新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<22>「純粋詩」の黒田三郎・続
「純粋詩」に発表された
黒田三郎の詩をもう一つ読んでみましょう。
「荒地」グループの詩人では
第26号(1948年7月)に
北村太郎の「センチメンタル・ジャアニイ」とともに
黒田三郎の「歴史はどこにあるのか」が掲載されました。
◇
歴史はどこにあるのか
歴史はどこにあるのか
そこでひとをとりまく無数の壁
壁のなかで生れた人間である私や
君やあなたや諸君
数限りない私や君やあなたや諸君をめぐって
白い美しい壁がある
頑丈な石の壁がある
崩れかけた壁
壁
歴史はどこにあるのか
戦火に滅ぼされた町
私の町
君やあなたや諸君の町
はびこる雑草をつつみかくして
ひっそりと壁が残っている
わずかばかりの土地に
わずかばかりの土地を区切るために
無数の壁が
いまは燃え落ち崩れ落ちて
そしてそこにむき出された丘や谷の高低を
何気なくひとは見る
はびこる雑草の間にも
崩れ落ちた赤い瓦やガラスの破片をふみかためて
ひとすじの道がつくられてゆく
わずかばかりの暇を盗むために
はびこる雑草をわけ
瓦やガラスをふんで
崩れた壁から壁へと
ひとは横切ってゆく
けちくさい月給取りよ 人絹のシャツを着た者よ
赤いリボンの少女よ
崩れた壁から崩れた壁へとひとは無言で横切ってゆく
(現代詩文庫6「黒田三郎詩集」より。)
◇
この詩は前回読んだ「あなたの美しさにふさわしく」とともに
後に詩集「時代の囚人」(1965年)に収録されます。
戦後初期の作品が
この詩集に集められました。
◇
戦地から帰還した詩人が初めて目にした
この町は
きっと鹿児島市下荒田の
出征前の住まいがあったところでしょうが
このような町は
全国至るところに見られた景色であったことでしょう。
そこに無数の壁は存在します。
残っています。
崩れ落ちて在ります。
あっちにもこっちにも。
その合間をぬって雑草ははびこり
ひとは崩れ落ちた瓦やガラスの破片を踏み固めて
横切ってゆく
月給取り(私)も
格安の人絹のシャツを着た(あの人)も
赤いリボンの少女も
みんな壁から壁へと
無言で横切ってゆく。
◇
そこへやがて道はできるであろう
――という詩行は現われませんが
そのような歴史が作られてゆくであろう未来が
歌われていることを確信できる詩です。
廃墟の(壁)なかに
詩人は一条の光を見つけようとしています。
そこで人間である私は生れたのですから
そこにふたたび生きるしかないのですから。
◇
白い美しい壁
――とあるところに
私という歴史の未来の希望が仮託されているのは
「あなたの美しさにふさわしく」に通じます。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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