新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<29>「純粋詩」の中桐雅夫「幹の姿勢」
中桐雅夫が発行していた詩誌「LUNA」に
鮎川信夫が入ったのは
1937年夏のことで
「新領土」に入ったのは1938年のはじめだった
――というようなことを鮎川信夫が記述しています。
(現代詩文庫38「中桐雅夫詩集」解説「中桐雅夫について」。)
中桐雅夫は神戸高商在学中で
鮎川信夫は早稲田第1高等学院に在学中で
「新領土」への参加が
「LUNA」への参加より後のことでした。
鮎川信夫はこの頃「荒地」の刊行を準備していましたから
これら詩誌への関わりは
複雑に引っ張り合い反発しあっていたのかもしれませんが
「LUNA」への加入は「一生の一大事」であったと
後に鮎川が振り返る意味を看過できません。
「LUNAクラブ」が
「荒地」の母胎といわれる由来が
ここにあります。
◇
戦時色が
刻々濃くなっていく時代でした。
詩人たちは
そして
戦争に動員されてゆきます。
◇
戦後になって
福田律郎や秋谷豊が発行した「純粋詩」へ
「荒地」の詩人たちは続々と作品を発表します。
中桐雅夫が「純粋詩」に発表した詩を
読んでみましょう。
◇
幹の姿勢
風を追いかけ。風を追い越し。
ある地点に。ぴたり。ととまる。
とまる否や。
猛烈な速度で戻ってくる。
見よ。無数の獣。
火の獣が駆けめぐる。
焔。喘ぐ焔。
夜空に。高き。低き。焔みな一つに固まり。
激しく。空気をつん裂く。と思えば。
ふたたび八方に飛び散り。
あたらしい血に舌なめずる。神々の嵐。
その無際限な成長力。
無秩序ないのちの奔騰。
わたしは堪えかねて。
眼を瞑り。
眼をひらいた。
ひとつひとつに名の刻まれた。
わたしの書物。わたしの食器……。
すべてのものは「世界」の中へ投込まれ。
誰の手も届かぬところで。
一心に狂っている。
いまはもう。
わたしのものではないわたしのもの。
わたしのものではない「世界」のもの。
わたしは。いわば。
それらすべての怨霊を背景(ばっく)に。
佇んでいるのだ。この。
昧爽のひととき。
花も葉も焼け落ち。
くろく焦げ残っている幹の姿勢で。
(現代詩文庫38「中桐雅夫詩集」より。)
◇
一読して
モダンというか
モダニスティックというか
実験の意欲が剥き出しになったようなこの作り(表記)に
どのような意味があるのか
ここで深く追求するつもりはありません。
バイオリンのピッチカート奏法のような
(といっただけで、何かの意味を与えてしまいそうですが)
一語一語を区切って発語することが
確乎とした響きの効果をあげるのを
詩人は意図したのでしょうか。
◇
詩の終りに
昧爽(まいそう)とあるのは
「明け方のほの暗い時」という意味で
この詩が歌っている状況を理解するのに
知らないでいると
少し不利であるかもしれません。
もちろん
全体が暗喩(あんゆ)でもありますから
描写のリアリズムにこだわることもないのですが
花も葉も焼け落ち
くろく焦げ残っている
幹の姿勢
――がいま立っているところの風景をつつんでいる
昧爽の時間であることを
読み過ごしてはまずいでしょうから。
◇
この昧爽の時間に
わたしの書物
わたしの食器
……
すべてのものは投込まれ
誰の手も届かぬところで
一心に狂っている
――「世界」がひろがっているのです。
この風景が
戦後の焼け野原であることを
説明する必要はないでしょう。
◇
中桐雅夫がこの詩「幹の姿勢」を
「純粋詩」に発表したのは
1947年5月(第15号)でした。
◇
1919年生まれの中桐雅夫は
太平洋戦争がはじまった1941年12月8日の翌年1月末に
召集令状を受け取ります。
2月に入営した後の検査で
結核菌が検出されたために
軍隊内で約40日の病院生活を送って除隊しました。
除隊から敗戦へ。
敗戦の荒涼のなかで
この詩は生れました。
◇
途中ですが
今回はここまで。
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