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2017年10月10日 (火)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<22>「純粋詩」の黒田三郎・続

 

 

「純粋詩」に発表された

黒田三郎の詩をもう一つ読んでみましょう。

 

「荒地」グループの詩人では

第26号(1948年7月)に

北村太郎の「センチメンタル・ジャアニイ」とともに

黒田三郎の「歴史はどこにあるのか」が掲載されました。

 

 

歴史はどこにあるのか

 

歴史はどこにあるのか

そこでひとをとりまく無数の壁

壁のなかで生れた人間である私や

君やあなたや諸君

数限りない私や君やあなたや諸君をめぐって

白い美しい壁がある

頑丈な石の壁がある

崩れかけた壁

歴史はどこにあるのか

戦火に滅ぼされた町

私の町

君やあなたや諸君の町

はびこる雑草をつつみかくして

ひっそりと壁が残っている

わずかばかりの土地に

わずかばかりの土地を区切るために

無数の壁が

いまは燃え落ち崩れ落ちて

そしてそこにむき出された丘や谷の高低を

何気なくひとは見る

はびこる雑草の間にも

崩れ落ちた赤い瓦やガラスの破片をふみかためて

ひとすじの道がつくられてゆく

わずかばかりの暇を盗むために

はびこる雑草をわけ

瓦やガラスをふんで

崩れた壁から壁へと

ひとは横切ってゆく

けちくさい月給取りよ 人絹のシャツを着た者よ

赤いリボンの少女よ

崩れた壁から崩れた壁へとひとは無言で横切ってゆく

 

(現代詩文庫6「黒田三郎詩集」より。)

 

 

この詩は前回読んだ「あなたの美しさにふさわしく」とともに

後に詩集「時代の囚人」(1965年)に収録されます。

 

戦後初期の作品が

この詩集に集められました。

 

 

戦地から帰還した詩人が初めて目にした

この町は

きっと鹿児島市下荒田の

出征前の住まいがあったところでしょうが

このような町は

全国至るところに見られた景色であったことでしょう。

 

そこに無数の壁は存在します。

 

残っています。

 

崩れ落ちて在ります。

 

あっちにもこっちにも。

 

その合間をぬって雑草ははびこり

ひとは崩れ落ちた瓦やガラスの破片を踏み固めて

横切ってゆく

 

月給取り(私)も

格安の人絹のシャツを着た(あの人)も

赤いリボンの少女も

 

みんな壁から壁へと

無言で横切ってゆく。

 

 

そこへやがて道はできるであろう

――という詩行は現われませんが

そのような歴史が作られてゆくであろう未来が

歌われていることを確信できる詩です。

 

廃墟の(壁)なかに

詩人は一条の光を見つけようとしています。

 

そこで人間である私は生れたのですから

そこにふたたび生きるしかないのですから。

 

 

白い美しい壁

――とあるところに

私という歴史の未来の希望が仮託されているのは

「あなたの美しさにふさわしく」に通じます。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

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