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2017年10月 1日 (日)

新川和江とその周辺/「始発駅」のころ・1953年の詩人たち/秋谷豊⑱鮎川信夫の戦後

 

 

「死んだ男」の冒頭連、その4行、

 

たとえば霧や

あらゆる階段の跫音のなかから、

遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。

――これがすべての始まりである。

 

――が鮎川信夫という詩人の戦後のはじまりでした。

 

遺言執行人であることを

自らの詩(=生)の起点と宣言したのでした。

 

 

現代詩文庫9「鮎川信夫詩集」の

冒頭に配置された「1 橋上の人」は 

死んだ男

もしも 明日があるなら

アメリカ

日の暮

繋船ホテルの朝の歌

橋上の人

――の6作の連詩のように構成されているのは

この詩集(アンソロジー)の編者、長田弘の手になる再構成だからです。

 

「1 橋上の人」のタイトルで戦後初期の作品を集めていますが

鮎川信夫はこれらの詩のほかにも

散文(評論)の発表も旺盛に行っていましたから

年代順に初出したメディアともども見ておきましょう。

 

「荒地」グループが形成されていき

1951年に初めて「荒地詩集」が出されるまでの

鮎川信夫個人の作品歴ということになります。

 

( )内は、初出誌です。

 

 

<1946年>

7月、詩「耐えがたい二重」 (新詩派)

8月、詩「トルソについて」(新詩派)

12月、詩「日の暮」 (純粋詩)

 

<1947年>

2月、詩「死んだ男」(純粋詩)

評論「詩への希望」(ルネッサンス・第5号)

7月、詩「アメリカ」(ルネッサンス)

8月、評論「ヴァレリィに就いて」(ルネサンス・第7-9合併号)

9月、詩「暗い構図」(雑誌「荒地」創刊号)

9月、評論「カフカの世界」(純粋詩・9月号)

10月、評論「三好達治」(現代詩・10月号)

11月、評論「燼灰のなかから――TE・ヒュームの世界」(純粋詩・11月号)

 

<1948年>

1月、詩「秋のオード」(詩学・第5号)

5月、評論「『荒地の立場」(近代文学)

6月、詩「橋上の人」(ルネッサンス・第9号)

 

<1949年>

7月、評論「現代詩とは何か」(人間)

   評論「詩人の条件」(詩学・11、12月合併号)

   ※以後、「詩学」の翌年7月号まで、「荒地詩集」1951年版で「現代詩とは何か」のタイトルで収録

   される論考が連続して発表されます。

10月、詩「繋船ホテルの朝の歌」(詩学)

 

<1950年>

評論「詩と伝統」(詩学・6月号)

 

<1951年>

7月、詩「裏町にて」(詩学・7月号)

8月、評論「森川義信について」(詩学・8月号、※「死んだ仲間」特集。)

 

以上は、現代詩読本「さよなら鮎川信夫」(1986年)の

巻末年譜(原崎孝・作)をもとに作り直したものです。

 

 

こうした経過ののち

「荒地詩集1951年」が、8月に刊行されます。

 

 

今や、戦後詩の古典となった

傑作群が次々に生み出されていった歴史を見るようですが

注目したいのは

発表されたメディアが多彩であるところであり

中でも秋谷豊が編集の側にあった「純粋詩」です。

 

 

途中ですが

今回はここまで。

 

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