新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑭ロマンチシズム
「地球」年表の評論のタイトルを眺めるだけでも
ネオ・ロマンチシズムの運動の変化を察することができます。
はじめはネオ・ロマンチシズムだったものがリリシズムへ
リリシズムは抒情詩へ
そしてロマンチシズムへ。
ネオという限定詞を
必要としなくなっていく経過を見ることができます。
ネオ・ロマンチシズムは
抒情詩全般を指して一向に違和感がなくなるようですが
それはすでに単純な自然詠としての抒情以上を意味し
その了解が浸透したことに基くもののようです。
抒情と思想は振り返れば
現代詩の両輪になるまで
戦後詩という
戦いの時代を通過しなければなりませんでした。
秋谷豊の「地球」グループは
この戦いの最前線に立っていました。
◇
「地球」年表は
ひとり「地球」という詩のグループの活動ばかりでなく
他の詩のグループの詩人の詩集や
創刊詩誌などの動きや
詩界・詩壇のトピックスまでをもひろっています。
「年表」の「関連事項その他――付同時代詩史」の
ネオ・ロマンチシズムの運動期間にしぼって
とりわけこの運動を外側から厳しく見ていた「荒地」グループや
新世代の詩人の動きなどをざっと追いかけてみましょう。
◇
1950年
3月、現代詩人会創立。
4月、日本詩人クラブ創立。
1951年
8月、「Xへの献辞」(鮎川信夫・荒地詩集)
1952年
3月、「列島」創刊。
4月、破壊活動防止法上程、成立(6月)
5月、血のメーデー・火炎ビン事件
8月、「固有時との対話」(吉本隆明)
12月、「実在の岸辺」(村野四郎)
1953年
5月、「櫂」創刊
10月、「近代の寓話」(西脇順三郎)
12月、「貘」創刊
12月、「他人の空」(飯島耕一)
1954年
1月、「地球」詩集の最終的編集会議を新宿西口生田にて開催。
3月、「地球」主催第1回詩の講演会を後楽園満得亭にて開催。
講師
木原孝一「現代詩のジレンマ」
鮎川信夫「『荒地』の詩について」
安東次男「抒情詩の課題」
沢村光博「ネオ・リアリズムについて」
秋谷豊「現代におけるリリシズムの問題をめぐって」
6月、「ひとりの女に」(黒田三郎)
7月、「地球詩集」第1集(秋谷豊編、地球社)を発行。
内容
冬の虹(木下夕爾)
重たい本(秋谷豊)
運河の岸辺(唐川富夫)
北海道(赤井喜一)
室楽(丸山豊)
落日(菊地貞三)
痙攣(泉沢浩志)
流れる耳朶(小野連司)
冷たい都市の掌の上で(杉本春生)
白い雨のふる日に(繁田博)
夜色(粒來哲蔵)
不在証明(緒方健一)
坑夫(松永伍一)
青島望景詩(小花道也)
河(荒川法勝)
船(野沢郁郎)
少年の歌(新川和江)
冬の主題(青柳信房)
告知(安藤希代子)
墓地への童話抄(木口義博)
琉球追想(大森敬蔵)
斜陽に傾く裸身(駒沢真澄)
認識の風(中沢邦士)
病葉(能見蛍次郎)
失われた約束(冬園節)
リリシズムの現代的意義について(杉本春生)
現代詩における抒情の可能性について(唐川富夫)
後記(秋谷豊)
9月、「抽象の城」(村野四郎)
10月、「地球詩集」および1954年度同人詩集出版記念会を駿河台山の上ホテルにて開催。
木原孝一の「地球」グループの紹介に始まり、草野心平、服部嘉吉、安西均、大岡信、関根弘ら94名
が参加、盛会。
11月、「星の肖像」(木原孝一)
1955年
4月、「現代詩作法」(鮎川信夫)
4月、「蒼い馬」(滝口雅子)
6月、「現代詩試論」(大岡信)
9月、「はくちょう」(川崎洋)
10月、「愛について」(谷川俊太郎)
11月、杉本春生詩論集「抒情の周辺」出版記念会
11月、松田幸雄訳詩集「夏の少年」出版記念会
11月、「鮎川信夫詩集」
11月、「前世代の詩人たち」(吉本隆明)
11月、「地球詩集」第2集(秋谷豊編、地球社)発行。
内容
森から来た(丸山豊)
火の記憶(木下夕爾)
渦の中の小さな歌(緒方健一)
死の潜む世界(島岡晨)
存在の切点(松田幸雄)
孤独な出発(新川和江)
微笑(大野純)
飢渇について(青柳信房)
像(粒來哲蔵)
旅の終り(中村隆子)
狂鳥(野沢郁郎)
歌う花弁(小野連司)
いまはしい落果(駒沢真澄)
海辺のイマジネイション(宮沢肇)
「時」の習作(岡田兆功)
扉の中の秘史(長谷目源太)
「夏」の日まで(清水高範)
月夜のうた(前田邦博)
白い斧(松永伍一)
ぼくのうた(菊地貞三)
夏の歌(赤井喜一)
現代の神話(秋谷豊)
一つの条件(杉本春生)
われわれはいかに詩を書いてきたか(唐川富夫)
後記(秋谷豊)
◇
思想と抒情と――。
現代詩の方向の二つの流れは
とりわけ、
抒情の継承と克服を目指した「地球」と
「四季」派的抒情を批判する「荒地」グループが
この期間に盛んに論陣を張り
その結果として形成されることになったことが
うっすらと見えてくるでしょうか。
◇
「地球」のネオ・ロマンチシズムの運動は
1950年から1955年にかけて
集中的に行われたものでしたが
この期間の全国の詩人たちの活動は
日本現代詩人会のサイト中の「戦後詩史年表①1945~1969」でもみることができます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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