「荒地」との親近

 

 

「地球」のネオ・ロマンチシズムの運動は

秋谷豊の構想通りに5年間で区切りを迎え

二つの「地球詩集」を残しました。

 

ネオ・ロマンチシズムとは何かという問いへの明快な答えが

二つの詩集に結実しました。

 

これがネオロ・マンティシズムの詩だという

1955年の時点での一定の答えが出て

これ以上のものではなかったのですが

詩は生き物ですから

以後も、有形無形に歌われ続けていくことになります。

 

 

ネオ・ロマンチシズムについては

秋谷豊自らが言及しているものが幾つかあります。

 

その一つ。

 

日本現代詩人会のウェブサイト

研究活動・親睦のページがあり

その中の、

「現代詩五五年の証言 ―日本の詩人が見えてくる―」という表題のシンポジウムの記録で

秋谷豊の発言を読むことができます。

 

 

秋谷豊はネオ・ロマンチシズムについて

折あるごとに文芸雑誌や詩誌や新聞など各所で言及しているのですが

それらをまとめた形でもっとも早く発表したのが

1973年(昭和48年)の「さらば美しい村よ」で、

次に発表したのが

1976年の「抒情詩の彼方」でした。

 

この2冊で

初期抒情詩論をほぼ全面的に展開したと言ってよいでしょう。

 

このうちの後者「抒情詩の彼方」は

鮎川信夫の属した荒地出版社から刊行されているのは

秋谷豊と「荒地」の親近な関係を物語るのに十分ということができます。

 

「現代詩五五年の証言 ―日本の詩人が見えてくる―」の中で発言しているように

秋谷豊と「荒地」グループの多くの詩人は

生年および戦争体験で同時代人でした。

 

親近関係にあったといえます。

 

 

1982年発行の日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」には

「抒情詩の世界――現代の抒情とは何か」

「抒情の辺境――現代のロマンチシズム」

――の2本の詩論が収録されていますが

いずれも「抒情詩の彼方」からの再録です。

 

秋谷豊が、

「抒情詩の世界――現代の抒情とは何か」の冒頭を次のようにはじめるのは、

当たり前のようでありながら

現在もなお否定されることのない

テーゼのようなものと言ってよいでしょうか。

 

 

私は抒情詩というものはなく、抒情精神によって詩は書かれるものであると思っている。

 

もともと、詩はその情緒的表現、情緒的伝達の性格を生命とするものなのである。

 

したがって、詩は抒情的でなければ存在しえないということにもなろうし、またそれらの表現が、詩と散

文とを方法のうえで限っているともいえるのである。

 

(改行・行空きを加えました。編者)

 

 

詩論は詩によって実現されるので

詩を読むのが一番なのですし

ある特定の詩がそれを実現しているはずなのですから

秋谷豊の書いた詩のすべてが

詩論を実現しているというしかありません。

 

観念論をさけるために

「葦の閲歴」からもう一つを読んでおきましょう。

 

 

落葉

 

 やせた人の肩へ 秋が静かに手をのせ

る ひとひらの物質 不眠の季節 誰か

が黄色いランプをもって閉ざされた寝

室の戸口を過ぎる 淋しい無言の来訪者

 

 黒い土にしずんだ額は もう花を点さ

ない 長い髪に暗黒の影をうつし 次の

夜の内部へと歩いてゆく あなたは一体

誰なのですか

 

 二度と振り返らない うしろむきのあ

なたはあなたの影を背負ってどこへ行く

というのでしょう 燃えつきた夕陽の果

に再び冬が始まろうとしています

 

(日本現代詩文庫3「秋谷豊詩集」所収「葦の閲歴」より。)

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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