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2017年10月18日 (水)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<26>「純粋詩」の田村隆一「不在証明」

 

「純粋詩」へ発表した田村隆一の詩を

もう少し読んでみましょう。

 

「純粋詩」には

「出発」のほかに

「紙上不眠」を構成する詩として

「生きものに関する幻想」と

「不在証明」の2篇とともに

「坂に関する詩と詩論」が発表された(「廃墟の詩学」)のですが

これら計4篇はすべて現代詩文庫1「田村隆一詩集」に載っています。

 

ここに詩人の愛着を見ないわけにはいきません。

 

「初期詩篇から」の章には

これら戦後の作品に加えて

戦前の「新領土」発表の詩が幾つか収録されていて

詩人が重要と見做した作品であることを物語っています。

 

 

不在証明

 

風よ おまへは寒いか

閉ざされた時間の外で

生きものよ おまへは寒いか

わたしの存在のはづれで

 

谷間で鴉が死んだ

それだから それだから あんなに雪がふる

彼の死に重なる生のフィクション!

 

それだから それだから あんなに雪がふる

不眠の谷間に

不在の生の上に……

 

そのやうに風よ

そのやうに生きものよ

わたしの谷間では 誰がわたしに重なるか!

不眠の白紙に

不在の生の上に……

 

紙上不眠・1946年11月

「純粋詩」昭和22年1月号

 

(現代詩文庫1「田村隆一詩集」より。)

 

 

詩は、

ことさら初めて読む詩は、

ひと通り読み終えてのち

字面(こづら)を追ったに過ぎなくて

味わうどころか

何が書かれてあったのかまったく見当もつかない

――というような経験であることを

何度も何度も気づかされることがあるでしょう。

 

ところが

単に目を通したに過ぎないような読み方であっても

読まなかったこととは

まるで違うのです。

 

その詩を読んでいなかった時と

一度でも読み通した時とは

有と無ほどの違いがあります。

 

何かが電撃的に通じてしまう

――といえば

ひとりよがりかもしれませんが

一度読んだものは

何かがわかりかけるというようなことが

やがて起こってくることは確実です

その詩を読み続ける意志があるならば。

 

 

こうして……。

 

風よ おまへは寒いか

――の1行を読みはじめながら

風に寒いかと問いかける

この、これまで経験したことのないような

不思議な詩行に面食らいながらも

次の詩行へ目を走らせて

詩の中へ詩の中へと入り込んでいきます。

 

分からないながらに

ひと通り目を通すことは

詩を読むはじまりであることは

まちがいありません。

 

この経験(時間)を通じて

人は詩を読みますし

この経験がなければ

人は詩を読むことはありません。

 

 

風よ おまへは寒いか

閉ざされた時間の外で

生きものよ おまへは寒いか

わたしの存在のはづれで

 

――という「不在証明」という詩の第1連が

ようやく親近してきたのは

一夜明け二夜明けたころで

ある時、ふと何かが降りてきて

認識のようなことが起こります。

 

 

生きものよ おまへは寒いか

――という詩行に畳みかけられて

おや!

風と生きものが同じところにあると把握できたとき

その場所その時間は

閉ざされた時間の外であり

わたし(という存在)のはづれ(外)であることが見えます。

 

聡明な読み手は

一瞬にして

この詩のこの構造をつかんでしまうかもしれませんが

このようにして

ようやくこの詩と親近する場合は多いことでしょう。

 

ここではそれにしても

3日もかかりました!

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

 

 

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