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2017年10月13日 (金)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊<24>「純粋詩」の三好豊一郎「巻貝の夢」


三好豊一郎が「純粋詩」に発表した作品は、

<1946年>

12月・第10号 熱の朝

<1947年>

1月・第11号 巻貝の夢

3月・第13号 青い酒場

4月・第14号 Magic Flute

6月・第16号 四月馬鹿

7月・第17号 曇天の青春(評論)

8月・第18号 空

9月・第19号 時代と詩人(評論)

10月・第20号 実存主義と社会(評論)


<1948年>

1月・第23号 室房にて

――というラインアップになっています。

詩が7本、評論が3本です。




詩7作のうち4作は

第1詩集「囚人」(1949年)に収められました。



詩集「囚人」は

黒田三郎の案内するように

四つの部分(章)の一つ「青い酒場」に14篇が収められ

この14篇の詩には

三好豊一郎の詩の類型があり

戦後の詩の原型があると指摘しているところには

大いに耳を傾ける価値があることでしょう。


黒田三郎は

第1詩集「囚人」のうちの

「青い酒場」の詩群に格別なものを見たのです。





四つの部分(章)の中のもう一つの大きな部分が「巻貝の夢」で

こちらのタイトル詩「巻貝の夢」は

「純粋詩」1947年1月・第11号に発表されました。



「青い酒場」よりも前に

「巻貝の夢」は発表されています。





巻貝の夢



 水辺におびただしく散乱している貝の殻。晩春の湖はほとんど波もない、音さえしない。

ただひとつの反動の無限のくりかえしが、透明になめらかに砂浜をなめている。青みかけ

た葦、対岸は幻のようにけむっている。

 ――私はおびただしい貝殻を踏んで、この乱雑に美しい廃墟のなかから一ツ二ツ三ツ…

と水に洗われ天日に灼かれ風にさらされた巻貝をさがして歩いた。

 黒褐色のさらに濃い緑をおびて、生存闘争のつくり出した現実の生身のみにくい色、い

わゆる泥土にまがう保護色の部分が天然の刺激によって剥がれてゆき、遂に美しい純粋

にまで還元された物質の清浄な肌を愛した。たとえば暖い春の雲のほのぼのと流れる乳

白色の地に、柑橘の一片を薄めて織りだされた淡い模様。とことどころ幾分か紫か青が薄

くひとはけ透いて見えるほど。殻の一方が破れて、西洋の古い都会の尖塔を思わせる螺

旋階段の一階ごとが、巧妙にのぞかれる仕組である。あたたかい白の内壁には、赤や黄

や褐色の半透明の砂粒が、ところどころ附着してかすかに光る。どの階段からも何ものか

の亡霊が小さく型どられて、降りてきそうな気配である…

 私は不思議な夢を愛しているようだ。遠く忘れ去られた夢。孤独のかくも甘美な夢を。

――私はたんねんにこれら廃墟の城を拾って行った。

 やがて私は、最も大きな巻貝の美しく漂白され、しかも破損の少ない一室をさがしあてる

と、その城にもぐりこんで、永い春の半日を睡眠の旅にたった。かつてそこの主がそうした

ように、しなやかに身体をねじって横たわった。

 現身(うつしみ)の時間の外に、巻貝の夢のなかに。

 

(現代詩文庫37「三好豊一郎詩集」より。)




「青い酒場」が現身(うつしみ)を生きる時間なら

「巻貝の夢」は、その時間の外(そと)の世界ということでしょうか。



ならば「巻貝の夢」と「青い酒場」は

対(つい)の関係にある時間(世界)ということになります。





この二つの詩が

三好豊一郎の生涯に決定的な影響を与えた事件と

直接どのような関係があるのかはわかりません。


直接的に関係を明かすものがなくとも

その事件を知らないで

これらの詩を読むことはできないでしょう。

 



現代詩文庫37「三好豊一郎詩集」の裏表紙に置かれた小年譜には、

 

1940年、早稲田大学専門学校卒、徴兵延期は1年半で尽きるも丙種合格。無罪放免

の心持忘れ難し。但し肺結核症を受く。

――とあります。

 

「青い酒場」も「巻貝の夢」も

戦後、「純粋詩」に発表されたものですから

この事件の衝撃に

敗戦という事件(事態)の衝撃が加わる苛烈な体験が

これらの詩を書かせた契機になっていることは

確実なことでしょう。

 

「青い酒場」と「巻貝の夢」は

同じ状況の中から生まれました。

「青い酒場」が日常の1断面であるなら

「巻貝の夢」は非日常(夢)の1断面をとらえたものということになります。

 




夢ですから

散文詩のほうが

つかまえやすかったのでしょうか。

 

それにしてもこの夢は、

死の静謐を漂わせながら

それとはなんと遠い世界であるかと思わせる

美しく清浄な生の姿を見せるのでしょうか。

 

 

暖い春の雲のほのぼのと流れる乳白色の地に、柑橘の一片を薄めて織りだされた淡い

模様。とことどころ幾分か紫か青が薄くひとはけ透いて見えるほど。殻の一方が破れて、

西洋の古い都会の尖塔を思わせる螺旋階段の一階ごとが、巧妙にのぞかれる仕組

 

あたたかい白の内壁には、赤や黄や褐色の半透明の砂粒が、ところどころ附着してかす

かに光る。どの階段からも何ものかの亡霊が小さく型どられて、降りてきそうな気配

――と繰り返される貝の内部の描写。





美しい純粋にまで還元された物質の清浄

――は

水辺におびただしく散乱している貝の殻を

精密描写したもののように

あいまいなものがなく

いつかどこか遠い日に見た覚えのあるような

古代の、晩春の湖のほとりの記憶のような絵柄を

引っ張り出してくれるような心地にしますから

不思議です。



 

途中ですが

今回はここまで。

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