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2017年10月15日 (日)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<25>「純粋詩」の田村隆一「出発」

 

「荒地」は

 

戦前発行の「荒地」を第1次とし

 

戦後発行の「荒地」を第2次とし

 

この第2次「荒地」休刊後の1951年から1年ごとに出され

 

1958年までに8冊を出した「荒地詩集」があり

 

それぞれを区別するのが普通です。  

 

戦後の「荒地」グループは

 

自前の発表の場をただちに持てなかった期間に

 

各自がそれぞれメディアを探している状態でしたから

 

鮎川信夫が言うように

 

田村隆一が水先案内の役割をしていたというようなことがありました。

 

第2次「荒地」は

 

1947年9月に発行されるのですが

 

それまで、そしてそれ以後、1948年6月までに全6冊を出すまでの間も

 

この状態はつづき

 

こうした間に「純粋詩」へ

 

「荒地」の詩人たちのほとんどが詩や評論を発表しました。 

 

  

 

田村隆一が「純粋詩」に発表した作品を

 

年代順に見ると――。  

 

1946年

 

9月(第7号) 審判

 

12月(第10号) 紙上不眠・出発

 

           坂に関する詩と詩論  

 

1947年 

 

1月(第11号) 紙上不眠・生きものに関する幻想

 

          紙上不眠・不在証明 

 

3月(第13号) 目撃者

 

5月(第15号) 春

 

6月(第16号) 黒  

 

1948年

 

1月(第23号) 沈める寺

 

――となります。  

 

 

 

「純粋詩」1946年1月号に載せた

 

「紙上不眠・出発」という詩は

 

田村隆一が戦後に書いた詩の中でも

 

早い時期のものになるでしょう。  

 

現代詩文庫1「田村隆一詩集」(1968年)には

 

「初期詩篇から」の中に

 

この詩とともに

 

「生きもの関する幻想」

 

「不在証明」

 

「坂に関する詩と詩論」

 

――の4篇が

 

「純粋詩」発表作品として収録されています。

 

(※「坂に関する詩と詩論」に「純粋詩」掲載の付記がないのは、「荒地」または「荒地
 

詩集」などへの発表があったからかもしれません。)

 

  

 

出発  

 

おまへは信じない 私の生を

 

私は出発する 雨の中を 

 

暗い岸壁に私の船が着く

 

……そして私の生の幻影が  

 

黙って私は手を振る

 

それなのに おまへは信じない

 

私の生を 雨の中の私の出発を  

 

               紙上不眠

 

               「純粋詩」昭和21年2月号  

 

(現代詩文庫1「田村隆一詩集」より。)

 

 

 

 

出発といえば

 

これは、出征のことを指すのか。 

 

そうではなくて

 

戦後の新しい生活のことを指すのか。  

 

出征のことであるならば

 

回想ということになり、

 

昭和18年12月9日、横須賀第2海兵団(武山)に臨時徴集現役兵として入団。海軍二等

 

水兵を命ぜられる。

 

――と自ら記す兵役への出発を扱ったことになります。  

 

回想ではなく

 

召集当時に書いたものを

 

戦後に発表したということも考えられます。  

 

出発には

 

兵役への出発の意味も

 

戦後の出発の意味も

 

どちらも含まれているということも考えられます。

 

 

いずれの場合であっても

 

私の生を

 

私の出発を

 

おまへは信じないというときのおまへは

 

単なる蔑称としての二人称でないことは明らかでしょう。

 

 

この詩のおまへは

 

私が私に呼びかけているおまへであり

 

おまへに信じられない私という私の

 

アンビバレンツな事態を

 

反語的にとらえたものと見做したらよいでしょうか。 

 

 

 

戦後になっても

 

詩人は

 

生に幻影を見るほかになく

 

着岸した船にまさに乗ろうとし

 

そして乗った船から、黙って手を振るのですが

 

それをおまへ(つまりは私)は信じない。

 

そのような

 

出発でした。 

 

 

 

この詩「出発」は

 

「紙上不眠」というタイトルの連作詩(あるいは組詩)ですが

 

紙上不眠という言葉に

 

どのような意味が込められているのかよくわかりません。 

 

死の不安から

 

脱け出られず

 

眠れない状態がつづいていたことを指すのでしょうか。 

 

 

途中ですが

 

今回はここまで。

 

 

 

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